今日の中日新聞に、「特別支援学校に行かせない会」みたいな組織が素晴らしい!かのような記事が載っている。全く新聞編集者もその会の人も、一体何を勘違いしているんだろう。特別支援学校(養護学校)をなんだと思っているんだろう
— シバッキー (@umiusi45) 2010, 11月 1
昨日の新聞にこんな記事があった。
このことには昨日、あまりにも親のエゴに満ちている気がして、つぶやいたのだが。
・中日新聞:障害児の普通学級就学 義務ではない「就健」:愛知(CHUNICHI Web)
障害があっても普通学級で学びたい-。「名古屋『障害児・者』生活と教育を考える会」(名古屋市北区)の川本道代代表(51)の元には毎年40件近く、障害児の就学相談が寄せられる。西尾市で2月にあった、特別支援学校から普通学級への転校を求める集会には保護者ら100人が参加した。障害児の普通学級就学の希望者は多いが、その希望通りにいかないケースもある。川本さんら支援グループは「誰もが地域の学校で学べる環境を」と訴えている。
入学予定児には小学校入学前年に健康診断(就健)の知らせが届く。健診結果を受けて医師や教育関係者らでつくる就学指導委員会が保護者と話し合い、進学先を判断、各市町村教委が保護者に結果を通知する。就学指導委との話し合いで、保護者が普通学級を強く望んでも特別支援学校を勧められ、あきらめることが少なくない。
就健は学校保健法に基づいて市町村教委が実施するが、受診の義務はない。「障害児の発見・分離が目的の就健制度を断ることが地域で学ぶ一歩となる」と川本さんは話す。
ダウン症の稲沢市の大野友暉君(7つ)。「地域の学校で、たくさんの子どもたちと共に育ってほしい」と母佳代子さん(40)は考え、その意思を市教委と小学校に伝え、就学指導委との話し合いにつながる就健を受けなかった。友暉君は今春、地元小学校の普通学級に入学した。
大阪府東大阪市の場合は就学通知書を送付し、地域の学校へ行けるように保障した上で、就健の知らせに「義務や強制ではない。結果によって入学する学校を指定するものでもない」と断りの文言を入れている。
ノーマライゼーションのまちづくりを進める埼玉県東松山市では「子どもの利益を最終的に判断するのは家庭」との理由で2008年度から就学指導委を廃止した。
県教委特別支援教育課は「就健はあくまで入学予定児の健康状態を調べるため」と説明している。就学指導には「今年から就学前教育相談を年長から3歳に引き下げ、より長期にわたり保護者の意見を聞く取り組みを始めた。保護者の意思を尊重して決めていきたい」と話している。
普通学級に通う友暉君は、佳代子さんが「誰と遊んだの」と聞くとうれしそうに友達の名前を話すようになったという。川本さんは言う。「周りの子にとっても共に学ぶことは大切なのでは」
社会部・塚田真裕記者
一番気になるのは、「普通学級に通うこと」は、だれが望んでいることなのか、
という点なんだけど。
前提として、特別支援学校(養護学校)とは一体なんなのか、
というところから整理したいと思う。
たとえば、肢体が不自由な子がいて、通常の学校に通うことが出来ない子や、
先天性だか後発性だかは分からないが、学習障害を持っている子が
普通学校に行って、次々に繰り出される課題についていけないような場合、
特別支援学校(養護学校)はそういう子供のケアーをしながら
理解度に応じて勉強を見てくれるところ、であるはず。
ところが、この記事にあるような
特別支援学校(養護学校)に行かせたくない親というのは、
どうも大きな勘違いをしている気がする。
学習障害がある子は、その学習障害も個性である!
という主張にはあまり同意できないが、
それを同意したとして、
だからと言って、普通学校でも押し通すのは止めて欲しい!
「この子は勉強が少し困難だから、それくらい学校側が便宜を図るのはあたりまえ!」というのは、
あまりにも学校に甘えた態度としか言いようが無い。
学校の教師が現状どれだけの悲惨な状態に置かれているのが分かっていての発言なんだろうか。
学習障害がある、たとえば、3×3が5年生で理解できるような子供だったとした場合、
その子がそれを理解するまでの間、その子にとって算数の時間は苦痛では無いのだろうか?
その間親はどれだけこどもをフォローすることが出来るのだろうか。
勉強が出来ない、そのことによって子供が挫折してしまったら元も子もないわけで、
もっと簡単なスモールステップを見つけてあげるほうがその子の為になるのではないだろうか。
というと、最近よく有る反論が2つ。
- そういう子供を見るのも教師の役目ではなかろうか
- 親の私も勉強が出来なかったから、この子もそのうち出来るようになる
1.に関しては、先ほども申したとおり、教師の仕事が現状限界まで達しているのが現状。
別に教師を付けろ!って言われても、公務員定数は決まっているし、その子のためだけにつけるわけには行かない。
必要なら自分で雇って欲しいところ。
若しくは、特別支援学校(養護学校)なら、マンツーマンに近い形でフォローしてくれるので、そちらならバッチリ勉強できると思う。
2.に関して。
「勉強が出来ない」と、「勉強をしたくない」は全くの別物。
勉強する意欲はあっても、何かしら先天性若しくは後発性な要因で勉強できないのならば、その問題点を理解しながら勉強させることは、
親や教師にとって大切なこと。
その「何かしらの要因」を早めに見つけ出して、小さなうちから親や教師が対処することは、
子供の学習意欲にも影響するし、
「どうせできないから、いいや!」では、その後の、たとえば社会に出たときに困ってしまう。
勉強が出来ない!よりも、モチベーションが上がらない、のほうが
かなり問題だと思う。
たとえば、3×3が5年生で理解できるような子供だったとした場合、
それが「できない!できない!」で終わってしまうのではなく、
ゆっくりでも「できた!」にした方が、子供の成長の為になるのではなかろうか。
それよりも一番気になることがある。
っていうか、そうやって特別支援学校(養護学校)を見下している親たち自身が差別を作り上げていないだろうか
— シバッキ- (@umiusi45) 2010, 11月 1
親の見栄の為に無理やり普通学級に入れさせられたこどもは
勉強の時間も本人にとっては苦痛ではないのだろうか。
これは虐待に当たらないのだろうか
養護学校は現在正式には「特別支援学校」と言い、子どもの特性(周囲はまだ「障がい」と偏見を持ちますが)に必要な特別な支援を提供するのが特別支援学校です。通常クラスは児童6人につき教師2人。重複障害クラスは基本的にマンツーです(私のクラスは例外ですが・・・。)
普通学校には「特別支援学級」なるクラスも存在しますが、そこから「特別支援学校」に転入してくるケースも極めて多いのが現状です。
軽度の障がい「ADHD」や「LD」は周囲の理解が不十分で教師が一方的に「わがまま」とか「怠け者」と烙印を押してしまうという悲しい現状があります。また、クラスメイトのいじめの格好の対象になり、それを恐れて特別支援学校へ転校したいという児童生徒が急増しています。
愛知県は全国的にも入学希望者が多く、全国平均の2倍近くの児童生徒が在籍し現場はパンク寸前です。特別支援学校の教師を20000人増やす計画もあるそうですが、施設設備面が追いつかず、かなり劣悪な環境で教育を受けています。
ただ、中学部からは職業訓練的な授業も多く、将来の就職に役立つ技術を体得できるのはメリットかもしれません。ただ「あなたは普通学校でも大丈夫では?」という軽度なレベルの児童生徒までが「いじめ」からの回避を理由に特別支援学校への転校を希望してくるケースが多く、学校も原則「拒否」できないので現場はかなり厳しいです。
親が子どもの「障がい」を正しく理解し、就学前に十分相談し、子どもにとってベストな教育環境を整えてやるのが親の務めだと思います。正直、普通学校に通わせるよりも子どものために時間的拘束は数倍多いです。自分の時間を差し出しても子どものために時間を割く覚悟も必要ではないか・・・と日頃思います。
特別支援学校は就学前相談や転校を考えている親御さん向けにいつも学校見学を実施しています。特別支援学校の現状を知っていただき、「普通学校にこだわらない」意識をもっていただくのが先決だと私は思います。
愛知県は人口に比較してまだまだ特別支援学校の数や定員数が少ないデス。統廃合された学校施設などを活用して学校数をぜひとも増やして欲しいです。
なんか、大きな勘違いをしている気がして。。。
しかし、全ての子供が普通学級に通って同じ授業を受けることが、果たして共存できる社会を作ることにつながるのか疑問に感じていました。
なぜなら、たとえ同じ授業を受け同じ空間にいても、すべての子供にふさわしい環境であるとは思えないからです。
障碍児を普通学級に通わせる支援をしている団体を運営されている方がされているブログ『はるこい広場』に私の意見をコメント欄に書いたことがあります。
以下に示すのは、ブログに書いた私のコメントです。
>ブログを時々拝見しております。
>本日は、お尋ねしたいことがございます。
>もし難病を抱えたお子さんや障碍のあるお子さんを
>普通学級という環境に置かせたいとご両親が希望した場合、
>たとえ病気や障碍を抱えたお子さんご本人が
その環境に対してどれほど苦痛を味わったとしても
>やはり他の子どもと分けるべきでないと考えられますか。
>養護学校や特殊学級といった特別な環境を
一切否定されるべきものとお考えですか。
>もちろん、病気や障碍を抱えた方とそうでない方が
>共存できるような社会にしていくことは理想的と考えます。
>しかし、すべての人がたとえ同じ教室になったからといって
>必ずしも人々の間に対等なつながりが生じて
共存できる社会が形成されていくとは思えないのです。
>長文失礼しました。
>2012-04-09 15:17
しかしながら、私のコメントはなぜだか削除されてしまいました。
なにか失礼なことでも書いてしまったのでしょうか?
長文になりましたがこれにて失礼します。
先ほどコメントを送ったブログから記事の形でお返事をいただきました。
どうやら削除されたわけではなかったようです。管理人の方は何人も実際に普通学級で学ぶお子さんを見て来られたようで、それが活動の支えになっているそうです。
普通学級で障がいを持った子どもが勉強する最大の利点は、「障がいを持たない子(健常者)が障がいを持った子をより身近によりよく理解できる」点だと思っています。
さて、それでは障がいをもったお子さんにはどのような利点があるのか、わたくしめにはまだ理解できていません。
上記わんまる氏のコメントにもあるように、特別支援学校は職業訓練の場所でもあるので、社会に出たときに自立するために、それでも良いのか?という疑問を常にもっていてほしいのです。
「普通学級で学ぶこと」が目標にならなければよいのですが。。。。。
コメント感謝です
作品に対して非難する団体や個人が多い中、少数ではありますが
養護施設にいたことのある方から「共感する」という声が上がっているのも事実です。
差別という言葉をたいへん嫌う米国などは、「ちょっと動きにくいけど、普通な人」扱いするのに対し、
日本ではいまだに障害をもっている方に対して、「お客さん」扱いなのが
気にかかります。
「お客さん扱い」というと、もてなされているのと勘違いしそうですが、表面上はそう見えても実際はそうではなく、「じぶんたちの仲間ではない!」という意思表示を行っている、
ということです。
区別と称して差別を行うこの世の中、
少しでも変わっていきたいものです
私のクラスに、自閉症の女の子がいます。国語の文字学習や音読は割とできていますが、算数の計算になるとなかなか正しくできないし、何より着席していられる時間は短いし、こちらの気を引きたくて大声を出すし、友達の図工の作品についていた木の実で、気に入った物を片っ端から取ってしまうような子です。
入学前の就学指導では、情緒学級適との診断でしたが、検査をしたら、IQは40台、生活能力は3歳児未満、という、支援学校適の数値でした。
先日、両親と就学指導目的の面談をしたのですが、この数値を提示したのにもかかわらず、「知的には問題がない。来年度も通常学級を希望」の一点張りでした。因みに、この両親は教員です。
ここまでくると、子どものことなんか考えていない、としか思えません。
というのが、一番の問題ですね。
低学年ならば問題ないと、安易に考えているのかもしれませんが、
分からない分からないで、その子自身の勉学への意欲も削がれるかもしれませんし、
最悪の場合、その子に引きずられて学級崩壊を起こす可能性もあるわけですし、
たとえ家でどれだけ「○もん」などの繰り返し学習ができたとしても、学校での勉強はTASK(しなければいけない使役)とは違うわけで、
そのところをそのご両親がどう考えているのか。。。
コメント、ありがとうございます。
親は毎年PTA役員を引き受け、出来の良い子を私の「お世話係」につけるように、根回しをしていました。
親も教師も、「邪魔にならないように、お世話係の言うとおりにしてでしゃばるな。お客様でいろ。できないのも個性。いじめられるのも個性。」という態度で私に接しました。
私は学校で、お客様役と噛ませ犬役を板につけました。
お世話係をやらされた人の中には、陰で私をいじめた人もいました。その人も、たぶん、追い詰められていたのだと思います。
大人になってから、「私、○○さんのお世話係から解放されたかったから、中学受験をした。合格を知ったとき、ほっとした。」という類の告白を、いろいろな人から聞きました。
それを聞いた私は、心の中で「ごめんなさい」をずっと言っていました。
お世話係にお世話をされる側も、辛いのです。「お世話してもらって、当たり前」などと、思っていない人も結構います。
学校なら、「お客様でいろ」で通用します。しかし、卒業後は「他の人の頑張りに、タダ乗りする人」としか見られません。
お客様と噛ませ犬のキャリアなんて、労働市場参入を試みる際には、邪魔にしかなりません。学卒後はひきこもりとなりました。
そんな私でも、奇跡的に、一時的に、最低賃金の会社員になったことがあります。そのとき、親もその取り巻きも、「統合教育の成功例」として私のことを自慢げに語りました。
「私にとって、学校は学びの場ではなかった。私を使って人をだまさないでくれ。」と親や取り巻き相手に主張したのですが、「黙れ」と言われるだけでした。
私は過去にブログを持っていました。この内容の記事を、「特別支援は差別だ」と主張するブログに何度かトラバしました。
しかし、掲載拒否されました。それだけではありません。拙ブログコメント欄には、「思い通りにならないと文句をつけるあなたは、わがまま」という類のコメントが彼らによって投下されました。
「障害者本人が、統合教育に異議を唱えても、彼らによって無効化される」という事実も知ってほしいです。
「普通学級にいくことを、子供たちが楽しみにしている」とか、
「普通学級でみんなとおしゃべりして子供が楽しそうにしていた」などなどと書かれていたりします。
小さな、小学校低学年の子供であれば、
親の権威は絶対であり、母親の価値観というのは圧倒的な存在感を持つに決まっています。
親が喜ぶ顔をするのが小さな子供の喜びでもあります。
障害を持つ子供たちを普通学級に行かせたい親たちというのも、
最初は「こどものため」と思っているのかもしれませんが
そのうち「目的が手段」になってしまい、
自分の中でも収拾がつかなくなり、
「あんたのためにやっていることなのに、なんでわからないの!!」ってことに
なったのかもしれません。
親として何もしてあげられない自責の念からの行動なのかもしれませんが、
結果として、噛ませ犬さんを苦しめることになったことには
違いありません。
そのことを、お母さんも分かってくださればいいのですが。。。。
コメントありがとうございます。
過去、特別支援学校の臨時職員をしたことがあります。
普通高校でも勤務経験があり、そういう所でも障害のある生徒はいました。
肢体不自由だけとか、知的発達に問題がない状態だと、普通学校に行かせるケースが主流だと思います。
しかし、知的障害や自閉症、あるいはADHDなどの障害を持っている場合、普通学校に入れた結果として、障害の無い子どもたちと同じ水準の学習活動に組み込まれ、「子どもに過大な負担を強いる」可能性もあります。
子どもの特性上「難しい」と思われることでも、普通学校で一緒に学ぶ場合は同じ水準での活動を課せられることもありますから、最終的には子どもの状態を優先すべきでしょうね。
それでも親御さんとしては「他の子たちと同じ水準の学習環境に入れたい」あるいは「世間からの偏見を避ける」など、子どもより親御さんの価値観で「普通学校に行かせたい」というのが本音なのでしょう。
結果的に特別支援学校行きとなった場合でも、「わが子の障害は必ず治る」あるいは「学校が障害を治してくれる」という期待をかけてくるような親御さんもいるとかいないとか。
私の在職時は、そこまでの期待は耳にしませんでしたが、そんなケースも皆無ではないとか。
思うに、障害のある子が普通学校で無理なく過ごせるかは、保護者や家族の理解と「周囲の子どもたちの理解と協力」が成り立つか、その辺にかかってくるのではないでしょうか。
障害を理由にイジメが横行、あるいは障害のある子が情緒に問題を持っており「周囲の子に危害を加える」ということがあった場合、お互いの関係に亀裂が生じやすくなります。
そうなってしまう場合、むしろ特別支援学校の方が「それぞれの子どもの状態に応じた配慮」がなされますので、子どもにとっては最適な生活環境にもなり得ます。
卒業後についても、子どもの状態に応じた様々な選択肢を確保し、保護者からの要望、本人の希望や適性に応じて、その方向に向けた支援が行われます。
親御さんが高齢になり、わが子の面倒を見るのが厳しくなるような場合でも、後見人を立てて子どもを支援する環境もあります。
長くなりましたが、「自分を含めた周囲の理解」「親の都合ではなく子どもの状態を優先」し、周囲の関係者とのつながりをもって「周りの人にも支援してもらう」ような環境づくりが求められるのではないでしょうか。
作品の中で障害(聾者)を持った女の子がいじめられているシーンについて、
>「現実は障害者に対するイジメとかは無いよな。
>障害を持ってる子は大人に特別扱いで守られていて、何かあれば
>理不尽な理由でも自分が悪者に仕立て上げられる空気は子供でも感じ取るから
>まず、関わらないようにしようという意識が強く働く。」
という意見がありました。
また、このトピックスの他の方のコメント欄にも同様に、クラスの中で「お客様扱い」された方の意見も見ることができます。
中には
「うちの子は障害を持っているんだから、特別待遇なのは当たり前でしょ??」
ということを平気で要求される方もあります。
それが本来の「ノーマライゼーション」なのでしょうか?
こどもが望む事柄なのでしょうか?
わたくしめにとっては、どうしても
「こどもをダシにして、自分が優位に立つことを喜んでいる」方
としか、見えなかったのでつい意見してしまいました。
差別(蔑視)されることを恐れるがあまり、今度は自らが差別(蔑視)する方に立ちたいというのは、
どうなのでしょうか。
コメント、ありがとうございます
おだんごむしさんを責めているとかは、全然無いんです。
たいへん申し訳ありませんでした
そういう親が多いというつもりで。。。。
かなり前の記事にコメントしてすみません
東京ですが、支援学校に行かせたかったです。
なんと言ってもきめ細かい指導、できないからと放置されず参加できること、先生が障害の特性を理解した指導、、普通学級や支援学級では、できないことばかりです。あげく、ひどい先生方にあたると支援学級でも不登校の児童がたくさんいます。
こんな会があっただなんて憤り、呆れました。
支援学級は通常学級から来る(不登校や学力が少し追い付かない等。担任からのいじめという人もいました)人も多くいて
支援学校高等部就業技術科などは、小学校高学年程度の学力に加え作文の課題(過去問を見ると分かります)を理解しなければならず、行きたくても行けない軽度の人がたくさんいます。
これからも支援学校で受けたい支援が受けられるように支援学校の充実を願います。