歌集「歩道」の出版は1940年(昭和15年)。八雲書林の「新風十人」に選ばれた直後だが、これに選ばれたことが歌集出版の動機になったことは大いに考えられる。
その他に、
(1)「写生を柔軟に独創的に受けとめたこと」
(2)「佐太郎が完成した技法・表現力をもっていたこと」
(3)「< 佐太郎調 >という独特の調子をもっていたこと」
などが「佐藤佐太郎集第一巻・解説」で挙げられている。僕はそれに加えて「シャープな都市詠を切り拓いたこと」が挙げられると思うが、戦後、佐太郎が起こした結社名が「歩道」であることを考えると、佐太郎にとっては特別な意味があったと思われる。なお刊行時の佐太郎の年齢は31歳だが、作品は20歳代後半のものが多い。
歌集「歩道」の作品は年次別になっているため、必ずしも巻頭歌に特別な意味はないかも知れない。しかし、巻頭歌は歌集の顔。「昭和8年」という最初の収録年次のものが74首あるなかで巻頭にもってきたことに、やはり何がしかの意味があるだろう。
・敷きしままの床かたづくるもまれにして家に居るけふは畳冷たし・
これが巻頭歌だが「軽風」の巻頭歌同様、都会の一人暮らしの青年の孤独感があらわれている。それまでのアララギにはなかった傾向である。「気弱で繊細な青年の孤独」(田中子之吉)・「臆病な小市民」(坪野哲久)・「戦争と距離をおく良心的保身」(山本司)などと様々に評価されるが、「青年の孤独感」ということでは共通している。
あまり目立たない作品だが、「歩道」集中に出てくる「都市詠」の導入としては十分な役割を果たしているといえよう。