・さわがしき海の光と思ふとき渚の光あはれしづけし・
「群丘」所収。1960年(昭和35年)作。
佐太郎自身による自註がある。
「これは九十九里浜の作で、波の音、波の光で海はさわがしいが、渚の光は静かだというのである。< 渚 >は範囲がやや広く、波の寄る渚のところから砂浜まであるが、動く海に対して< 渚 >として受けとってもらえばありがたい。」(「作歌の足跡-< 海雲 >自註-」)
「渚」という語はどことなく甘美な語感があるが、結句の「あはれしずけし」というやや古風な表現がその甘さを消す。「さわがしき海の光」と「渚の光・しづけし」という対照的なものの「発見」も一首の核心である。
九十九里の砂浜に立っての叙景歌だが、伊藤左千夫の作品、例えば
・九十九里の磯のたひらは天地(あめつち)の四方(よも)の寄合に雲たむろせり・
とは余程違う。簡単に言えば、佐太郎の作品のほうが繊細で実景のなかに主観が関係づけられている。「客観・主観の一体化」だが、佐太郎が若いころは伊藤左千夫を読むように斎藤茂吉から勧められたそうである。
佐太郎が茂吉の業績に「新」を積んだことを昨日の記事に書いたが、この九十九里の歌は佐太郎が伊藤左千夫の業績にも「新」を積んだことを示す。
つまり佐太郎は斎藤茂吉の業績だけでなく、伊藤左千夫の業績にも「新」を積んだことになる。その「新」がどこから来ているかと言えば、それは佐太郎の性格・資質によるのだろう。ややか細い都市生活者としてのそれである。年譜にある「神経衰弱にかかった」(今西幹一・長沢一作著「佐藤佐太郎」)もそのひとつだろう。
「新しさは結局相対的なもの」と奥田亡羊は言い、穂村弘は新しさを常に「文体」の面からのみ論ずるが、「新」作者個人の資質から出てくるものだと僕は思っている。