亀山房代さん(タレント)が死去(読売新聞) - goo ニュース
亀山房代さんに初めてお会いしたのは、私が大学を卒業した、1985(昭和60)年の秋だったと思う。
ラジオ大阪の当時の新番組「2丁目ダウンタウン」中に流れるCMのナレーションを録りにいった、旧関テレ近くのスタジオだった。
私にとっては2つ目のお仕事となったその録音を終えて、ブースから出てくると、マネージャーらしき男性に連れられた小柄な女の子が、シャキシャキっと頭を下げた。
「カメヤマフサヨデス! ヨロシクオネガシマス!」
その風貌、出で立ち、声……、どれも個性なエネルギーを爆発させている感じで、まるで異星人のよう。私に強烈な第一印象を植え付けてくれた。
それから11年が過ぎた1996(平成8)に、サンテレビで放送された「吉本テレビショッピング」で、亀山さんはMC、私は商品プレゼンターとして再会。
さすがに昔の私のことはご記憶になかったようだが、デビューして間もなかった当時の、あのラジオ番組のことを細かく楽しくお話して下さった。
またいつか、どこかでお仕事をご一緒出来ることを楽しみにしていたのだが……、叶わぬこととなってしまった。
誠に悲しい……。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
亀山房代さんに初めてお会いしたのは、私が大学を卒業した、1985(昭和60)年の秋だったと思う。
ラジオ大阪の当時の新番組「2丁目ダウンタウン」中に流れるCMのナレーションを録りにいった、旧関テレ近くのスタジオだった。
私にとっては2つ目のお仕事となったその録音を終えて、ブースから出てくると、マネージャーらしき男性に連れられた小柄な女の子が、シャキシャキっと頭を下げた。
「カメヤマフサヨデス! ヨロシクオネガシマス!」
その風貌、出で立ち、声……、どれも個性なエネルギーを爆発させている感じで、まるで異星人のよう。私に強烈な第一印象を植え付けてくれた。
それから11年が過ぎた1996(平成8)に、サンテレビで放送された「吉本テレビショッピング」で、亀山さんはMC、私は商品プレゼンターとして再会。
さすがに昔の私のことはご記憶になかったようだが、デビューして間もなかった当時の、あのラジオ番組のことを細かく楽しくお話して下さった。
またいつか、どこかでお仕事をご一緒出来ることを楽しみにしていたのだが……、叶わぬこととなってしまった。
誠に悲しい……。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。