Facebookのお友達が。木曽地方に伝わる「すんき」というお漬物をのせた
「すんき蕎麦」の写真を投稿されていました。
【すんき蕎麦】
お蕎麦もおいしそうなのですが、私が興味を持ったのは「すんき」。
似たような名前で「すぐき」というお漬物が京都にあるから、
それが木曽地方では「すんき」と呼ばれているのかな…と思っていました。
【京都のすぐき】
ところが、「すんき」と「すぐき」は全く別物。
乳酸発酵させた漬物という点は共通していますが、
京都の「すぐき」は酢茎菜というかぶの変種の葉と実(胚軸)両方を使い、
塩漬けした後、室の中で乳酸発酵させたもの。
一方、木曽の「すんき」は赤かぶの葉を使った無塩の乳酸発酵の漬物です。
漬物なのに塩を使っていない!? (@_@。
でも、その昔、海岸で作られた塩が木曽まで届くことはまれで、
大変な貴重品だったと言われています。
塩を使わずに、冬場でも野菜が摂れるようにと保存食を作り上げたのは
先人の知恵でしょう。
でも、名前がとてもよく似ているということは、
京都の「すぐき」が何らかの方法で木曽地方に入ってきて、
それに似たようなものを作り上げようとしたからなのかしら?
「すんき」の語源が気になって、この数週間は暇さえあれば
「すぐき」と「すんき」について調べていました。
こんな説が見つかりました。
●かつて京都から移り住んだ人が「すぐき」を元に作った。
(しかし、地元ではこの説に反対する人が多いようです。)
●元禄元年(1688年頃)、松尾芭蕉門下の句会において、
芭蕉と弟子が読んだ連句の中に
「木曽の酢茎に春も暮れつつ」という一句が見られ、
「酢茎は山家の食べ物としてのあしらいに供せられている。」
と記録されている。
この「酢茎」が訛って「すんき」になったと考えられている。
●元文5年(1740年)、尾張藩士三村森軒による
「薬草見分信州木曽山道道中記」の中に
「木曽谷中村においてスグキと云ハ、大根葉を湯煮して
桶に入レ置て、来年夏迄の食物とするに、風味不変・・・」とある。
京都の「スグキ」と同じ呼び方ではあるが、製造工程を見ると、
これは「すんき」であると想像される。
つまり、京都から伝わったかどうかは不明ですが、
大昔、「すんき」は「すぐき(酢茎)」と呼ばれていたことは確かなようです。
ここで、京都の「すぐき」に目を向けてみましょう。
京都の「すぐき」は酢茎菜から作られていますが、
どう考えても、酢茎菜という名前の野菜が先にあって、
それを使って作る漬物が「酢茎」と呼ばれるようになったというのは
考えにくいような気がします。
1.かぶのような野菜を塩漬けにして、
室に置いておいたら酸っぱい漬物ができた。
↓
2.その漬物を酢茎と呼び、
それに使われる野菜が酢茎菜と呼ばれるようになった。
この順番の方が自然の流れに思えます。
では、京都から伝わったのではなく、
単独で木曽地方にあのような乳酸発酵の無塩の漬物が生まれた・・・
と仮定して、どうして別々の地域で生まれた漬物が
「酢茎」と同じ名前で呼ばれたのでしょうか?
ここで取り出してきたのが、小学館の日本語源大辞典です。
この辞典で「茎」の語源を調べてみると、
「枝葉をクク(含)める部分であることから、ククミ(含)の義」
とあるのを見つけました。
ということは・・・
「酢茎」とは「酸味が口に含まれる」、「酸味が口の中に入っていく」
その様子を表した言葉ではないかというところまでたどり着きました。
京都の「すぐき」も、木曽で「すんき」に変化した「すぐき」も、
塩を使っているかいないかの違いはあっても、
ひとくち食べた時に、爽やかな酸味が
口いっぱいに広がっていったのではないでしょうか?
以上が、私個人が「すんき」と「すぐき」について調べたことを
まとめさせていただきました。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
検索したら写真を見ただけでも
全くの別物とわかりました。
勉強になります~(^-^*)
「岡山 千枚漬け」で検索したら「切り千枚漬け」というものが出てきて、
見た目がすぐきに似ていると思いました。
お漬物も地域によって、ずいぶん違いますね。
だしと同じだぁ~!! ヽ(^。^)ノ