シベリアの孤児達は明日をも知れない危機的状況にあった。
そんな状況をみかねて大陸極東の最果て、ウラジオストクのポーランド人達が立ち上がった。
ウラジオストクは、イルクーツクと並びシベリアでポーランド人が古くから暮らす拠点都市となっていた。
シベリア鉄道の土木技師を夫に持ち、ウラジオストクに居住するアンナ・ビルケヴィッチ女史が中心となって『児童救済会』が組織され、せめて孤児たちだけでも助け出したいと行動をおこした。
と云っても当人たちも故国からロシア人に徴用されシベリア鉄道建設に駆り出された者や、流人として流されてきた者とその家族や子孫である身。
寄付を募っても孤児たちを救える額など、集まるはずもない。
思い悩んで救済会が助けを求めた欧米の列強諸国は誰もが耳を閉ざし、助け舟を出さなかった。
追い詰められた救済委員会。
最後に藁をも掴む想いですがったのが日本だった。
でも彼女たち救済委員会のメンバーにとって日本とは、ずっと昔キリシタン信徒を磔にした非情で残忍な国との印象しかない。
そんな国に助けを求めるのは無駄と思われた。
その彼女たちを説き伏せたのは、若い医師ヤクブケヴィッチ副会長だった。
シベリア流刑囚の息子である彼は「私は日露戦争に従事した同胞を数多く知っています。
でもその中で日本や日本人を悪く言う人は誰一人としていません。
今年の春にわが軍のチューマ司令達を助け、船を用意し窮地を脱することができたのは日本軍のお陰だったと皆さんもご存じじゃないですか。」
そう発言し、メンバーの婦人たちを説得した。
委員会のメンバーは説得を受け入れるしかなかった。
他に方法はない。
まず彼女らはウラジオストクの日本領事を訪ねた。
その建物の構えは彼女に冷たく、よそよそしく思われる。
それはそうだろう、日本にとって故国ポーランドの困窮した民や孤児を救うべき理由など何処にもない。
彼女が救いを求めたそれまでの各国の対応は、冷徹な門前払いだったことを思えばなおさらだ。
それまですがった国は彼女たちにとって総て欧米の白人国家という遠い同族意識の
微かな可能性に訴える事ができたが、地球の反対側の全く異質な黄色人種の国にそんな連帯意識を求めるのは無理な相談だ。
いわば絶望に近い望みであった。
つづく