6月9日(日)~10日(月)
彬子さま 和歌山県訪問(「エルトゥールル号追悼式典」出席など)
彬子さま 和歌山県訪問(「エルトゥールル号追悼式典」出席など)
エルトゥールル号が串本沖で遭難したのは明治23年(1890年)9月16日 の夜 でした。このため、追悼式典は毎年9月16日に欠かさず行われて来ました。昨年も9月16日に行われ日本・トルコ協会総裁の彬子さまが出席されていました。
今年、追悼式は何故6月9日に行われたのか。
報道各社の記事にはその理由が書かれていません。中には「134年前に遭難」とのみ書いて、遭難の年月日さえ書いていないところも散見されます。
報道記事のうち、一番詳しいNHKの記事。
500人余犠牲のエルトゥールル号追悼式典 串本町
06月10日 19時19分 NHK
串本町の沖合で134年前に沈没したトルコの軍艦「エルトゥールル号」の犠牲者をしのぶ式典が行われ、日本とトルコの関係者らが祈りをささげました。
トルコの軍艦「エルトゥ−ルル号」は、134年前の明治23年9月、串本町の沖合で遭難して乗組員500人以上が亡くなりましたが、地元の住民が69人を救助し、日本とトルコの友好のきっかけになったとされています。
式典は、事故現場の海が見える丘にある「エルトゥールル号」の慰霊碑の前で行われ、日本・トルコ協会の総裁を務める三笠宮彬子さまや、トルコの関係者などおよそ130人が献花や黙とうを行いました。
式典に出席したトルコの関係者の多くは、日本との国交樹立から、ことしで100年となるのを記念して来日した軍艦「クナルアダ」に乗って訪れたということです。
式典は、事故現場の海が見える丘にある「エルトゥールル号」の慰霊碑の前で行われ、日本・トルコ協会の総裁を務める三笠宮彬子さまや、トルコの関係者などおよそ130人が献花や黙とうを行いました。
式典に出席したトルコの関係者の多くは、日本との国交樹立から、ことしで100年となるのを記念して来日した軍艦「クナルアダ」に乗って訪れたということです。
駐日トルコ大使館のコルクット・ギュンゲン特命全権大使は「串本町はトルコにとって特別な場所なので、日本で最初にこの軍艦が寄港したのが串本でうれしく思う。トルコと日本が今後も、手を差し伸べあう関係でいられるようにしたい」と話していました。
また、串本町の田嶋勝正 町長は「これまでの100年の友好の歴史を、今後もともにつないでいけるよう頑張りたい」と話していました。
トルコの軍艦「クナルアダ」は、11日、串本を離れ、東京と広島に寄港する予定です。
😐 一番詳しいNHKの記事にも、遭難事故以来昨年まで9月16日に行われて来た追悼式典を今年は6月9日に行うのかは、書かれていません。
が、理由らしきものが解る記事がありました。
トルコ軍艦が寄港し、追悼式典 彬子さま参列、和歌山・串本町
2024年6月10日 18時42分 (共同通信)
和歌山県串本町にトルコ海軍の新鋭軍艦クナルアダが寄港し、1890年に沈没したオスマン帝国(現トルコ)軍艦「エルトゥールル号」慰霊碑前で10日、クナルアダの乗組員らが参列して追悼式典が開かれた。日本・トルコ協会総裁で、故寛仁親王の長女彬子さまも参列された。
彬子さまは式典のあいさつで「多くの先人が築いた友好の歴史が今後も末永く続くことを祈る」と述べた。
クナルアダは4月にトルコを出航し、8月中旬までに20カ国を訪問する。
エルトゥールル号は、台風のため串本町沖で沈没し、乗組員500人以上が死亡した。地元住民が69人を救助したことから両国の友好関係のきっかけになったとされる。
😊 クナルアダ号の日程に合わせて、9月16日の追悼式を6月9日に前倒しして行ったのでしょう。
となると、次に気になるのは、クナルアダ号は日本・トルコ友好100年を祝うのを主目的にトルコを出航したのでしょうか。
8月中旬までに、20か国を訪問、、、日本を出国した後にも何か国かを訪問するようです。日本はトルコ側から見れば20か国の中の一つの国、なのか、20か国の中の主要国なのか。
メディアは、トルコが日本に抱く親愛の情ばかりを強調するが、「英王室と皇室は親戚同様、チャールズ国王と今上は兄弟同様」という報道の例もあることですしね。
日本の名も無き人々が、命の危険も顧みず外国の人々を助けたことで、もし、今もメディアの報道のように日本に好感をもっていてくださるのなら、感謝したいのは日本人です。少なくとも私は有難く思います。
動画:
和歌山・串本町 エルトゥールル号追悼式典開かれる (2024/06/11 06:08)