「せっかくお兄ちゃんが帰ってきてるんだから、遊んでもらいなさい」
と、母に言われたコズミは、この数日間、下の妹の世話を母に任せて兄について回った。
数年ぶりに戻ってきた長兄は、優しいし気前がいいし全然怒らないし楽しいし、
母ちゃんが二人いるみたいだな、とコズミは思う。
まだ幼いコズミには、昔、兄に遊んでもらったはずの記憶はあいまいだ。
だから顔を見ても、一緒に過ごしても、血のつながった『兄ちゃん』という関係性がよくわからない。
ハッキリ言って、村の中のどこかの家の兄ちゃんたちと、どう違うのかも、解らないくらいだ。
それでも、甘えさせてくれるといい気分だし、何か新しいことを教えてもらえるのもわくわくする。
そうしてくっついていて、この数日で解ったことといえば兄は何でもできる人なんだな、という事だ。
ご飯は母ちゃんや姉ちゃんが作るよりずっと美味しかった。
勉強も教えてくれたし、壊れた玩具も直してくれた。
父ちゃんが作った厠を補修する、という兄を手伝いながら、その凄さを改めて実感した。
だから、素直にそれを口にする。
「ひい兄って凄いね、偉いねえ、何でもできるね」
「お、そっかー、コズミが褒めてくれるとやる気でるなー」
そう言われると嬉しくなる。褒めたらいいのか。どんどん褒めちゃおう。
「父ちゃんよりすっごいね、父ちゃんが作った引き戸、がったがただったからね」
それには、周りにいた友達や従妹ものっかってきた。
皆、この「兄ちゃん」を気に入っていたから、口々に凄い凄いと褒め称えたのだが。
お前らそれは違うぞ、と兄が手を止めた。
「兄ちゃんなんか、父ちゃんに比べたら全然だめだ」
「えー?なんで?」
「これ父ちゃんが一人で作ったんだぞ、一から勉強してあちこちで資材集めて」
で、こんな大きさの建物を作った、と手にした金槌で厠をぐるっと示す。
「それに比べて、兄ちゃんがやってるのはここだけだ」
と、今度は細い角材を、とんとん、と叩いてみせて。
「それもな、兄ちゃんは村の外でいろんな人に教えてもらって出来るようになっただけだ」
いっぱい聞いて、いっぱい手伝って、やっとこれだけだ、と言う。
そういう事を父ちゃんはたった一人でやってのけたんだから。
「お前らもっと父ちゃんを敬え」
「うや、まえ?」
「あー、えーとな、兄ちゃんより父ちゃんを、もっともっと褒めろってこと」
「えー、そうかなー?」
確かに厠が出来たときは、厠すげーって思ったけど、父ちゃんすげーって思ったことないな。
と、コズミが従妹たちと顔を見合わせていると。
「コズミが兄ちゃんをすげえ、って褒めてくれるのと同じで、兄ちゃんは父ちゃんをすげえって思ってるんだ」
だったらどっちがすげーと思う?
そう尋ねられて、思った通りの事を口にする。
「兄ちゃん」
それに周りも、うんうん、と頷く。
「うお!まじか!!」
だって、父ちゃんはこれ作ったけど、それをちゃんと直せる兄ちゃんの方が凄いんじゃない?
上手に作れない父ちゃんと、上手に作れる兄ちゃん。兄ちゃんのほうが凄い。
そんな主張を口々に訴えると、兄は腕を組んで、ぐうう、と唸る。
「父ちゃんの凄さがわからんとは…、お前らまだまだひよっこだな…」
「ひよっこ?なに?」
「ケツが青いガキんちょ、ってこと」
「ケツ青くないよ?」
俺も、私も、と騒がしくなると、やっと兄がいつものように笑った。
「わかったわかった、それがお前らのいいとこだ」
そんなやりとりがあった事、寝る前に母に報告すると、母は穏やかに笑った。
「ねー、ひよっこって何だろう?」
「そうねえ、未熟者、ってことかしら」
「みじゅくもの?」
「下手っぴ、かな」
やーい下手っぴー、と母が、子供みたいな声を出す。
あ、それは解る。毎日いろんな遊びをするけど、上手な子と下手な子がいる。
けんけんは上手なのに落書きは下手だったり、蹴り石は強いのにすごろくは弱かったり。
ん?てことは。
「コズミは兄ちゃんに下手って言われたってこと?」
「そうね」
「何?何がへた?」
「父ちゃんを認めるのが下手だって、言ってるんじゃないかな」
「んんん?」
父ちゃんを凄いって解ってる兄ちゃんは、父ちゃんの凄いトコ、いっぱーい知ってるの。
と、母がコズミの髪をなでながら、子守唄のように聞かせる。
「だから、父ちゃんが凄いってわからないコズミのこと下手っぴっていうの」
コズミも下手っぴじゃなくなったら、父ちゃんを凄いって思うかもね?と
いたずらっぽく額と額をこっつんこされて、コズミは目を閉じる。
「まだまだだなあ、ってことよ」
「まだまだかー」
「いいわよ、まだまだで。そんなに急いで大人にならないで」
コズミが父ちゃんを好きなことは、母ちゃんもちゃんとわかってるわよ、と言い。
もちろん、兄ちゃんもね、と言われて、どこか安心した。
そっか、いいのか。じゃ、いいや。
そんな風に、眠りに落ちた。
そんなことがあった後。
今度はコズミが兄に、「まだまだひよっこだなー」と、言わしめた事件があった。
兄の事を子供のころから可愛がっていた、灰取りのばあちゃんの所へ遊びにいった時。
ばあちゃんが何言ってるか全然わかんねー、という兄の代わりに色々話をした。
コズミは毎日遊びに行っているから、ばあちゃんの言葉が難しくても言いたいことは解る。
ばあちゃんもコズミを可愛がってくれるし、何の問題もないことだったが、兄は凄いな、と言った。
だから、解った。
そっか、兄ちゃんは父ちゃんにはへたっぴじゃないけど、ばあちゃんにはへたっぴなんだ。
けん玉も上手な子と下手な子といるし、それと同じようなものなんだろう。
だから、ひよっこだなあ、とからかった。
からかった後に、これで(使い方)合ってる?と聞けば、合ってる合ってる、と頭をなでられた。
コズミにとって、兄とのやりとりはどんな些細なことでも、勉強のようなものだ。
村の誰も、こんなこと教えてくれない、というような新しいことをどんどん覚える自分がいる。
そんなコズミの満足感につきあってくれた兄が、なあ、と真面目に声をかけてきた。
「ばあちゃんさ、コズミのこと俺だと思ってるだろ」
「うん、そうだよ、なんかねーコズミ見てるとひい兄の小さい頃のこと思い出すみたい」
それはよく母に言われていたことだから、そのまま兄に告げたが。
兄は、複雑そうな顔をしていた。
「それさ、コズミはいやじゃないか?」
「ん?」
「嫌なのに、ムリしてないか?」
それも、初めて言われた。村の人にも、母ちゃんにも言われたことはない。
「嫌じゃないよ、どして?」
「そっか?コズミが嫌なんだったら、可哀想だな、って思ってさ」
可哀想、か。それも初耳。
やっぱり、兄ちゃんと一緒にいると色々、面白いことが起こる。
「ヒイロじゃなくてコズミだよ、って解ってほしくないか?」
「んー?」
そういえば、ばあちゃんには小さいころから可愛がってもらってたけど、いつからかな。
ヒイロ、って呼ばれるようになったのは。
全然思い出せないけど、全然、気にしたことなかったな。
「だって、コズミ、ばあちゃんのこと大好きだし」
「うん」
「ばあちゃんも、コズミのこと大好きって言ってくれるし」
それに。
「今一緒にいるの、コズミだもん」
コズミがお手伝いをすると褒めてくれる。コズミが上達したことを喜んでくれる。
それは過去のヒイロを見ているのではなく、ちゃんとコズミの今を見てくれているのだから。
ばあちゃんが、ついヒイロと間違ってしまう事くらい。
「ちっとも問題ないね」
と、両手を腰にあてて胸をはるコズミを。
「わあ!」
兄が、ひょいっと抱き上げる。
「すげえな、コズミは。兄ちゃんなんかより、ずっと偉いなあ」
軽々とコズミ一人を抱え上げる兄の力強さもまた、コズミにとっては物珍しい。
そんなふうに新しいものをたくさん与えてくれる兄が、コズミは凄い、と感心したように頷く。
「ほんと?すごい?」
「うん、兄ちゃんはだめだな、色々ごちゃごちゃ悩みすぎだな」
「ごちゃごちゃ?悩んでるの?それって、困ってる?」
助けてあげようか?と身を乗り出せば、兄が破顔する。
「本当な、コズミにはいっぱい助けてもらいっぱなしだな今回」
お役立ち?と問えば、勿論、と大真面目に答えてから、コズミを地面に下ろす。
「兄ちゃんは村の外に出て、色々この村にない物を手に入れてくるけど」
うん、それは本当にそうだ。
「そのおかげで要らない物もいっぱい手に入っちゃうみたいだな」
「要らないなら持ってこなかったらいいのに」
要らない物を持ってくるのをやめて、要る物だけを持つ方がいっぱい持てるのに。
変なの。
「そだな」
でもそれは、と兄が手を伸ばしてくるのでそれにしっかりと掴まる。
「兄ちゃん、自分ではわからないから、今みたいにコズミが助けてくれな」
「わかんないの?」
「そーなんだよ、村の外に出ると解らなくなるんだよ」
だから、コズミが頼りだ、という兄のそれは、とても大事なことのように思えた。
兄ちゃんを助けられるのはコズミだけだ、とも言われた。
どうして?と問えば、兄ちゃんの妹だからな、と兄がいう。
「そうかー」
あたし、ニオのお姉ちゃんだけど、ひい兄の妹でもあるんだ。
村のどこの家にも「兄ちゃん」って呼んだら遊んでくれる人たちはいるけど。
助けてくれ、っていう兄ちゃんは、ひい兄しかいないな。
「そっか、そっか」
「うん、どした?」
「ひい兄は、村の兄ちゃんじゃなくてコズミの兄ちゃんなんだね!」
「お、おう、今頃か…」
「だって、兄ちゃん全然いないんだもん」
「…そだな、そりゃ兄ちゃんが悪いよな」
「いっぱい帰ってきてね」
「うん、そうする」
約束ね、と指切りをする。
指1本でつながる絆。それを大切な宝物として、コズミは大きくなる。
あんまり急がないでね、と周りの大人たちに言われながら、大人になる。
それは、子供の使命。
簡単で、純粋で、潔い選択。
大人たちを導いていく、命の使い。
その最強の力を、コズミは知らない。
きっと、まだずっと。