僕は「運河」「星座」の両誌に作品を発表しています。謂わば「両属」している訳です。以前より気になっていた「短歌は文学である」「文学には主題がある」ということを、「星座」に発表する機会がありました。その内容は、 . . . 本文を読む
今年は石川啄木の没後100年に当たります。また斎藤茂吉の生誕130年の年でもあります。さらに来年は斎藤茂吉の没後60年になります。そのせいか近代短歌の再評価がされつつあるように感じられます。しかし、そこには意外な落とし穴がある様に思えるのです。 . . . 本文を読む
思想と文学の問題。短歌に限らず常に問われるものですが、ここでは短歌との関係を、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論を手掛かりに考えます。特に佐太郎は「社会性・時代性がない」「思想的白痴」などと揶揄されたことがあり、その論をそのまま鵜呑みにしている人が未だに少なくありませんので。・・・ . . . 本文を読む
何年か前の総合誌に「作品の添削と世界観」というタイトルの特集か記事があったと記憶しています。「作品の添削」という言葉を「結社・同人誌」と読み変えたとき、少し違った角度からの「短歌結社」のありかたが見えてくると思います。今日はこの話を少し。・・・ . . . 本文を読む
「短歌の時代性」。この言葉を初めて聞いたのは、ある短歌大会の表彰式でのこと。その時は、時事問題との関連で話されていたのですが、このごろ違う角度から考えるようになりました。それは・・・ . . . 本文を読む
明治維新。文化の洋風化のなかで忘れられようとしていた日本文化を「再発見」したのは、フェノロサとラフカディオ=ハーン(小泉八雲)でした。ひとつの文化が大きな変容期を迎えたときには、えてしてありうることですが、前衛短歌にもそういったものがなかったでしょうか。・・・ . . . 本文を読む
「前衛短歌」。この終戦直後の文芸思潮が目指したもの。それは「近代との決別」であったように思います。そのために是非とも乗り越えなければならない歌人。それこそ斎藤茂吉だったように思います。僕の「前衛短歌論・私見」これが最後です。・・・ . . . 本文を読む
「前衛短歌」この文芸思潮が戦争体験を重く受け止めていたことは前回述べました。もうひとつ特徴として「難解性」があるように思います。これはどこからくるのでしょうか。僕の私見です。・・・ . . . 本文を読む
塚本邦雄・岡井隆・寺山修司・中条ふみ子・葛原妙子。戦後の「前衛短歌」と呼ばれる歌人たちですが、彼らは何を目指したのでしょうか。この辺で俯瞰してみたいと思います。(3回シリーズ)・・・ . . . 本文を読む