霧が丘短歌会2016年12月 於)団地集会所
この短歌会は会員はさほど多くない。だが受講者が大変に熱心なのが大きな特徴だ。時には僕を質問攻めにする。何故、何故。という質問が相次ぐ。「短歌でこういう言葉使いはおかしいのでしょうか。」などともいわれる。「短歌でおかしいのではなく一首のなかで言葉が馴染んでいるかが問題なんです。」と僕は答える。
意味が通るかどうかに質問が集中する場合もある。塚本邦雄の難解な作品があるじゃあないか。ここが肝心なので丁寧に答えることにしている。
「塚本邦雄は象徴派の歌人です。サンボリズムとも言います。自由詩の吉田一穂のように理屈を言う。説明する。これがなくても読んだあとに印象が強烈に感じられます。この作品はこうだとあれこれ解説しなければならない作品は話になりません。塚本邦雄のような作品が作れるなら作ってください。」と僕は答える。
「分からないところがあるのが良い作品だ」と歌壇の大家と言われる歌人が言う。だがこれは間違っている。塚本邦雄の作品はそんなに甘いものではない。また思想性もある。福島泰樹が言うように塚本邦雄の作品はには反戦思想が根底にある。言葉の遊びではない。
このブログかコメントの書きこみが出来ないように設定しているのはブログをはじめたときに軽い短歌を批判した。「ゲーム感覚でいいじゃあありませんか」という匿名のコメントがあった。反論しようと思ったが相手が誰かわんからない。返事もできない。こういう無責任な発言につきあっている暇はない。
また佐藤佐太郎の作品についても明らかな誤読が真夜中にコメントが書き込まれていた。こういうことにこたえている暇もない。だからブログをコメントできないように設定した。
短歌をゲーム感覚で作ってもらってもかまわない。だがそういうコメントといちいちつきあっている時間はない。
短歌は文学であり「現代の定型詩である」と僕は考えている。ゲーム感覚、遊び感覚で作歌しているには是非『現代詩手帖』を読んでほしい。12月号の『現代詩年鑑』だけでもいい。詩人が如何に現代社会や人間と格闘しているかがわかるだろう。
『星座』の尾崎左永子主筆の作品を12首『現代短歌の鑑賞101』から抜粋して読んだ。短歌はゲームでも言葉遊びでも感想文でもない。
引き続き会員を募集する。会場は横浜市緑区霧が丘。連絡先045-922-5542(岩田自宅)。
新春は1月23日10:00から。