百合子さまは「皇室最後の貴婦人」と称えられることもあるが、皇室に貴婦人は他にも華子さまがいらっしゃる。
百合子さまも、華子さまも、お生まれになった時は華族。百合子さまの御実家は子爵。華子さまの御実家は伯爵。失礼ながら華子さまのご実家のほうが位が高い。
旧皇室令下で皇族妃になられた最後のかた、でもない。
百合子さまの御結婚は昭和16年(1941年)10月22日(18歳)、昭和天皇の長女照宮成子さまが皇族東久邇盛厚王と結婚されたのは昭和18年(1943年)10月13日(18歳)です。
ちなみに、昭和16年百合子さまがご結婚された同じ年の5月に、成子さまの婚約内定が公表されている。
百合子さまご結婚当時、昭和天皇40歳、崇仁親王26歳。一回り以上年が離れた長兄は「兄弟というより親に近い感覚で怖い存在」とも聞くが…
年の離れた弟を見る兄もまた親に近い感覚で弟を見るのか…
崇仁親王は生前「三笠宮は新しくできた宮家で、他の宮家から浮いた存在であり、他の宮家と違って経済的基盤が弱いために経済的に苦労した云々」と語っておられましたが、百合子さまの御実家が経済的に苦労されていたことは当時の国民は皆知っていた。
(高木家の当主、百合子さまの御父上は華族であったころから経済的に苦しみ詐欺事件を起こしている。)
崇仁殿下は赤い宮様、テープカットの宮様、ダンスの宮様、スポーツの宮様、オリエントの宮様等幾つもの異名を捧げられるほど多方面に活躍されたが、背景には三笠宮家の経済的基盤の確立を求めて、、ということもあったのか…
三笠宮は他の宮家に比べて新しい宮家だから経済的基盤が弱い、とおっしゃるが秩父宮、高松宮も新しく出来た宮家です。
崇仁親王が他の宮家にあって三笠宮家に無いといわれた「経済的基盤」とは何だったのか。それは、もしや、宮妃の実家からの支援を指していたのか…
当時の国民は百合子さまを「貧乏子爵の出」と、やや侮蔑的に噂していましたが、そのような噂が百合子さまの耳に入らないはずが無い。耐えていらっしゃったのではないかとも思う。
崇仁親王の「三笠宮は他の宮家に比べて経済的に苦しい」と言う言葉をどのようにお聞きになったのか。百合子さまご葬儀を伝えるマスコミ作成の動画の中に崇仁親王のこの言葉が肉声で紹介されていたが…
長生きはするもの、すべては歴史となり何事かがあったような、無かったような、と晩年は穏やかなお気持ちで過ごされていたのではないか、とも思うのですが…宿題は残して行かれましたね。
百合子さまの斂葬の儀、随所に「令和流」が見られるものでした。
三笠宮邸から最後のお出まし。時代とはいえ寂しいお見送り。
三笠宮妃百合子さまの「斂葬の儀」に参列される秋篠宮ご一家、天皇、皇后の長女愛子さま(26日午前9時31分、東京都文京区で)
😕 此処が令和流
皇嗣殿下同妃殿下の後ろは、悠仁殿下、愛子さま、佳子さま、の順でなくてはなりません。
と、定めた皇室令は1947年5月2日に廃令となり、その後は「慣例」という扱い。慣例破りを身上としている今上と雅子さまですからね~「愛子を前に」と天皇皇后から主張されたら、はい、それまでです。
今上と雅子さまの慣例破りを修正しようとした工夫は、悠仁殿下を佳子さまの前ではなく後ろにしたあたりでしょうか。
愛子さま、悠仁殿下、佳子さま、の順では、明らかに悠仁殿下より愛子さまが上になってしまいます。
そこをうやむやにするために、敢えて悠仁殿下を佳子さまの後ろにしたのでしょう、と私は見ます。
これまで愛子さまの居ない場面では、悠仁殿下は佳子さまの前を歩かれていますから。
今上と雅子さまの意向を受けて愛子さまのための余計な段取り、いつまで続くのでしょうね。
というのは今上と雅子さまを悪く思い過ぎで、すべては天皇家との親密な関係がうかがえる三笠宮親戚一同と喪主彬子さまの御意向でしょうか?
瑤子さまのお顔が見える。
大人の顔で沈思黙考する彬子さま。
涙をこらえる彬子さま。素直な心もお持ちなのでしょう。その心を信子さまにも向けていただけたら、と思う。
愛子さまの眼付悪し
守谷ご夫妻っぽい顔が見えますが、、、瑤子さまの隣は黒田ご夫妻?違うかな?その隣のマスクの女性は、承子さま?典子さま?
親戚一同、適当に並べました?
動画 日テレ 儀式がほぼノーカットで記録されている。
【速報】三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」
見どころ、、、見えないところ
天皇皇后代理、上皇上皇后代理、喪主までは玉串奉奠の様子を映していたカメラが、秋篠宮殿下同妃殿下からの玉串奉奠を幡で隠して映さない。
(邪推、愛子さまの不器用な玉串奉奠を隠すためか?)
【速報】三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」
見どころ、、、見えないところ
天皇皇后代理、上皇上皇后代理、喪主までは玉串奉奠の様子を映していたカメラが、秋篠宮殿下同妃殿下からの玉串奉奠を幡で隠して映さない。
(邪推、愛子さまの不器用な玉串奉奠を隠すためか?)
動画 テレ東ビズ 納骨の儀を伝える
百合子さま「斂葬の儀」 皇族方らが参列
百合子さま「斂葬の儀」 皇族方らが参列
😔 納骨の儀に愛子さまは参列されたようですが、悠仁殿下は参列されなかったようです。
三笠宮親戚一同が悠仁殿下を招かなかったとも考えられますが、どうかな?
じっと見ていれば、三笠宮の方々の本心はいずれわかるでしょう。
主様のブログの通り佳子さまより後にされたのは、何かしら意味があるのでしょう。愛子さまのすぐ後ろには付かせなかった事は本当に良かったと思います。
天皇ご夫妻が如何に愛子さまを先にとお考えで今回のように実行までされても、皇族の方(一般人でもですが)は気付いておいでですよね。
それでも愛子を先にと言う両親はどの様に思われても平気なんでしょうか?
【初めて】シリーズで報道させるにしても、悠仁親王殿下がお出ましになられるとどうしても霞んでしまいますから。せめて前を歩かせたかったという涙ぐましくも愚かな両親の願いだったのでしょう。それが出来ないなら娘は参列させないくらいのことを言ってそうです。
少なくとも私はそう考えずにはいられませんでした。
日本の伝統を護れなくなった天皇皇后両陛下など必要ないのです。
そもそも機能しなかった皇太子同妃殿下でしたから、多くの国民は即位した所で期待などしていなかったと思います。
だからこそドタ出ドタキャン遅刻居眠り長話を何とか仕方がないと諦めることが出来るのです。特にご静養などはあーハイハイと思えますよね(笑)
海外と静養がライフワークのはずが、イロイロやらかして海外には長い事行かせて貰えませんでしたね(笑)
欧米好きも愛子さまのご様子も生温かく見守ってきたのです。
身位あればこそこの夫妻が即位出来たのですから。
なので愛子さまの立ち位置を異常に気にするのでしょう。
長くなりました。すみません。
愛子さん、佳子さま、悠仁さま、華子さま、瑶子さま、久子さま、承子さま
一列後ろに守谷夫妻、黒田夫妻ですね。
愛子さんの目が右を見ているのは、右手側で何かあったからではないでしょうか?
近衛氏、秋篠宮殿下、承子様も右をみておられますから。
絢子さんなんて顔自体が右に向いています。
並び順は、悠仁様は成年になられましたが儀式が未だですから敢えてこの順番にしたのでは?
来春の加冠の儀以降のお出ましの並び順に宮内庁は頭を悩ませていることでしょう。
道理が分からない方がおられますからね。
今日も今日とて、予定発表にない斂葬後一日墓所祭におでましでした。
それにしても悠仁様の貴公子ぶりには目を見張りました。
高貴さが今風の言葉で言ったら、正に”ダダモレ”でした。
昔から天皇夫婦は喪が好きという印象をもっておりましたが、今回もここぞとばかりに出張りましたね。なんとなくにやついている感じが不快で、あわせて笑う三笠宮一統にも「高齢者の葬儀で社交」と思わせるものがあって嫌でした😟悲しんでいるのは寧子、容子元内親王ぐらいでしょうか?あぁ~、喪主様を抜かしました。お涙を拭われるお姿に「いい気なものだ」と思ったのは失礼でしたかしら?これからが勝負?もう勝負はついている?実母を閉め出し、宮家を簒奪する凄腕のかたですもの、しおらしく泣いてみせて嬉しくてたまらなかったでしょうか?
如意さんの書かれたこと他で幾つか分からないことが・・
① 最初宮内庁が悠仁親王は「斂葬の儀」に出る、と発表しませんでしたか?お通夜の方は出ていらっしゃらなかったのでは?佳子さまはお一人で車の乗っておられたようでした。② 「墓所の儀」で近衛寧子さんは承子さんの後だと思うのですが、連れ立っておられるのが近衛さんのように思えませんでした。近衛さんは千さんの後ろを歩いているようですが、それでは順番が違うし、隣には別の女性?がいました。③ 玄関でお迎えお見送りの「眼鏡の女性」は近衛忠広夫人ではありませんでした<(_ _)>久邇家出の若い夫人は美しい感じの方でした。「墓所」に入る時親族の最後で宮内庁長官の前の人が「眼鏡の女性」のようですが、何者でしょうか?(どちらでも良いのに,つい知りたくなる悪い癖😁)④ 名札は「秋篠宮」ではなく、「皇嗣秋篠宮殿下」と書くべきではないでしょうか?⑤ 愛子内親王が供花を出すのはおかしくないですか?独立した方のようです。⑥ 玉串奉奠は勅使と喪主までだったと思いますが、皇嗣殿下がなさらないのは妥当でしょうか?・・
万事天皇夫婦が口出しをして、これからも「宮家の長男より内廷の愛子が先」のままのように思えます。しかし、並んだ悠仁さま、佳子さま、愛子さんを見て、誰が「愛子天皇」と思うでしょうか?悠仁さまを「後ろに並んでいるけれど、いずれ皇位を継ぐ方」と当たり前に思うでしょう。かって朝日新聞の論説で「その時が来たら愛子さんか悠仁さんかを国民が選べば良い」という馬鹿な文章を読み、その時まで「愛子上げ悠仁叩き」を続けて国民に「愛子さま~」と言わせる気かと思いました。でも、「斂葬の儀」に参加した国の主要メンバーにはもともと「愛子様~」は無い、少なくとも3人並びを見て完全に消えたと思いました。歩みさる悠仁さまを真剣に見る人がいましたが、「この人が将来の天皇か!」と目に焼き付けているようでした。偏向メディア・ネットの「愛子天皇騒ぎ」は飯の種に過ぎません。もちろん純粋に愛子さんのファンもいるでしょう。それは天皇の唯一の皇女であれば当たり前、皇嗣家の美しい佳子さまに多くのファンがいるのと同じこと!皇室の賑わいと喜ぶだけのことです😄
(お葬式なのに)皇の流れを受け継ぐ悠仁さまの凜としたお姿をひたすら愛でていたあかりでした。百合子妃殿下、ごめんあそばせ<(_ _)>
ただのギャップ萌え?みたいなものかもしれませんが。