楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

趣味は将棋!と言いたいけれど

2022年06月19日 | 2022年日記
小学生のころ、善は放課後に学童保育のお世話になっていた。
毎日とても楽しかったようで、
帰宅すると、その日あったことを私に生き生きと報告してきた。

ボードゲームを教わってきたときは、毎回私にルールを教えてくれた。
そして、実際に対戦をしてみる。
バックギャモンをしてみたり、チェスをしたり、将棋をしたり。
特に熱心に勝負をしていたのは将棋だった。
将棋のルールなど何も知らない私に、
善がすべての駒の動き方を教えてくれて、
それを見ていたおとんがなかなか立派な将棋盤を買ってくれて、
けっこう長い間二人で将棋をすることにはまっていたっけ。
駒の動きだけ知っている初心者二人が向かい合って。
坊主頭の小学生とおかんが向かい合って。

善が中学生になり部活を始めてからは、二人で勝負する時間もなくなり、
将棋盤は寂しそうに押し入れに収まっていた。

あの頃から数年が経ち、私はまた将棋にはまっている。
スマホに将棋アプリをダウンロードしたのがきっかけだ。
オンライン対戦は自信がないので、コンピューターと対戦している。
レベルがいくつもあって、詰め将棋とか、勝ち抜け将棋といって対極の途中の局面からスタートする勝負もある。
日課にしているのは、詰め将棋。
入門レベルと、そのひとつ上のレベルの詰め将棋を解くことが日課。
時間があるときは、勝ち抜け将棋も挑戦してみる。
将棋盤も時々押し入れから取り出して、
善か、善が勉強で忙しいときは将棋好きの友達に対局をお願いしている。
寂しそうだった将棋盤、少しは喜んでいるかな。

ちょっと前までは、三日坊主の私だったのに、
なんだかここ最近は、コツコツと続けるタイプに変化してきたような。
ヨガをコツコツ続けていたら、体の柔軟性が明らかに変わってきた。
将棋もコツコツ詰め将棋をしていたら、善や友達と対局してみると、
だんだん相手を苦しめる局面が増えてきた。
相手が「う~む」と唸っていると、ほっほっほと笑顔になってしまう。
まあ、善にも友達にも、今まで一回も勝ったことはないのだけれど。
押せ押せで攻めているぞ、ひょっとしたら勝てるのか、と思っていても、
あれよあれよと窮地に立たされて負けてしまう。
あっけない敗北を何度経験したことか。

人間相手に勝ったことはなくても、
趣味は将棋と言ってもよいですか。
なんとなく感覚がわかってきたところ。
今が楽しいとき。

6月19日  おかん

写真は誕生日に楽からもらった花束。ありがとう。




芸術は爆発だ

2022年06月18日 | 2022年日記
時々、善の芸術が爆発する。
ふとした瞬間に物づくりの魂が呼び起され、
集中力がマックスとなり、
あっという間に作品を仕上げる。

今回は、2種類の青い針金と、ペンチを持ち出した。
善がペンチを操り、くねくねと針金を捻っていく。
みるみる何かが出来上がっていく。
いったい何が出来るのだろう。

作品づくりに熱中する善の後ろ姿を眺める。
広すぎる肩、丸めた背中。
こんなにごつい体つきではなかったものの、
小さい頃も、同じように背中を丸めて、
急に何かを作り始めることがあったっけ。
善の芸術は急に爆発するのだ。

今回出来上がった作品は、
頭の小さな人間が、両手で、強大なチューリップを掲げているオブジェ。
脚を踏ん張り立っている。

私の誕生日のプレゼントだそうだ。
ありがとう。

家には今まで善が作った数々の作品たちが飾られている。
小学生の夏休みに作った大王グソクムシは、古株だ。

浪人生となって、勉強勉強の日々の善。
時には芸術を爆発させて、ストレス解消してもいいのかな。
そう思って、善が作品を作るに任せていた。

全然点数が取れなかった善だけれど、
この間の予備校の数学テストでは100点中94点も取れたそうな。
嬉しかったようで、家族lineにテストの写真を送ってきた。
成功の体験は、これからのモチベーションにもなる。
よくがんばったね、善。
おとんとおかんは、うれしくて、ほっほっほと笑っていたよ。

昨日は、高校時代の友達の家に泊まりにいった善。
高校時代の友達が大学生になった今も善を誘ってくれるなんて、
嬉しい。
なんだか息抜きが多すぎるとも思いつつも
おとんとおかんは、ほっほっほと笑ってしまった。

今日も明日も勉強勉強の善。
この体験はきっと何かを君に残してくれるね。
応援しているよ。

チューリップマンの作品、
ありがとう。

6月18日  おかん





3年日記

2022年06月17日 | 2022年日記
数年前の母の日にプレゼントしてもらった多肉植物に
最近変化があった。
つくしのような芽がひょろひょろと真ん中から伸びてきたのだ。
これは、もしや花が咲くのでは?
ちむどんどんな出来事だ。

数年間、階段のわきの窓辺にちょこんと座っている多肉植物。
葉がどんどん大きく育っていくわけでもなく、
茎がどんどん伸びて変化していくわけでもなく、
いつも変わらず、そのままの姿で、ちょこんと座っていた。
他の植物たちは騒々しく変化している。
あれ伸びすぎた、それ枯れちゃった、あら花が咲いた。
その間も多肉植物は、いつも変わらず、そのままの姿で、窓辺にいた。
だけど、実は変化していたのだね。
その中身ではぐんぐんと変化が進んでいて、
ある日突然、つくし状の芽となって、その変化が外へ出現して、
私を驚かせてくれた。

よっちゃんじいじ(父)が亡くなり、
としこばあば(母)の介護の心配もあり仕事を辞めた時、
3年日記を買ってみた。
書き始めて6カ月目。
長年続けてきた仕事を辞めてどうなっていくのだろうかと漠然と不安を感じていたとき、何か記録をしてみようと思いついたのだ。
日々の何気ないことを小さな枠に書き込んで一日を終える。
元気だったり、意気消沈していたり、うれしそうだったり、悲しそうだったりの、何の変哲もない日々。
読み返しても特に変化を感じない普通の日々だ。
そんな普通の日々が一日また一日と続いていく。

突然芽を伸ばし始めた多肉植物を見て思った。
こんな変化のない日々だけど、
何かが目に見えないところで変化をしているのかもしれない。
数年後に読み返してみて、
「えー!!この頃ってこんな風だったっけ?」
と驚くことになるのかもしれない。
何の変哲のない日々の連なりは、
意外と遠くへと私を連れて行くのかもしれない。
そう考えると、3年日記もちむどんどんだ。
ちむどんどんとは、沖縄の言葉でどきどきするという意味らしい。

最近は階段を上り下りするときは、
いつも立ち止まって、多肉植物の芽を観察する。
楽しい変化。
わくわくどきどき、ちむどんどん。

6月17日 おかん




心に空間を

2022年06月16日 | 2022年日記
昨日は友達に誘われて紫陽花を見に出かけた。
雨の中、ちょっとドライブで遠出して、小旅行。

先日母に
「たかぼう(私の弟)がいるから、おかんちゃん(私)は来なくてもいい」
と言われて、傷つき、なかなか心が前向きにならない日々。
友達の紫陽花ツアーのお誘いも、どうしようかな、行く元気がでないなあと悩んでいた。

それでもおとんにプレゼントしてもらったカメラを携えて出かけることに。

紫陽花の庭園に到着。
門をくぐって、石畳に導かれるままに入っていくと、
目に飛び込んできた。
青、紫、ピンク、赤、白、緑、色の洪水が目に飛び込んできた。
思わず大きな声で「すてき~!!」って叫んでしまったくらいの景色。
心の中に渦巻いていた悲しみ、失望、怒り、その他もろもろの負の感情が心から少し追い出されていって、空いた隙間に、たくさんの色と雨の音が入り込んできた。

早速カメラを取り出して、撮ってみる。
あれ?スマホと違ってなんだか難しい。
思ったようには撮れないものだ。
傘をさすことも忘れて、一心不乱に撮るも首をひねってばかり。
友達には「宝の持ち腐れという言葉があるそうな」とからかわれる始末。
思わず、大きなカメラを慣れた様子で構えている年配の男性に声をかけてしまった。
「すみません。これで紫陽花を撮ってもらえませんか?」
おじいさんは、決め台詞なのか、こんなことを言いつつ引き受けてくれた。
「60肩なもので、これ以上腕があがらないのだけれど」
そして、撮ってみせてくれた写真のなんて素敵だったこと!!
白い紫陽花の真ん中に赤い紫陽花がぽつんと一つ浮かんでいる写真。
沢山の色が躍る景色から、魔法のように、ひとつの絵を切り取って見せてくれた。これがカメラの面白さなのか!楽しいなあ!
良い出会いと良い学びがあった。

谷川俊太郎さんのエッセイ集「ひとり暮らし」にこんな文があった。
「ゆとりはまず何よりも空間のことである。ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。そして、動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない。他の心と交流できない。」

紫陽花の色の洪水に流されて、
私の心に空間ができた。
そうすると、カメラおじいさんとの交流も生まれて、写真という楽しい世界を学ぶこともできた。

帰り道、なぜか突然母から電話があった。
車の中だったけれど、友達に断って電話に出てみる。
「この間はごめんね。おかんちゃん、いつでも来てね。おかんちゃんも私の大事な子供だからね」

きっと、おじさん(母の弟)に怒られたりしたのだろう。
おじさんに言われたから電話してきたのだろうけど、ちょっとほっとした。

NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」を見ていたらこんな台詞があった。
「がんばってもどうにもならないことが人生。それでも、明日はきっと良い日になると思うことが大事」

紫陽花の旅。
ちょっと良いことがありました。

6月16日 おかん




感謝すること

2022年06月14日 | 2022年日記
先日52歳の誕生日だった。
善は予備校があったので不参加だったけれど、
楽とおとんが葉山散策を計画してくれた。
実家のことでがっくり元気をなくしているおかんを外に連れ出そうと
二人で計画してくれたらしい。

葉山美術館に併設されている展望レストランを予約してくれていた。
3人でコース料理を食べた。きれいな盛り付けに心が躍る。
デザートはテラス席で。テラスに出たとたん、海の音が聞こえてきた。
3人で海を見ながら食後のケーキを食べてコーヒー飲んで、たくさん話した。

食後は美術館の庭に点在する彫刻を見つけながら散策。
小さな箱根彫刻の森美術館みたい。
おとんは彫刻の周りに咲いている小さな小さな野の花の写真を這いつくばるようにして撮っていて、楽は恥ずかしくて「やめなさい。やめなさい。子供が見てるでしょ!!」って言っていた。

海辺を歩いて、喫茶店で休憩して、歩き疲れて帰ってきた。
とても充実した散歩だった。

夜、善も予備校から帰ってきて、全員そろってケーキを食べた。
毎年そうなのだけど、みんなで「ハッピーバースデー」って歌ってくれる。
肩幅の広すぎる善も、のっぽの楽も、
子供みたいに歌ってくれて、パチパチ拍手してくれて・・・
なんだかもう、一日感謝の気持ちでいっぱいだった。

美輪明宏さんがYOUTUBEで、
「ずっと幸せを感じていくにはどうしたらよい?」と問うていた。
答えは、あらゆることに感謝をすること、だそうだ。
人は感謝をすると、ふっと幸せになる。
日々感謝して暮らしていくと、ずっと幸せを感じて生きていける。
ありがとう、ありがとうって、心で思うことがたくさんあるということが、
幸せということなのかな。

悲しいこと、なんでこんな風になってしまうんだろうともどかしいこと、
がっかりすること、憤慨すること、たくさんある。
けれど、ありがたいことに、
ありがとう、ありがとうって思うこともたくさんある。
ありがとうの連なりが、幸せを作るのだね。
そんなことに気づいたよ。

みんな、ありがとう。

6月14日 おかん