「星座α」第26回歌会 3月13日 於)浄妙寺石窯ガーデンテラス
「星座α」は短歌の研修誌である。「α」とは、ABCの「A」のこと。文字通り初心者が会員の多くを占めて出発した。無論「星座」の会員も少なからずいる。創刊以来何年が経っただろう。歌会に意欲的に参加している会員は、もはや初心者の域を脱した観がある。
この雑誌の主筆は、尾崎左永子。このごろとみに「あなた方はもう初心者ではない。」と言うようになってきた。
僕は創刊直後に入会したが、会の「参与」として、お手伝いをしている。これが実質的な選者だった。「星座」の選者は、「星座α」の顧問となり、僕は選者修行をさせてもらった。数年後僕は「星座」の選者となった。選者としての研修をしたのだ。文字通り、会員全員の研鑽の場だ。
「星座α」の定例歌会は奇数月に開催される。鎌倉浄妙寺のご好意で、「無庵」という建物も「星座α」の編集作業などに使わせて頂いている。歌会もここ数年は「無庵」で開かれていたが、今回から、石窯ガーデンの二階を、毎回の歌会で使わせて頂けることとなった。
「詩人の聲」もそうだが「継続は力なり」。着実に活動を続けてきたからだろうか。この頃は歌会や、作品にも活気が出て来たように思う。
特に尾崎主筆が『佐藤佐太郎秀歌私見』(角川学芸出版)を刊行してからは、自分たちの作歌活動が、現代の歌壇に大いなる意義があると、考えるひとも多くなった。僕もそう認識している。「星座」が初めて『短歌』の短歌年鑑に会員募集の広告を掲載したのにも、その意欲があらわれているように思う。
出詠作品の多くは、作者の独自性が出る様になってきた。尾崎主筆の講評も、「星座かまくら歌会」と同様に辛口になってきた。それを受けとめられるほどに、会員の作品に進展があったのだろう。
尾崎主筆の講評の基本線はかわらない。「短歌は定型の現代詩である」という考えに裏付けられている。しかし参加者が、明らかに手ごたえを感じているのが、活気の原因の一番だろう。
昨年は、尾崎主筆の健康状態が心配されたが、今は心配がない。僕も「星座α」で、様々なことを学んだ。「星座」「星座α」に育てられたと言っても、いいだろう。今後も一層の進展を図りたい。
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