オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

野菜、果物の栄養が失われている

2007年09月19日 | Weblog

私の父が田舎から出てきて、家で食事をしているとき、

 「おい!このキュウリはまだ青いぞ」と文句を言っている。私は、「えっ」と返しただけで、しばらくはその意味が解らなかった。そういえば子供の頃、まるまると太った、半ば黄色くなったキュウリ(胡瓜)を、清水で冷たく冷やして、おやつ代わりにみそをつけて丸ごとかじっていたのを思い出した。青臭さがなく、甘みがあって、ほんのりと「瓜」の香りがしておいしかった記憶がよみがえった。キュウリは青いのが当たり前と思い始めたのはいつからだろうか。そうしたら、最近、近くの農家でまるまると太ったキュウリを見つけた。聞くところによると、熟れすぎたのと、大きくなりすぎたので「商品」にはならない「不良品」だそうで、えらく安く買えた。そして、久しぶりにあの味を堪能することができた。

イチゴ農家のおじさんに、

 「取り立てのイチゴをそのまま食べたらさぞおいしいでしょうね」と、半分お世辞のつもりで言ったら、そのおじさんは、「あんな、消毒薬と農薬と化学肥料まみれのイチゴなんか食べない方がいいよ」と言ってのけた。自分で作っているイチゴなのにどういうことだろうと聞いてみると、イチゴを自然のまま育てたのでは、店に出ているような立派で傷ひとつないイチゴにはならず、市場に出せる「商品」にはならないそうだ。そう言われれば、果肉がむきだしのイチゴを腐らせず、虫に喰われず、きれいな赤に色づけ、しかも大きく形良く育てるのは並大抵のことではないだろう。どうやら、このちょっと変わったおじさんは不本意ながら「商品」としてのイチゴ作りに専念させられているらしい。

トマト農家のおじさんとおばさんが出荷の準備をしている。

 箱に詰めているのは、青いトマトである。店頭に出るときにちょうど赤みがつくそうだ。そばには真っ赤に熟れたトマトが選別されて置いてある。これも「商品」にはならないそうだ。これを安くわけてもらって食べたら、驚くほどおいしい。スーパーで買ったものでは味わえない美味である。そういえば、メロンも熟れすぎたのは「商品」にならない。熟れきるとはじけてしまう。このはじけたのが甘くておいしい。これも安く分けてもらって食べている。農村地帯ならではの楽しみ方である。農家の人とは仲良くしておくのが田舎での生活の知恵である。

ミカン農家も、青いうちに出荷する。

 あるミカン農家の人の話では、ミカンは粒が小さめの、中身の詰まった、皮が薄くて艶があり、ヘソがへこんだ平べったい、よく熟れたものが甘さと酸っぱさがほどよく最高の味だそうだという。しかし、商品となるのは、形が大きくて見た目が良く、皮がブカブカで剥きやすく、どちらかというと水っぽい(酸っぱくない)ものだそうである。このミカン農家は自分の家で食べるものは商品とは別に収穫して保存している。私も時々このミカンを送ってもらっておいしくいただいている。

私が経験する最高のミカンの味は、

 すでに収穫の終わったミカン畑で、日当たりのいい上の方でひとつだけポツンと取り残されているのをその場でとって食べたあのミカンであった。充分に熟していて、水分が抜けて、少ししなびた感じであったが、味は最高であった。これ以上熟すとたぶん腐ってしまうであろう。いや、その前に、鳥や小動物の格好の餌になってしまうのであろう。

この頃の野菜や果物は、形は整っているが、

 栄養は昔の天然露地物の半分以下だそうだ。昔と同じ栄養をとるためには、倍以上の量を食べなければならない。旬がなくなり、年中手に入れることができ、品質?も一定で、当たり外れも少ない。その便利さの反面、栄養価は半減している。これは問題であり、なんとかせねばならない。ニワトリが先か卵が先か知らないが、商売を優先して供給するほうが悪いのか、わがままな消費者が悪いのか、いずれにしても、この悪循環を断ち切らなければならない。考え直すのは、まずは消費者であろう。ほんとうの野菜、果物の味を知って欲しい。また、健康に良くて、安全な農作物がどんなものなのかよく考える必要がある。

農業関係の仕事をしている知人がいて、

 よく農家の人からおみやげに農作物をもらうそうだが、午前中に声をかけられても、予約だけして、午後の帰りがけに自分で収穫してもらって帰り、その日のうちに食べるそうだ。ひとつのこだわりかもしれないが、農作物は収穫したあとは、時間単位で味が落ちてゆく。これは明確に舌でわかるほどだという。

そばやうどんを自分で打つ人がいて、粉も石臼で自分で挽く。

 ある時、「そこまでこだわらなくても、製粉は機械でやっても同じじゃないのか」、と尋ねたら、「自分も最初はそう思ったけれども、不思議なことにできあがりはまったく違うものになる」という。機械での製粉は、ただ、「粉」にする目的だけでしか機能していないようで、おいしいうどんやそばを作るためではないようだ。その人に言わせると、電子レンジも同じで、食物の細胞を破壊しているようなもので、調理法としては好まないと言う。便利さを追求すると本物の味を失う。

この頃スーパーに人工栽培の野菜が出ている。

 仕方なく買っているが、私はあまり好まない。水と人工の肥料と照明で育てられている。野菜の栄養の本質はミネラルである。ミネラルとは様々な希少元素の総称でもある。そしてミネラルは自然の水や、大地や、微生物や、動物が作り出すものである。人工栽培ではこれが欠落してしまう。形は野菜だが、必要な栄養素は足りないと思う。こんな野菜ばっかり食べてたら身体に変調を来すと思う。いや、すでに変調を来しているかも知れない。

世は情報化による流通革命が起きようとしている。

 もし、供給する側で、農産物の流通を改善しようとするのであれば、規格化や均一化、一定供給や歩留まり、効率化や合理化を考えるだけでなく、最も食べ頃の旬のものを取れたてで供給することを考えたらどうだろう。栄養豊富なものをおいしく食べられるのなら消費者も少々高くても利用するし、生産者と消費者が情報を交換し合うことにより、無理、無駄、ムラがなくなり、生産者は本来の農業に専念でき、消費者は良質で安全なのものを自由に選択できる。情報化社会で流通革命が叫ばれている現在、決して不可能なことではないと思われる。

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