宇ゐの里山徒然記

町屋暮らしの後、2013年10月北山杉の里、右京区京北町に移り住みました。
周辺の紹介と暮らしの事など綴ります。

小野小町の隨心院へ

2005年11月09日 | 京都風景
今回は!お天気がよかったので着物を着て出かけた 

真言宗善通寺派の大本山隨心院は仁海僧正の開基にして建立されたのだが
その仁海僧正生誕1050年記念の秋の特別拝観である。

この度仕事でお世話になった書家の西村先生が、隨心院に作品を展示されていて
幸いご本人にもお会いすることができた。
とても気さくで素敵な先生である。
色々伺っていると なんと今年のトヨタカップの公式ユニフォームの文字を書かれているとのことである。
先生の書かれた文字が世界へ発信されているのだ
すごいなぁ。

日本が国際的になればなるほど『和風』のものが世界へ発信されることになるのだと
つくづく思った。
実際私が着物の仕事を始めてからは仕事で外国へ行くこともあった。
イベント等での日本のアピールはやはり着ている物からということに
なるのだろう。
以前 オーストラリアで“ミスオーストラリア”に着物を着せたことがあったが
ほんっっっっとに 似合ってなかった・・・・ 
舞台衣装という感じで、胴が短いのが着物にはほんとにバランスが悪いものだと実感したのである。
しかもダイナマイトバディ系の体型なので着物独特の“筒状”に補正することが
困難なことこの上ない。
確か、晒でバストを押さえてしまった記憶がある

ところで隨心院は小野小町縁のお寺である。
平安時代、小町が30歳を過ぎて更衣としての宮仕えをやめ
隨心院のある小野の里に引きこもって晩年の余生を送ったと伝えられている。
また、この地に語り伝えられている深草少将の百夜通(ももよがよい)の話は有名だ。
その際に小町が深草少将の通ってくる度に榧(かや)の実を糸に綴っていた。
後にその実を播いたとされ、かつてはその榧の木が九十九本あったと伝えられている。

なるほど、それで“百夜”通いになるのだ。。。 



京都はメジャーなお寺が多いので主な観光客はそちらへいってしまうが、
隨心院は庭の苔も美しく、歴史的にもファンタジー性の強いかなりの穴場である。
山科にあるので観光客も“ついで”にはならないのだろう。

今回はお寺の中だったので次には小町ゆかりの『化粧の井戸』や建物周辺も
ゆっくり見に行きたい。
もう井戸は枯れているんだろうなぁ。。。。。
(枯れていなかったらその水で顔を洗って・・・・・・) 
       
     

    (化粧が落ちる・・・・)
    



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