岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

短歌7首の主題(短歌は文学であり、主題を欠くことは出来ない)

2012年10月06日 23時59分59秒 | 私の短歌論
僕は「運河」「星座」の両誌に作品を発表しています。謂わば「両属」している訳です。以前より気になっていた「短歌は文学である」「文学には主題がある」ということを、「星座」に発表する機会がありました。その内容は、 . . . 本文を読む

近代短歌に学ぶということ:復古主義との相克

2012年08月24日 23時59分59秒 | 私の短歌論
今年は石川啄木の没後100年に当たります。また斎藤茂吉の生誕130年の年でもあります。さらに来年は斎藤茂吉の没後60年になります。そのせいか近代短歌の再評価がされつつあるように感じられます。しかし、そこには意外な落とし穴がある様に思えるのです。 . . . 本文を読む

斎藤茂吉の歌論を参考に:短歌と思想

2012年01月23日 23時59分59秒 | 私の短歌論
思想と文学の問題。短歌に限らず常に問われるものですが、ここでは短歌との関係を、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論を手掛かりに考えます。特に佐太郎は「社会性・時代性がない」「思想的白痴」などと揶揄されたことがあり、その論をそのまま鵜呑みにしている人が未だに少なくありませんので。・・・ . . . 本文を読む

前衛短歌によって残されたもの失われたもの

2010年08月23日 23時59分59秒 | 私の短歌論
明治維新。文化の洋風化のなかで忘れられようとしていた日本文化を「再発見」したのは、フェノロサとラフカディオ=ハーン(小泉八雲)でした。ひとつの文化が大きな変容期を迎えたときには、えてしてありうることですが、前衛短歌にもそういったものがなかったでしょうか。・・・ . . . 本文を読む