霧が丘短歌会は、僕の自宅の近く、徒歩30秒のところで行われる。縁あって遠く、東北地方からの参加者もあり、神奈川文化センター(若葉台カルチャースクール)から「移籍」した会員もあり、小さいながら活気に満ちている。
当初東北地方に住む会員は、年2回の参加の「通信添削会員」だったが、ご家族の協力があり、毎回参加している。引き続き「通信添削会員」を募集しているので、希望者は岩田までご連絡を。(携帯電話、090-8017-9217)
参加者に活気があるのは、会員が熱心なことと、会員の作品がみるみる上達していることにもよる。
各種の短歌大会で入選、或いは「星座α」の作品批評の常連もいて、話題にこと欠かない。僕も「深く、わかりやすく話す」ということを心がけている。
そのようなことが、重なって雰囲気が作られるのだが、全体としてよい方向へむかっている。
大事なのは、「短歌を読む」「短歌を詠む」「歌論(作品批評)を詠む」を勧めていること。逆に「誉められよう」「自慢しよう」「目立とう」の三つを戒めていること。
成果も徐々に現われている。詠草が力作になり、皆が辞書を引き、読書をしている。「運河」「星座α」「所属なし」とさまざま。だが熱心さは共通だ。
短歌大会の入選だけが成果ではないのは勿論だから、そういうことも追々話して行こうと思う。
・「一気に読みくだす(終止は一か所)」。「言葉を選ぶ」「言葉を削る」。
・「一瞬を切り取る」「口語と文語と、和語と漢語とのバランスを作品のなかで調節する」。
・「感動の中心はどこかを考える」。「読者に伝わるようにする」。
など僕が学んだことは、すべて惜しまず伝えるようにしている。伝えても、一人一人が独自のものを持っているから、惜しむ必要はない。
「楽しく、力まず、元気よく」を心がけて、皆張り切っている。
:おもな素材:
住居、年齢、仕事、短歌以外の関心がしれぞれだから、叙景歌でも切りとり方、表現の仕方はいろいろである。だがそれでいい。それこそが個性だ。
歌歴の長い会員は、段々と「ものを見る目」が養われてきて、頼もしい。早く修得する人もいるし、徐々に修得する人もいる。
団地に住む会員は、団地のなかの自然を詠み、地方に住む会員はその土地の自然を詠む。それでいい。
:学びの場:
会員は勿論だが、教える立場にある僕も、発見、最発見の連続。このブログを熱心に読む会員もいる。それが「学び」だ。
時々「運河」「星座」「角川短歌」などの僕の作品を学習のネタにすることもある。それから、歌集を読むこと。「星座」の尾崎左永子主筆の歌集も読んでいる。
僕を含めて全員がそうしている。僕も教えるとともに、僕にとっての学びの場でもある。