岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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「詩人の聲」:2014年12月

2014年12月25日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
「詩人の聲」2014年12月


1、天童大人 12月5日(金) 於)東京平和教会(駒込)

 天童は48回目の公演となる。ここ数回、聲に出し続けていた、「私の叙事詩」「ウオルタービッドの雪」「長編詩ピコ・デ・ヨーロッパの雪」と、題名を含めて、模索してきた作品を読んだ。僕が鎌倉で所用があって、東海道線、中央線がともに遅れが出たため待って頂いたので、開演が30分遅れた。これが原因で天童の聲のコンディションは万全ではなかった。

 僕としては申し訳ない気持ちだったのだが待って頂いた。この作品は初期の段階から、聴いている。作者が詩人としての心の修練・聲の鍛錬をした経過が、叙事詩として表現されている。作者は「散文か、長編詩か」悩んでいたが、作品はリフレイン、言葉の省略を、用いており、これは明らかに叙事詩だ。作者の若い頃の原点を確認する自伝的叙事詩で、これをまとめないと、天童は前へ進めないようだ。作品は完成に近づいている。

 冒険談あり、驚きあり。従来の「詩」にはなかった非常に独特な作品だ。だからこそ、題名に悩んでいるのだろう。(後日、題名が決まったと聞いた。)


2、照井良平 12月7日(日) 於)キャシュキャシュダール(自由が丘)

 照井は「奇跡の一本松」で知られた陸前高田の出身。4回目の公演だが、地元で何度も「朗読」をしており、聲、作品とも、すでに完成している。『ガレキのことばで語れ』で、坪井繁治賞を受賞している。(このブログの「書評・文学歴史」を参照されたい。)

 震災を素材とした作品は難しい。事実報告的になり易いし、他人事にもなり易い。だが照井の詩集が成功したのは、故郷への愛情があるからだ。この日の作品は『ガレキのことばで語れ』以降のものが読まれたが、方言の駆使、生活の中の抒情を、言葉を飾らず表現している。社会への批判的な視点、いかに生きるかという問い、これらが、しずかに語られるように読まれた。だが、震災を素材としたものは、悲痛なほどの叫びを思わせる。


3、福田知子 12月15日(月) キャシュキャシュダール(自由が丘)

 福田は26回目の公演になる。張りのある、リズミカルな聲で作品が読まれる。プロメテウスを題材とした作品が、明らかに変化していた。前回は神話をなぞるものだったのだが、今回は、自分の感じた抒情と結びついていた。理知的で硬質な抒情だが、意味性が強く、ときに説明的になる。僕の印象では、対馬で聲を奉納した直後が、一番充実していたっように思う。

 自分の資質に合った詩世界を見つける必要があるだろう。それは、このブログで紹介した、『ノスタルギー』とは、かなり異なった作品となる予感がする。


4、竹内美智代 12月16日(火) ギャルリー東京ユニマテ(京橋)

 32回目の公演。抑揚のある力強い言葉で、作品が読まれていく。鹿児島弁を駆使した作品が、独特の世界を作っているが、鹿児島弁を使わない作品も読まれた。作者の根底に有るものは、郷土愛だ。照井と違って、リアリズムではないが、郷土愛が強烈に伝わって来る。

 方言が、単に言葉の修辞として感じられないのは、この実感の強さがあるからだろう。「川内原発」の作品が度々読まれるが、ここにそれが表れているように思う。


5、田中健太郎 12月17日(水) ギャルリー東京ユニマテ

 34回目の公演。今回は、『ビル新聞』に連載しているエッセイ「私の1200字」が読まれた。題材は、音楽、映画、演劇、詩歌、写真、絵画、社会問題と多岐に渡るが、一貫しているのは、「人間への愛おしみ」があることだ。詩集『犬釘』がそうだが、これが作者の資質なのだろう。 

 このプロジェクトで感じるのは、完成度が高い作品を作る詩人は、自分の資質に合った作品を作っている。だから、言葉が借り物ではないし、実感があり、言葉に無理がない。それが個性となるのだろう。


6、柴田友理 12月22日(月)

 29回目の公演。前回の公演の後、体調を崩し故郷に帰った。かなり間があいたので、緊張したという。いわば今回が、カムバック第一戦だが、作品が様変わりしているのに驚いた。新作が前半に読まれたが、どの作品にも問いがある。「人間とは何か」「おのれとは何か」「生きるとは何か」「世界とは何か」。こういったテーマが、次々と読まれる。

 おそらく病気療養のなかで、いろいろと考えたのだろう。それが人間に対する洞察となっている。今後これを、どう深めていくかが、問題だろう。「聲よし、顔よし、作品よし」の、見事な復帰戦だった。仲間が駆けつけ、懇談会は、復帰祝、忘年会、クリスマスパーティーとなった。

この柴田の公演で、今年の「詩人の聲」は最終公演だったが、多くの事を学んだ。これは別の記事にしたいと思う。




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