「詩人の聲」2015年2月(2)
5.神泉薫 2月21日(土) 於)キャシュキャシュダール
神泉は、中村恵美の名前で第8回中原中也賞を受賞した詩人だ。神泉と名を変えて、『あおい、母』という詩集を出版している。このブログの書評にも書いた。その神泉が今取り組んでいるのは、生け花作家の中川幸夫を素材に作品化することだ。
前回の「ギャラリー華」以来の公演で、45回目。中川幸夫のについての作品は前回から聲に載せられていた。だが前回はまだ主題が未消化で、印象が鮮明ではなかった。
ところが今回は、冒頭に人間の命、花の命を表現した作品があり、主題が鮮明となった。「生け花」は読んで字のごとく「花をいかす」芸術だ。それは「花の命」を活かすことだ。だから冒頭の人間の命、花の命を表現した作品が、見事な効果をあげている。神泉はおそらくこの一連の作品で詩集を編むだろう。
作品に主題があるように、詩集にも主題がある。まだ作品が揃っていないので、少し時間が余ったが、余計なものは読まなかったわけで。そういう覚悟の伝わってくる公演だった。
6.清水弘子 2月26日(木) 於)キャシュキャシュダール
清水は9回目の公演だった。上京するたびに他の詩人の聲を聴いているのが、作品を進展させている。言葉遊びが消えた。情景が人間の心情を暗示する作品も作られた。自分への問い、自分はどういう存在か、切なさとユーモア、他人への愛おしみが作品化されている。
数字に関する作品が読まれた。これが前々回の「ギャラリー華」での公演では、言葉遊びだったが、今回は自分への愛おしみを表現するものとなっていた。
作品には、鳥への憧れを表現したものもあったが、これはフェイスブックの清水の記事や、清水の日常会話と同じトーンだ。清水の持つ資質が作品化されているのが窺える。
これらの作品は清水の世界観から滲み出た趣きがある。だから作品が借りものの言葉でなく、清水の言葉で表現されている。それが清水の独自性ともなっている。
7.筏丸けいこ 2月28日(土)キャシュキャシュダール
筏丸は30回目の公演だった。彼女は聲もリズムも絶好調だ。飾らない言葉で、春の訪れが作品化されている。丁寧な言葉で、自分の存在意義、他者との関係、人間の寂しさ、などを、聴いていす者に連想させる作品群だった。
自然をモチーフとした作品もあったが、その作品を含めて、人間を深く掘り下げようという姿勢が感じられるものだった。詩歌が文学である限り、人間や社会を深く掘り下げたものが作品に要求される。
筏丸はそれを見事に表現しつつある。最後に都々逸のリズムを持った作品が読まれた。これは江戸っ子の「粋」を表現した面持のもので、筏丸の独自性だ。
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