斎藤茂吉は戦時下の言動の責任を厳しく問われた。中でも『萬軍』は、その最たるもので、戦意高揚のプロパガンダ的な作品が多く収録されるはずだった。
終戦で『萬軍』は日の目を見なかったが、先ごろ秋葉四郎によって復元された。『萬軍』の全貌が正確な資料に基づいて「復刊」されたのだから、資料価値は高い。
秋葉四郎は「徹底的検証」と名を打ってあるが、秋葉の著書『茂吉の幻の歌集「萬軍」』は、「徹底的検証」にはなっていない。
なせなら斎藤茂吉の言動の評価をしていないからだ。「検証」とは問題の本質を掘り下げ、問題点を洗い出すことにある。だが秋葉の著書にはそれがない。「検証」としては致命的だ。
これに関し、「短歌研究」2月号に秋葉の「特別エッセイ」が収録されている。短文だが内容は三部構成になっている。
1、戦中は斎藤茂吉に限らず、他の歌人も「戦意高揚の歌」を発表している。
秋葉四郎が挙げている歌人は次の通り。斎藤茂吉、土岐善麿、窪田空穂、土屋文明、佐佐木信綱、佐藤佐太郎、尾上柴舟、斎藤史。
「茂吉の昂揚は、茂吉だけのものではなかったのである。」と秋葉は結ぶ。
2、それらの歌人が、茂吉の『萬軍』と同じような歌集を編みながら、終戦と同時に、戦時下の作を外して、歌集を出している。
・土屋文明「韮青集」、佐佐木信綱「黎明」、土岐善麿「秋晴」、岡麓「土大根(つちおおね)。
「(これらの歌集は)愛国歌を削り、新しい歌も添えて編集をしなおして、『新日本歌集』になっているように思えてならないのだ。」と秋葉は述べる。
3、戦意高揚に一役買ったのは、自由詩も同じだった。
・「戦争詩集」「皇紀2600年奉祝歌謡集」など11篇の詩集を挙げ、「(これは秋葉が)リストアップした、うちの三分の一ほどのものである。」と秋葉は述べる。
そして結論。「(これらのことは)戦争が悪いのであって、その中に翻弄される個人を責め得るものは只一人もいないのである。」と秋葉は結ぶ。
これが秋葉四郎の「特別エッセイ」の大要。問題点は後半に二つほどある。
1、秋葉は「戦争が悪い」と言うが、戦争を起こすのも、煽るのも人間である。人間の行動には責任が伴う。「他の歌人も『愛国歌』を詠つた」「詩人も『愛国詩集』を作ったとか、これは言い訳に過ぎない。
2、斎藤茂吉自身が「戦争の歌の評価は歴史が決める」と言っているのを秋葉は紹介している。だが秋葉自身は斎藤茂吉を庇う事に終始している。2013年は茂吉没後60年である。「戦争の歌の評価を下す」のに時間が短すぎるということはないだろう。
従ってこう結論付得ざるを得ない。秋葉のいい様は、師匠筋を庇っているだけだ、と。
この問題は「茂吉の負の遺産」だと僕は思っている。斎藤茂吉は、僕にとっても師匠筋だが、庇う事によって、歌人:斎藤茂吉の秀歌まで批判の対象となり、正当な評価をむしろ妨げるものだ、と思う。
尚、秋葉氏の師匠を庇うだけの研究態度は、過去の「日本大学国文学会」で厳しく批判されている。(報告者:今西幹一)
詳しくは、この夏に出版される僕の著作「斎藤茂吉と佐藤佐太郎」で詳しく解明する予定。