罰点主義の反対は何だろう?ちょっと見当たらない。
事程左様に日本には「罰点主義」で覆い尽くされている気がする。試しに罰点主義の反対語を賞点主義とすると、短所を改善しながら教育するのが罰点主義で長所を伸ばしながら教育するのが賞点主義である。短所を改善しても長所を伸ばしても行き着く先は同じような気がする。何が違うんだろう。
それはその人の可能性を見抜くことだと思う。
賞点主義であっても、手本通りに教えるだけであったら罰点主義となんら変わらない。アプローチが違うだけである。ただし、罰点主義ではその人の個性に応じた本当の長所を伸ばすことはできない。手本からするとその人の個性は短所にしか見えないし手本通りに改善すべき部分なのである。その点、賞点主義は個性を残して長所を伸ばすが、手本通りに伸ばしたのでは結果は同じである。
初級から中級の段階では指導は簡単である。
問題は、中級から上級、さらに最上級を目指す段階で手本を離れてより高度な領域に踏み出す可能性をどこに見出すかだと思う。それは手本にはないことであり、新たな手本を作ることであり、その人に合った個性を作り上げることである。個性とは良いことも悪いことも含めて個性であり、理想の個性は両者がうまく調和しているのが望ましい。良い所だけの個性はひ弱だし、悪い所だけの個性も秩序に欠ける。
もう一つの問題は、
教える側が固定的な手本に固執し過ぎることである。手本は誰かが作り上げたものであり一般的なモデルを示したものである。考えて見ればすぐ解る。すべての人が手本通りになってしまったのでは、ありふれた標準的な人間しか存在しなくなるし、そこには新たな価値は認められない。反対に価値のない石ころ同然である。一人一人が違う個性を持つから意味があり価値があるのである。
日本人はもっと自分に誇りを持って良いと思う。
自虐的で罰点主義で自嘲的で、良い意味で奥ゆかしい。私が、私が、と積極的に前に出ることを嫌う。それはそれで日本人の個性だと思うけれども、そのことを頭に置いて客観的に行動する必要がある。特に戦後は誇りを失っているし良い意味で奥ゆかしさもない。あるのは短所である所の自虐的、自嘲的、罰点主義である。短所は改善して長所に変換する努力をすべきである。
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