憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

信子さま賛歌 (14日追補 彬子さまのジャケット)

2024-12-13 00:19:31 | 三笠宮
12月8日『女性自身』がこのような記事をアップした。
32年前の記事を今再掲した『女性自身』の真意は不明ですが、この記事を読んで彬子さまから言われっぱなしの信子さまを見直してくださるかたが増えたら、嬉しい。私は、ずっと信子さまが好きでしたので。

記事中の写真から何枚か…

とにかくお洒落で、、、


寛仁殿下と御仲がよろしくて、、、


ボーリングシューズもお洒落😃


高価なキモノも普段着のようにさらりと着こなされる…

こんなにお嬢なのに、料理上手で漬物が得意。家庭の切り盛りもしっかりされ、寛仁殿下に献身的に尽くされていらっしゃったのに、、彬子さまから言われっぱなしの信子さまが御労しい。ご本人は勝気に「平気よ~」と笑われるでしょうが…

信子さまは寛仁殿下に尽くされましたが、ご実家麻生家は三笠宮家に対して経済的援助を惜しまなかったと昔の週刊誌は報じていました。
麻生家の援助が無かったら三笠宮大殿下を個人病棟に入れ最後まで手厚い治療を受けさせることは出来なかったとも…。
「三笠宮は貧乏」と大殿下も寛仁殿下も公然と口にされ、とかく金銭がらみの噂が多かった三笠宮家。
とはいえ誇り高い両殿下と百合子さま、信子さまの実家麻生家から援助を受けることには複雑な気持ちもあったのではないか、、経済的援助を受けている引け目のようなものがあるところにもって週刊誌に記事にされた屈辱。その反動が信子さまに向かったのではないか、、、とは私の推測ですけれども。
彬子さまと信子さまの間が此処までこじれてしまったのは百合子さまの影響も大きいのだろうな、と思います。
彬子さまが百合子さまから聞かされた「それまで聞かされていたのとは全然違っていた」話とは何だったのか。彬子さまはそれをきっかけに信子さまへの不信感をつのらせて行かれたようですが、、、私にはそれは麻生家からの援助に関わることではなかったのか、と思われてなりません。





彬子さまと言えば、12月10日鴨場接遇にお出ましされた彬子さまの御召し物がネットで取り沙汰されています。


😁 変なデザインというより、凝ったデザインというべきでしょう。

(おそらく寛仁殿下の)二着のジャケットをリメイク。
上に重ねたジャケット丈を短くして脇でタックを取って彬子さまの身幅に合わせると同時にデザインポイントにしています。


よく見るとジャケットの丈が左右で違います。下のジャケットは袖なしのジレかな?後ろがどうなっているか興味ありますね。

凝ったデザインのジャケットにワイドパンツ、着る人が着れば恰好良いと思いますよ。
例えば若い頃の信子さまなら、お洒落に着こなされたでしょうね。

ひとりで何もかも抱え込み意地で突っ張っていらっしゃるように見える彬子さま。寛仁殿下が召されたものを身に着けられることでしか、心の平安を得られないのかもしれないですね。
彬子さまと信子さまの間を上手に仲立ちしてくれる方はいらっしゃらないのでしょうか。



彬子さまのジャケット、正面からの画像を見つけました。

襟(カラー、ラペル共)左右で幅が違います。
右襟は広く、左襟は狭い。
これは、メンズのジャケットをレディースにするために、左前身頃のボタンホール部分を切り落とし、それに合わせて襟幅も狭くしたからではないか、と思われます。

右前身頃は身幅はそのままにボタンを外してボタンホールを作成。


ジャケットの丈を短くカット。
身幅を彬子さまに合わせて、タックで調整した、、、ではないでしょうか。


よく見ると、ジャケットの下に重ねた物には襟があるようです。
後ろが見えればもっとハッキリわかると思うのですが、右前身頃の下には重ねた物が無いようにも見えます。

😊 上は彬子さまのジャケット、下が寛仁殿下のジャケットでは?
とのコメントを頂いたのですが、私はやはり寛仁殿下のジャケット二着をリメイクして一着にしたと思うのですが?



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しろつめぐさ)
2024-12-13 14:25:21
如意様
こんにちは

信子様の記事ありがとうございました
お嬢様2人はどなたに 似られたんでしょうね

以前の1日6回の食事づくりの頃の記事も 読みましたが
正直言って 夫も変わりすぎた方で 納まるところに納まれられなかったんだろうと思いました
娘さん達も 法令にのっとって納まるところに 納まって いただきたいです

一般国民には 家庭裁判所がありますが
皇族のことは とりあえず 宮内庁と 天皇陛下が しっかり治めるべきです

グチャグチャしているのを 見るのは 嫌ですね

道理は大事です

亡くなられた方の 遺志だといわれても 今頃言われても 証拠もありませんし
第一 亡くなられた方が 決めて良いものでもありません

信子妃殿下 応援させてください

‥‥‥‥‥‥‥¡¡¡¡‥‥‥‥‥

さて昨日の羽鳥慎一モーニングショーを 録画しておいて 先程見ましたが一般人が 一番見ているだろう番組が
悠仁様を どう取り上げたか 見てみました


気になる点が2つありました
まず 筑波大学の紹介
1973年に 師範学校から 設立されたとと言っているが
実際は 明治時代 に高等師範学校として設立 高等師範学校は全国に何校もないです
戦後 東京教育大学として国立一期校になりました

その後 今のつくば市に筑波大学として設立されました

ただの師範学校を見下ろすわけではないですけれど 筑波大学は高等師範学校からの流れです
悠仁様は歴史のある 由緒正しい 大学に入られたのですから
このような大学の紹介は困ります

‥‥‥‥

次に 筑波大学の推薦入試の要領について
まず成績が A ランクであることという項目について
付属校の校長がこれを証明した件について

あの山下が
『A ランクについては 週刊誌 がいろいろ書かれていますけど‥‥まあ A ランクなんでしょう』と面白くない顔をして言いました
大学評論家の石渡 れいじ氏が
『A ランクというのは 5段階評価で5が多く 4が少しあるという レベルなのでかなり 優秀な成績だったと思います
面接は つくばの場合 ハードルを上げています
今の推薦入試はとても高いレベルで行われています 悠仁様はかなり高いハードルを クリアして突破されたことと思います』

と話しました
山下は 無言

この山下は何をいばって 上から目線で偉そうにしゃべるのでしょうか
こういう人を番組に呼ばないでいただきたい

この番組を見た人たちはどういう感想を持ったでしょうか
悠仁様がかなり 優秀な方でかつ真面目に努力されたということが 分かっていただければ良いと思います
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お返事 (如意)
2024-12-13 18:38:52
しろつめくささん
こんばんは。
>グチャグチャしているのを 見るのは 嫌ですね
・・・嫌ですね。
今の皇室でグチャグチャしているのは、今上家のグチャグチャと三笠宮家のグチャグチャですね。
今上は、愛子さまの処遇を言明しないし、悠仁殿下を将来の天皇として遇しない。そのような今上に三笠宮家の母子のゴタゴタの調整など望むべくも無いし、心配すらしていないでしょう。
元々面倒なことから逃げるかたです。

>山下
・・・山下晋司?元宮内庁職員ですから、宮内庁内部に確保している情報提供者はいるでしょう。山下晋司の情報は割と正確なんですよね。
ただ人柄は悪い。

>まあ A ランクなんでしょう』と面白くない顔をして言いました
・・・山下氏が面白くない顔をして言ったのなら、悠仁殿下のAランクは本当なんじゃないですか?(^^)/
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Unknown (かえで)
2024-12-13 21:26:48
如意さま、こんばんは。
信子様と彬子様。
皇室に興味のない方々にも気になる話ですよね。
故百合子様のお父様も金銭的には苦労されたことは伝わっていますね。
昔、髭の殿下が「運転手がいなくなった」と話していたので三笠宮家はかなり金銭的にはご苦労があったのかと思います。
信子様にも何度か断られても求婚したと伝わっているのに、なぜDVなどに繋がっていったのか。
如意さまの仰るように信子様のご実家の力添えがなければ入退院を繰り返す殿下に手厚い看護ができたのか。こんなふうに拗れる前に百合子様もどうにかならなかったのでしょうか。
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お返事 (如意)
2024-12-13 23:21:01
かえでさん
こんばんは
>信子様にも何度か断られても求婚したと伝わっているのに、なぜDVなどに繋がっていったのか。
・・・『女性自身』の記事には信子さまが寛仁殿下から「ノンチ」と呼ばれていることを嬉しそうに明かされているのにね。写真からもご病気になる前の寛仁殿下と信子さまの仲睦まじさが伝わって来ます。
推察ですが、寛仁殿下は病気の苦悩に思うように寄り添ってくれない信子さまにイライラされたのではないでしょうか。
信子さまも精一杯寄り添われたのでしょうが、同じ病気になって見なければわからないってこともあるじゃないですか?
それはもう仕方のないことなのですが、寛仁殿下からすれば「何故わかってくれないんだー」と?
辛抱強く思いやりのあるかたなら「解らないなりに精一杯やってくれている。」と思うのでしょうが、、、
全部私の推察です。何があったのか、本当のところはご夫婦にしか分かりませんものね。
彬子さまだって、ご両親の夫婦としての本当の気持ちはご存じないでしょうし。
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Unknown (みかわ)
2024-12-14 12:50:17
洋裁を母親仕込みでかじり、リメイクにも興味があるので彬子さまのジャケットをまじまじと見てしまいました。

上のジャケットはご自身のものかな?と思います。
打合せが女性物として違和感がありませんので。
そして右前身頃の下に重ねたものは父親のもの。その父親の右前と自前の左前をボタン留めできるように、邪魔な自前の右前身頃をタックを取って脇に寄せて控えた。
そんな感じがします。

そうまでして、父親の物を部分的にでもそのままの形で使おうとすることに違和感を感じます。
親の物をリメイクして使うこと自体は素晴らしいのですが、形を変えることなく無理くりな使い方をして見せるというのは、もはや何らかのアピールとしか思えませんね。

拗らせファザコンにしか見えませんが。
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Unknown (一条鉄)
2024-12-14 16:23:09
如意さま、はじめまして。
皇室の現状を憂える、名もなき民の1人です。
思い余ってコメントさせていただきます事をお許しくださいませ。
まずは、悠仁殿下の筑波大学進学のニュースは、大変めでたく、明るい気持ちになりました。
僭越ながら、心よりお祝い申し上げます。
かたや、わざわざ「師走」に被災地訪問をなさる両陛下に対しては、本当に国民に思いを寄せる存在であらしゃるのかと、疑問を感じずにはいられませんでした。
次に、彬子様に対しても、宮家を何と心得ていらっしゃるのかと、才媛の聞こえ高い方故に残念でなりません。
信子妃殿下以外に、三笠宮を名乗る道理がないことぐらい、お解りなはずでしょうに。
ここまで皇室がおかしくなっているのに、今上は、もはや“お父さん”そのもので、ご自分のご家族しか、その眼には映っていらっしゃらないようですね。
一日も早く、秋篠宮皇嗣殿下を陛下とお呼びしたい気持ちです。
そしてお隣には、これぞ現代の国母のお姿、紀子妃殿下を仰ぎ見たいです。
幾久しく祭祀王たる皇統が正しく紡がれますように。
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Unknown (トルコ桔梗)
2024-12-14 17:12:32
結婚されてしばらくは、仲睦まじい御夫婦に見えていました。信子さまは、寛仁さまが病気になって自分が尽くしても、前向きに病気を治そうとしないで、酒に溺れる殿下に、失望を感じてしまった気がします。

信子さまが、喘息に苦しまれたのも、ストレスで心身ともに疲れてしまったからでしょう。寛仁さまは、庶民ぶっていましたが、プライドが高くて気難しくて扱い難い旦那様だったと思います。

文藝春秋に彬子さまが、母親を非難する手記を載せましたが、祖父母の了解がなければ、出来ない案件だったと感じます。祖父母が後押ししました。

寛仁さまと懇意だったノンフィクション作家の工藤美代子氏が、信子さまは、生まれつき虚言癖がある方だと書かせたのは、寛仁さまだったと確信しています。

彬子さまは、父親の呪縛に囚われ続けて、生きるよすがに、なっていますね。
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