天童大人プロデュース 「詩人の聲」天童大人 於)NPO法人東京自由大学
天童大人の朗唱を聞くのは2回目。今回は今年の「イラクでの詩人の集い」の時に作った「バビロン詩篇」と、詩人になる前、若い時のことを表現した「わたしの叙事詩」の、長編詩2編だった。
まず「バビロン詩篇」。日本の外務省によれば、「イラクは渡航自粛地域」だが、天童大人の渡航の際には、危険なことは何一つ起こらなかったという。作品には戦争の不条理を訴える力があったように思った。「イラクに行った米軍、日本の自衛隊員に家庭崩壊、自殺、精神疾患の多いことが詩を通して表現される。
「帰国後のパソコンに外務省の担当官から『渡航自粛』のメールが送信されていた。」
という表現で詩は終わる。
次に「わたし叙事詩」。これは天童自身が若い時に経験したことが表現されている。
「30歳までにこの国を出なければ、一生この国から出られない。」とある人に言われたこと。その言葉の通り、旧ソ連からヨーロッパを巡り、スペインに長期滞在したことが、詩で語られる。
「この経験がなかったら、今の私はないだろう。あれが一体なんだったのかと今でも考える」と天童は言う。自分の原体験、自分は何故詩を作るのか、自問自答しているようだった。短歌には「吾とは一体何か」と自己凝視するということがある。それと同じことを、天童はやっている。「人間を描くことが芸術の目的」だとすれば、先ず「己とは何か」という問題にぶつかるだろう。
「40枚の作品を、30枚まで絞った。」と天童は言う。まだ完成作品ではないようだ。
答えはない。考えることに意味がある。「人間とは何か」「己とは何か」に模範解答が出来てしまっては、芸術は存在意義を失う。そんなことも考えてみた。
天童にしては珍しく、風邪の為、声が出し難かったようなので、持参していた「のど飴」を一つ渡した。
「岩田さん。そろそろ靴の事を考えなさい。」と天童から言われた。「底の浅い靴がいい。場の力を受けられるから。柴田は裸足でやっている。裸足もいいが、床が冷たいと体が冷えるからね。」また一つ教わった。
このプロジェクトに関わるようになって、まだ2か月だが、様々な発見があった。
「詩は体全体で読むもの」「体全体で聞くもの」ということ。もしかしたら、創作する時も体全体で行うものかも知れない。
このプロジェクトの予定は、11月、12月と決定している。
問い合わせ、申し込みは、北十字舎(03-5982-1834)。
プロジェクトの日程は、URL:http://projetlavoixdespote.jimdo.com/