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齋理屋敷は江戸時代後期より七代続いた豪商「齋藤屋」の屋敷跡。代々の当主が理助を名乗ったから「齋理」とよばれるようになった。
▽店蔵と表門
嘉永元年(1848)に造られた齋理で最も古い蔵。1階は呉服反物の販売、2階は商品の収納に使用。
▽嫁(よめご)の蔵
明治36年建築、齋理で最も立派な造り。軒先の鬼瓦に家紋の三つ巴。懸魚は表通り側に鶴、庭側に亀。「宝蔵」と呼ばれ使用人は中に入れなかった。
▽居宅と避雷針、屋敷神
蔵に比べて住居にお金をかけなかったらしい。痛みが激しかったので以前の建物のイメージを残して昭和63年に新築。
避雷針は高さ26m。七代目当主が雷嫌いで昭和5年に建てたということ。先端に金が使われ、現在も現役。
▽時の蔵
明治中期の建築、「質蔵」「宝蔵」と呼ばれ、骨董品などが納められていた。
文字盤が英語で書かれたぜんまい仕掛け時計を発見、1868年アメリカ製のカレンダー時計! 動いてる! 現役なんだ!
▽新館
もともとは大きな倉庫兼作業場が建っていた場所。齋理屋敷開館十周年の平成10年に新築。齋理が最も栄えていた大正時代の洋風建築から意匠を取り入れたということ。
蔵は一体いくつあるんだろう? 蔵の造り自体が立派でお宝もいっぱい! ダンボ(丸森の言葉で旦那のこと)さんは「お金をどう使ったらいいか分からない」ともらしていたという。なんという…