前編でのヨアンナの結婚後の描写と
その後の世界を付け加えると共に、
死後の異なる世界も合わせて本編で加筆したい。
ワルシャワゲットー蜂起鎮圧から
ふさぎ込むヨアンナが、
再び快活さを取り戻すべく通い詰めたフィリプが、
彼女の心を掴み、
愛を獲得することに成功したのが、
1943年7月初めの頃だった。
巷ではまだゲットー蜂起の
逃亡ユダヤ人狩りが終息しておらず、
時折絶望の断末魔の声が
市街に轟きわたっていた。
しかしそれも、
沈没船の船底で生き残った乗組員が
海の奥底で助けを呼び続けるが如く、
絶望の淵で次第にか細く、
最後は永遠の沈黙に至る様子と似ていた。
この現世はまさに瓦礫と死の世界。
運よく生き延びた者たち誰もが
涙にくれる生活。
しかし人は泣いてばかりで生きられない。
どんなに辛くとも腹は減るし、
睡魔は襲う。
笑いと安らぎを本能的に求め、
小さくとも幸せを求める。
ヨアンナは疲れていた。
もちろんフィリプに感じた愛情は本物だし、
前向きに生きてゆこうとする
気持ちも本物だった。
でも普通の神経では、
ワルシャワの日常はあまりに異常過ぎる。
それでも一歩前に踏み出せたのは、
ひとえにフィリプの
我慢強い努力の賜物だったろう。
アパートの扉を開けた外の世界は、
瓦礫が散乱する通りだけだった。
物資は不足し、食料確保もままならない中、
ヨアンナは愛するフィリプのため
できる限り良い妻であろうと努力した。
努力?
いや、幸せを渇望し、求めるあまり、
フィリプを愛し、愛し続けた。
彼女の心の中にはあの井上敏郎との
淡い思い出が住みつく場所があり、
そこは決して消え去りはしない。
でも彼女はその後一度も
彼の事は口にしなかった。
フィリプに気兼ねしていたこともあるが、
誰にも踏み込めない、
立ち入って欲しくない
大切な聖域でもあったから。
それを未練とか浮気とか
言う人もいるかもしれないが、
真実の愛が一人の人間に
ひとつだけと誰が決めた?
答えなんか誰にも教えてほしくなかった。
その年の蜂起終息目前の10月のある日、
ヨアンナは体調の異変に気付いた。
どうやら妊娠したようだ。
慢性的な医者不足の中、
運よく近所のもぐりだが
ベテランの産婆さんを見つけ
診て貰っても同様の見解だった。
ヨアンナはフィリプに告げると、
フィリプはアパートの天井を
ただ無言で見つめ続けた。
もしかして望まれない子供だった?
ヨアンナは一瞬不安になった。
よく見るとフィリプの頬には
一筋の涙が流れている。
「ありがとう!ありがとう!ヨアンナ!!
ありがとうございます神様!!!」
握る拳が微かに痙攣していた。
そっとヨアンナを抱きしめ、
いつまでもいつまでも抱擁していた。
その翌朝からフィリプは人が変わった。
どこがどう変わったのか、うまく説明できないが、
男には幾度か脱皮の機会が訪れる。
まさにフィリプはその時だった。
自分の子が生まれる!信じられない!!
そう、男には赤ちゃんが生まれるという
実感を体験する
本当の意味での機会はないのだ。
でも個人差はあるが、
確実に父親になる実感を掴む瞬間がある。
彼にとって我が子の妊娠を
告げられた時がその時だった。
戦乱の世。
自分も妻もいつ命を落とすか分からない。
でも必ず自分の命に代えても守りぬこうとする、
本能的な決意と覚悟が生まれる。
それ以降、
出産までの時期がヨアンナにとっての
至福の時だったと云えるのかもしれない。
ヨアンナの妊娠を知らされた時、
ワルシャワ包囲戦は生き地獄の終焉を迎える。
おびただしい数の生と死が
隣り合わせに混在する世界に
一条の希望の光が差し込んだ。
フィリップは大そう喜び、
その姿はかつての日本への
冒険飛行を成功させた
英雄のそれからは想像できないほどの
未来のマイホームパパの素養を垣間見せる。
しかしワルシャワ市民が
ドイツ軍に降伏したすぐあとの
1945年1月12日
ソ連軍が雪崩を打ってワルシャワに侵攻してきた。
市民蜂起を扇動しておきながら、
土壇場で裏切り、多くの市民を死に追いやった
ソ連赤軍をかろうじて生き残った者たちは、
恨みと悲しみと、怒りと己の無力さに満ちた
恨めしい表情で彼らを迎えた。
案の定、彼らは自分たちの味方ではない。
新たな醜い武力の支配者は、
それまで居座ったドイツ軍となんら変わらない
理不尽と恐怖の象徴であった。
彼らが真っ先に行った統治手段は
困窮する市民の救済ではない。
国内軍としてドイツと戦った英雄の
逮捕と処刑だった。
自分たちが決起をけしかけておいて、
イザ自分たちが支配するという段になり、
ものを云い、抵抗という行動を起こす
将来の不満・危険分子を
直ちに始末するという
ドイツ軍より狡猾で悪辣で
醜い悪魔の統治者であった。
フィリプはドイツに代わる新たな侵略者に対し
ワルシャワ市内残留、徹底抗戦を主張したが、
ヨアンナは強硬に反対した。
これが2度目の夫婦喧嘩。
フィリプには何としても生きていてほしい。
ここにいては確実に死しかない。
次々に逮捕・処刑される仲間を目撃し
残存する僅かな仲間たちの意思に従う事とした。
即ちワルシャワ市内を脱し、
抗戦を目指すという路線に変更したのだった。
今度の敵は、ドイツ軍ではなく、
ソビエト赤軍になったが。
ソビエト赤軍の蜂起扇動と
見殺しの裏切り行為、
後に知らされたカチンの森での
ポーランド人虐殺行為。
普段温厚で冷静な判断力を持つ
フィリプも怒りに震えた。
フィリプは他の仲間たち
旧国内軍残党と共に、
喜びも悲しみも深く心に刻んだ
ワルシャワの地を離れた。
ヨアンナを
エヴァとボレスワフ夫妻に託して。
レジスタンス
この意味は理不尽、
不条理な支配に対する反抗であり、
対ドイツやソビエトに
限定されるものではなかった。
但し、残念ながら歴史的事実として、
この不条理は
ドイツ軍を駆逐し赤軍の反抗占領した
旧ポーランド領に戻ってきた
抵抗できない難民ユダヤ人に対する
ポーランド人の行為にも
指摘できたが。
24万人の難民ユダヤ人が
ポーランド領に押し寄せ、
第二次世界大戦が終結した一年後の
1946年7月4日の血の中傷事件では、
ポーランド人暴徒による殺害事件が起き、
42人が殺害され80名の負傷者が出た。
戦後のポーランドは
ユダヤ人の安息の地ではなかった。
そして数々の迫害の後、
とうとう9万人まで人口が減少した。
狂気の大量殺りく時代。
誰が正気で
誰が狂気で
誰が正義で
誰が悪!
そしてナチスドイツが崩壊した5月8日。
ポーランドではソ連という
新たな支配者に
とって代わられただけではあったが、
ヨーロッパに於ける戦争は終わった。
少なくとも戦争による死の危険は。
見せかけの平和が訪れた新しい時代。
ヨアンナ、フィリプにとっての
二人の愛の結晶の出産の日が来た。
1945年6月22日
出産に立ち会っていた関係者たちに
歓喜の声が響き渡った。
待望の子は男子で、アダムと命名された。
アダムとイブのアダム。
記念すべきポーランドの
解放の象徴と思われたヨーロッパ大戦直後。
奇しくも同日が出生の日となり、
希望に燃えた新生ポーランドの象徴として
人類誕生の象徴アダムにあやかり、
『アダム』と名付けられた。
当時のワルシャワ戦乱の
最悪な環境を生き抜いたにもかかわらず、
アダムは周囲の愛に包まれ、
妊娠中と生後一番危険な
最初の1カ月を無事に育った。
つぶらな瞳は誰に似た?
愛くるしい笑顔は誰に似た?
母乳をねだる可愛い鳴き声は誰に似た?
健やかな寝顔は誰に似た?
赤ちゃんの前では親は皆親馬鹿になり、
前途洋々な未来を想う。
早くお話できるようになってね。
ママはアダムと話したい。
「おはよう」だったり、「おやすみなさい」だったり
「いただきます」だったり・・・。
同居する妊娠中のエヴァと
その夫ボレスワフも
我が子同然にアダムを溺愛する。
やむを得ず身の危険を避け
ヨアンナのもとから消えたフィリプも
同じ夜空を見上げ
まだ見ぬ我が子に
思いを馳せている事だろう。
子を思う心。
フィリプには未だ叶わぬ夢だが
いつかきっと会える。
今は離れ離れだが
いつかきっと。
その日を思い、
我が子の成長を心の中で追い続ける。
それだけでも幸せになれる。
かけがえのない幸せ。
(心の中で)成長を見届ける幸せ。
(心の中で)一緒にいられる幸せ。
アダムは確実にクビャク家の太陽だった。
そしてヨアンナはその時初めて理解した。
何故亡き父と母は、
私を太陽に喩え励ましたかを。
父の想い、母の想いを理解した今、
やっと自分の大切な家族を
実感できたのかもしれない。
しかし、やっと掴んだ幸せに
暗雲が襲ってきた。
ヨアンナはひたすら
家庭と我が子を守るため
不条理からできるだけ
距離をとるように生きていた。
しかし、フィリプの死後、
ヨアンナの運命も決定づけられていた。
ヨアンナが生きる別の世界
しかしここで別の運命に視点を移してみよう。
私たちの歩んできた道は
ひとつだけだったはずだが、
実は無限に異なる世界が存在する。
『パラレルワールド』
聞いた事があるだろう。
例えば自分の人生だけとっても
ほんの少しずつ違う別の運命を辿る
別の人生が別の世では存在する。
例えばある時、
目の前に飛ぶ虫を掃おうとしたために
交通事故にあったり回避できたり。
ほんの小さなきっかけの違いで
大きく変わる世界があることを
踏まえてほしい。
その前提で今後の物語は始まる。
戦後編
ヨアンナとアダムの住む
ささやかなアパートの一室に
赤軍兵の一団が踏み込もうとした少し前、
ヨアンナはフィリプの死を知らされず
普段と変わらぬ日常を過ごしていた。
この日も青年会つながりで
いつも世話を焼きに来る近所の女性が
たまたま来ていた。
その手伝いの女性が休憩中、
わんぱく息子のアダムが蜂に刺されて
火がついたように泣き叫んだ。
アパートの裏手の狭い所で、
遊びながらたまたま手に取った
木の枝を振りまわし、
無邪気に歌いながら
踊るように動き回っていたところ、
ひょんなことから
近くを飛んでいた蜂を刺激してしまい
刺されたのだった。
パラレルワールドの異世界に入り込む前だったら
蜂はアダムを刺すことはなかった。
ほんの1cm振りまわした棒がずれただけで
アダムの運命は変わり、
驚いて駆け付けたヨアンナの運命を変えた。
急ぎ我が子を抱きかかえ、
何が起きたか理解できないまま、
途方に暮れるヨアンナ。
一部始終を目撃した手伝いの女性が
何が起きたのかを伝え、
すぐに医者に見せるよう進言、
ヨアンナはそのままアパートを飛び出した。
留守番を頼まれた手伝いの女性に
その直後元青年会メンバーの男女二人が
差し入れを持って会いに来た。
ヨアンナの留守中、家事をしているとき、
いきなり乱暴にドアが開いた。
怒涛の如くなだれ込んできたのは
ソ連兵治安部隊。
テロリスト・反逆者フィリプの家族の
逮捕拘束を目的とした一団だった。
入って来るなり、その一人が叫んだ。
「反逆者フィリプの家族を逮捕する!
妻ヨアンナ、おとなしく縛につけ!」
ただしロシア語で大声で叫び活舌が悪く、
よく聞き取れなかった。
突然の出来事に驚き、
その粗暴さに手伝いの女性が
大声で衝動的に抗議した。
「あんたたち、何なの!
ここはフィリプとヨアンナの家よ!
出ていきなさい!」
差し入れにきたふたりのうちの男が
なだめようと手伝い女性に歩み寄った。
たまたまその時手に
布にくるまれた差し入れを持っていたために
拳銃のような武器に間違えられ
ソ連兵のひとりが小銃を構えた。
それを見て悲鳴を上げた手伝い女性に驚き、
男はソ連兵に向き直った。
それは小さな行き違いだった。
でも人の命なんて
虫けらと変わらない価値観の兵士は
ためらわず引き金を引いた。
偶然そこに居合わせたヨアンナの友3人が、
理不尽に殺害された。
本人確認を怠り、無関係の人を殺めても、
平然とその場を去るその後ろ姿に
銃声を聞き何事かと
様子をうかがう隣人たちはすくみ上った。
ヨアンナとアダムが戻った時、
その惨状に愕然とした。
何が起きたのか?
詳細も分からないまま、立ち尽くしていると、
銃声を聞いただけの隣人が
ソ連兵の仕業であることを伝えた。
そしてその翌日、青年会はボレスワフを通じ
フィリプの死を伝えた。
ヨアンナは言葉を失った。
声が出ない。
立ち尽くすが、力が入らない。
眩暈がする。
現実と乖離した、歪んだ室内に居る気がする。
エヴァが黙ってヨアンナを抱きしめる。
静かな、しかし止めどもなく続く嗚咽(おえつ)。
どれだけの時間そうしていたのか?
でも悲嘆にくれている場合ではない。
ソ連兵がまた来る可能性がある以上、
ただちに逃げなくてはならない。
友が必死で説得した。
でも何処に?
組織はまだ死んでいなかった。
すぐさま逃亡先を手配した。
ヨアンナとアダムは
エヴァ夫妻に促され意を決する。
思い出深い旧市街と、
戦乱を避け移り住んだ郊外。
ずーっと外れの僅かに残った建物から、
徹底的に破壊された廃墟の地
ワルシャワを去った。
果てしない自由獲得への道のり
第二次世界大戦終結後の1945年
ロンドン亡命政府と共産主義会派の
ルブリン委員会が合同、
国民統一臨時政府成立。
しかしソ連赤軍が駐留、
臨時政府を傀儡政権化した。
亡命政府系は再び亡命するか、
逮捕・処刑された。
1948年ソ連が黒幕のポーランド労働者党、
ポーランド社会党左派が合同、
ポーランド統一労働者党(PZPR)成立、
一党独裁体制に移行した。
1952年共産主義を基調とした憲法制定、
国名をポーランド人民共和国に改め
新たなマルクス・レーニン主義、
共産主義国家の誕生となった。
ポーランド人民共和国には
勿論自由も人権も尊厳も存在しない。
あるのは自己保身のために、
『見ざる』『言わざる』『聞かざる』
を徹底し、権力に対し従順に過ごす
『ふり』を全うする知恵を活かす事だけだった。
そこから少しでも逸脱し、
反抗の炎の目を燃やしたら、
あるのは収監か強制労働、
処刑のいずれかである。
事実、おびただしい人々が
その法則を身をもって経験している。
息のつまる傀儡・独裁政治。
しかし、そんな緊張した生活に
人間どれだけ耐えられるのだろう?
1956年ソ連にて
フルシチョフのスターリン批判、
自由改革路線の息吹が見られるようになった。
それに呼応するかのように、
ポーランドでも
ポズナニの労働者暴動が発生、
それを期に党第一書記
ヴワディスワフ・ゴムウカ主導の
自由化が推し進められた。
しかしその情勢を黙って黙認するほど
ソ連は甘くなかった。
度重なる圧力から政権は次第に保守化
1968年「プラハの春」以降
自由の芽は再び摘まれた。
その間ヨアンナとアダムはどうしていたか?
一行はポーランド北部の
グダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)
に移り住んでいた。
その地は亡き父フィリプが若かりし頃
赴任していた職場に近く、
ヨアンナの第二のふるさと
ヴェイローヴォ孤児院にも近い
自由産業都市であった。
しかしここもドイツ、
ポーランドの争いにより
旧市街を中心に
廃墟が広がる爪痕を残していた。
しかしさすがに
中世からの求心力が残る中心地。
復興の速さは目を見張った。
特に古くからある
ダンツィヒ造船所を修復
レーニン・グダニスク造船所
として生まれ変わった。
そんな活気あふれる地を
安住の地として選択するのは
ごく自然な事だった。
移住後彼女は息つく間もなく、
生活の糧を得なければならない。
青年会支援者たちの力添えもあって、
小さな食堂を開くことができた。
そこは彼らメンバーの憩いの場となり、
何とか生活の目途が立つくらいの
繁盛を見た。
ヨアンナは生きるため、
我が子を育てるため
必死で働いた。
そのそばで絶えず目を離さず
支え続けてくれたエヴァ夫妻。
可愛い娘エミリアは、
ヨアンナを「おばちゃま」と呼び、
かけがえのない
アダムの幼馴染に成長していた。
腕白だったアダムも
次第に聡明な少年に成長し、
父親の面影が随所に見られた。
エヴァ一家や周囲の手厚い支援もあり
人並みに学校にも通うことができた。
ある夏の暑い日、アダムは学校の友と
港近くの海岸で遊んでいた。
友のひとりが手づくりの
ビーチボールに見立てた
大きめの球を持参していた。
その日はバルト海沿岸にしては
珍しく30℃近い猛暑日だったが、
南の風(陸風)が流れる日でもあった。
数人で釣りの真似事の後、
ボール遊びに興じていると、
風に流されたボールが
波打ち際へと転がっていった。
アダムは追いかけ、寄せては引く波の中、
海へと夢中で走った。
しかし沖に流され
ボールはどんどん遠く離れていく。
やがて気がつくと、気温の割に
驚くほど冷たい海水がアダムの胸に達し
怖くなってボールを諦め
岸に戻ろうとした。
しかし沖に向かって吹く風は、
どんなに戻ろうともがいても、
もがいても押し戻されていった。
その様子を浜で見ていた友たちは
最初すぐにボールを取り戻し
岸に帰って来るものと楽観していた。
だがいつまで経っても
岸に戻れないアダムの様子を見て、
次第に不安になってきた。
アダムは体力を消耗し疲れ始めていた。
疲労が表情に現れる。
「ああ、アダムがおぼれる!」
初めて事の重大さに気づいた
友のひとりが、近くにいる大人を探し、
助けを求めた。
たちまち人が集まり近郊の漁師が使う
小さな磯船が助けに向かった。
その磯船でさえ、
救助のあと岸に戻るとき
その向かい風の強さに
オールを押し戻されるほどだった。
しこたま海水を飲み、
ぐったりしているアダムに
助けた漁師が
「危なかった・・・。
この俺まで流されるかと思った!
九死に一生を得られて
良かった、良かった!
なぁ、もうあんな事やるんじゃないぞ!」
アダムは無事に戻れて安堵したのか、
まだ肩で息をしながら
うつむき加減に小声でそう言った。
しかし海水を飲み溺れかけた者は必ず
重い病気に罹ったような脱力感と
具合悪い症状に陥る。
アダムが元気を取り戻し、
家に帰れるまで回復するのに
1時間はかかった。
心配して付き添ってくれた友たちも
それぞれの家路についたときは
すっかり日が暮れていた。
アダムが家に戻ると
一部始終を聴いたヨアンナは
意外にも落ち着いていた。
取り乱したり喚くこともなく
最後まで黙って聞き、
間をおいてからこう言った。
「アダム、今あなたはどう思っていますか?」
「心配かけてごめんなさい。」
蚊の鳴くような声でそう言った。
「助けてくれた人にお礼を言いましたか?」
「うん、ちゃんと言ったよ!」
「アダムは母さんの大事な、大事な息子。
天国のお父様もあなたを
いつも見守ってくれていることを
忘れないでね。きっとよ。」
翌日お店を開ける前にヨアンナとアダムは
改めて助けてくれた漁師を探し当て
丁寧にお礼を言った。
アダムは幼い少年の心に深く刻んだ
もう二度と軽はずみな行動はとるまいと。
エミリアはそれをきっかけに
アダムの行動を注意深く見守った。
もちろん母エヴァからの
言いつけではあったが、
本当にそれだけか?と思うほど
積極的にそばを離れず、
関りを持とうとした。
そしてアダムが「うるさいなぁ!」と
煩わしさを露わにするほど付き纏った。
お陰で小学校・中学校で
「エミリアはアダムの奥さんかぁ?」
と囃し立てられ、
不動のカップルと見なされた。
恥ずかしさから逃げるアダムと、
追うエミリア。
「あぁ、青春だなぁ。」
と誰もが思った。
アダムの目覚め
ヨアンナの食堂は
いつも活気に満ちている。
造船所が近くにある事と
漁師が足繁く通う関係で
絶えず客足は減る事がない。
ヨアンナは齢40代となっても
その品の良い美しさは衰えていない。
未亡人に言い寄ろうと画策する
男どもには事欠かなかった。
美と共に、その聡明さに臆することなく
言い寄る強者の中には、
自分のインテリジェンスな一面を
アピールするため、
共産圏の閉じた社会の外の
仕入れ聞き齧ったばかりの
外国の話題を口にする輩も現れる。
彼らは自由な外の国の話題に飢えていた。
ヨアンナの食堂の外では御法度な話題も
ここの中だけでは許される。
そんな空気がいつも流れていた。
イギリスやフランスの流行り歌や、
「アメリカのコーラは旨い」だの、
「ケネディはいい男だが、
お坊ちゃまだね。」みたいな
にわか評論家の客が多数いた。
ある日そんな客の中に、
何処から手に入れたのか
「日本国憲法」の要約・ポーランド語版を
見せびらかす客がいた。
それは密かに
海外の政治を研究する団体から
流出したものらしかった。
他にも怪しい冊子はいくつも存在する。
ヨアンナはそれらにあまり
興味を示さなかったが
日本の話題にだけは何故か関心を示す。
その事に気づいたある船員の客が
日本のものなら何でも良いだろうと
持ち込んだものだった。
はたしてヨアンナは
目を見開いて興味をみせた。
「こんなもので良かったら
アンタにやるよ。」
そう言って得意げに彼女に渡した。
どうせ彼にはどうでも良い
お堅い内容だったので
最初から必要ない物だとは
絶対口にしなかったが。
ヨアンナはその後
幾度となくその冊子を読み、
何かを感じる風だった。
多感な歳に育ったアダムは
そんなときの母の様子に
「一体どんな良い事が
書かれているのだろう?
聖書ですら、そんなに熱心に
読んでいる姿を見た事はないのに。」
そう思い、内容を知りたいと感じ始めた。
母が遠い昔、
日本でのたくさんの大切な思い出を
持っている事は知っている。
それとあの本は関係あるの?
アダムはある日母に聞いた。
「ねえお母さん、
その本には何が書かれているの?
僕も読んでみたいな。」
母はにっこり笑って応えた。
「この本にはね、
お母さんがずっと憧れ、
欲しいと思い続けていた事が
書かれているのよ。」
「お母さんは一体なにが欲しいというの?
僕が居るだけでは足りないの?」
母は言った。
「お母さんにとって
アダムは私の命なのよ。
それ以上に大切なものは無いわ。
でもその愛するあなたとの暮らしを守り、
幸せに生きていく道標が
ここには書かれているの。
お母さんも、亡くなったお父さんも
そのために戦ってきたわ。
この国の大勢の人たちが
それを手に入れるために戦い、
命を落としたのよ。
アダム、私の愛しい子。
あなたの未来を
明るいものにするために
今でもお母さんは
欲しいとおもっているの。
分かる?
あなたがこの内容を理解する日が来たら
必ず見せてあげるわ。
それまでしっかり勉強してね。」
アダムは思った。
「チェ!やっぱり母さんは結局
僕に勉強しなさいって言いたいんだな。」
世の母親が共通する願いは
我が子がしっかり勉強する事だと
悟っていたアダムだった。
しかし彼の母はその時の事を忘れていず、
彼が15になって間もなく彼に本を読ませ
感想を聞いた。
アダムは外国の憲法など
遥か関心の外にあった。
当然全く無反応な答えしか返ってこない。
母は云った。
「ほらね。
だからしっかり勉強しなさいって言ったでしょ。」
このときもアダムは心の中で顔をしかめ、
「チェ!」と舌打ちをした。
構わず母は云った。
「私たちの国ポーランドは、
永く外国に蹂躙されてきたわ。
その事はアダムでも分かるでしょ?」
アダムが頷くと、
「この国には自由は無いわ。
役人に逆らうと怖い目に会うって知ってるわね。
自分の考えを自由に言えず、
正しい事を正しくできないのよ。
それはね。私たちには
その権利が与えられていないからよ。
いつ、どんな理不尽な事があっても
国が決めた事には逆らえないの。
でも、この本に書かれている内容はね、
憲法と云って
その国の人たちの大切な権利と
守るべき仕組みが決められ、
国民に向かって約束されたものなのよ。
母さんはここに書かれている文章を読むとね、
涙が出るほど感動するの。」
「でも、日本って戦争で負けたんでよ?
だからその憲法も
勝ったアメリカから押し付けられたって
学校の先生も嘲ていたよ。」
戦勝国とうそぶくソ連の衛星国となり果てた
祖国ポーランドの先生が、
生徒にそんな程度の見識しか示せないのが
この国の悲しい現実だと母は思った。
そして
「ねぇアダム、例え先生でも
お母さんがこんな本を
読んでいるなんて言ってはダメよ。
悲しい事に、いつ密告されるか
分からないのだから。」
「ウン、分かっているよ。
社会科の勉強しているふりをして
先生に外国の法律について質問したんだ。
そしたら先生は、
祖国ポーランドが一番だってさ。
僕はフーンって聞いていたんだ。」
何とも頼もしい先生だとヨアンナは思った。
ヨアンナはアダムに
日本国憲法に書かれている
一節を読んで聞かせた。
「第12条 この憲法が国民に保障する
自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない。
また、国民は、
これを濫用してはならないのであって
常に公共の福祉のために
これを利用する義務を負ふ」
「とあるのよ。
これは人権保持の義務といって、
人間が持つ固有の権利の歴史的な意義を
保持するため、国民の責任を定めているの。
分かる?」
アダムは首を横に振った。
ヨアンナはフゥ、とため息をつくと、
「アダム、お母さんはね、
幼い頃からたくさん辛い目にあってきたの。
それもこれも、
この国が外国から支配されていたせいなの。
そういう苦しい経験や、
悲しい経験をいっぱいしてきた
私たち大人はね、
みんなひとつの願いを持っているのよ。」
「どんな願いなの?
神様は叶えてくれないの?
僕が一生懸命祈ってもだめなの?」
ヨアンナは少し微笑みながら
優しく諭すように云った。
「私たちの願いはね、
幸せに暮らす事よ。
一生懸命仕えれば
神様はその願いを
叶えてくださるかもしれない。
でも、それを阻む理不尽な仕組みや、
不正や悪意を持った権力は
自分たちの意思と力で
排除しなければならないの。
この国の悪の元凶は
外国に支配されている事よ。
だから私たちが幸せを掴むためには、
まず戦い、勝ち取らなければならないわ。
『国が国民を統治するのではなく、
国民が自らの意思で国を統治する』
そんな国であるべきなのよ。
・・・・。そうねぇ、私たちの大切なものは
人が与えてくれたりするものでは
決してないのよ。
何もせず、待っているだけでは
決して手に入らない。
自分が努力して、頑張って、
時には戦って勝ち得るものなのよ。
でもね、何も命を懸けて
力づくで争い、勝ち取れ!
という意味ではないわ。
時にはそういう事も
必要なのかもしれないけれど、
そんなことを言いたいのではないの。
自分たちを怖がらせ、
威張り散らす
大きな力を持つ者たちに対しても、
決して怯まず、
自分の意思と信念を曲げず、
その覚悟を相手に示す
姿勢が尊いと思うの。
私たちの人生や暮らしや
希望や夢を実現する道筋を、
外国人が握る今のポーランドは
悲しいし、間違っているわ。
まず自分たちが頑張って
掴み取るの。
その後神様に幸せを願うべきだわ。
お母さんはそう思うの。
だからこの本を読んで感じるのよ。
この憲法のこの条文は、
その大切さを示しているわ。
自分たちの権利って、
そう簡単に手に入らないし、
それを手に入れたからと云って、
あとは無条件で
保障され続けるものではないってこと。
私たちにとって大切な
自由と平等と人権は、
自分たちが絶えず努力して
維持させるものだって
教えてくれているのよ。
その自覚と覚悟を
持ちなさいって言っているの。
お母さんの経験はね、
お母さんにたくさんの事を教えてくれたわ。
人の権利が尊重され、
守られてきたら
起きなかった悲劇を潜り抜けてきたの。
だから例えこの憲法が
外国から押し付けられたものだったとしても、
彼らは必死で戦って得たものなのよ。
戦いに勝って押し付けた国アメリカも
日本の戦いを見て、
立派で真摯な姿勢を見て、
この国にはこのくらいの崇高な理念でも
実現できるだろうと思って
授け、託したのがこの憲法だと思うの。
でも、もう一度言うけど、
どんなに素晴らしい憲法を持っていても
そんな理想を造り維持するのは
国民よ。
ひとりひとりが意思を持ち、
国を作るのは国民なの。
私たちが持つべきものは
その精神だってこと、
アダムにも分かって欲しいわ。
だからあなたも
もう一度この憲法の
条文をよく読んでみて。
人類が永く戦い、かち得た理想と理念を
憲法という形で表した
国民に対する
最高の保障だって分る筈よ。
母さんが幼い頃滞在した日本という国はね。
そう言う憲法がとっても良く似合う国なの。
ホントよ。
あなたにも見せてあげたいわ。」
アダムは再び渡された冊子を
内容が理解できるようになるまで
何度も読み返した。
そしてその内容が理解できるようになると、
人が変わったように、
熱心に勉強するようになった。
エミリアの献身
男の子はあるときを境にして
急に大人びる事がある。
そして彼は、その後成長し、
明らかに少年のそれから
男らしさが溢れ出るような
高校生へと変わりつつあった。
エミリアはそんな彼の変化に戸惑いを覚えた。
幼馴染で甘えん坊だったアダムが
ドキッとするほど素敵に見える事があるのだ。
話し方もガキのそれから
思慮深く落ち着いたトーンに変わってくる。
日常の何気ない会話の時も、
一瞬彼と目が合うと
恥ずかしさから反射的に
はにかむように伏し目がちになってしまう。
彼は賢い生徒だった。
学年常にトップで
人望も厚く、友達に囲まれる
リーダー的存在になっていた。
しかし、先生たちの中には、
そんな彼の自由主義的な生き方を
良くないと考える者もいる。
言動の節々に
体制を批判するような、
皮肉るような考えが垣間見られた。
それ故、彼に対する評価で、
『思想に問題がある事が懸念される。』
と当局に報告され、
調査の対象にリストアップされ、
調査員が身辺調査をしたことがあった。
特に問題なく過ごす彼から
指摘されるべき事象もなく、
警戒から要観察扱いへと変更される。
エミリアがそんな身辺の変化に敏感に反応し、
アダムに言動に注意するよう促したのも
その頃だった。
登下校時、
男友達と連れ立ち歩くすぐ後ろを、
エミリアはあたりを警戒するように
ついて行った。
見知らぬ男が街角で
アダムを監視する様子を見るにつけ
身震いがするほど怖くなる。
たかが取るに足りない高校生に対してさえ
警戒と監視の手を緩めない
当局が恨めしくさえ思った。
そんなある日、
いつものようにアダムと連れ立つクラスメイトが、
今度の休みにどう過ごすかで
ちょっとした言い合いになっていた。
テストが近いので
一緒に勉強しようと云う者と
川で釣りがしたいと云う者に分かれて
エキサイティングしてきたのだ。
アダムはその時冷静な仲介者として、
「(政府の)政治家や役人じゃあるまいし、
自分の都合と欲求に縛られた
身勝手な主張は心の中にしまって、
相手の気持ちを尊重した意見も持とうよ。
もう少し冷静になって話合わないか?」
と云った。
それを見ていた監視の男二人は
アダムめがけて近づいてくる。
咄嗟にエミリアがアダムの一団に割って入り、
「アダムったら忘れたの?
今度の休みに私のママが
地域の委員会事務局から頼まれた
用事の準備を手伝ってって言われていたでしょ?」
エミリアはアダムの腕をとり
男たちの脇を足早で過ぎ去った。
事態の緊迫した危険を悟ったアダムは、
「ありがとう、エミリア。
どうやら助かったようだね。」
と云ってエミリアを見た。
エミリアは無言だった。
目に涙をいっぱい溜めて、
アダム引っ張るように歩きながら
ただ足早に家路についた。
アダムはこの時初めてエミリアを
かけがえのない大切な人と認識を新たにした。
そして卒業の少し前、
誰もいない郊外の樹木に囲まれた中、
初めてキスをした。
その後アダムは優秀な成績で
グダニスク工科大学へと進んだ。
地元の大学と云う事もあり、
電話局の交換手として働くエミリアとは
順調に交際は続いている。
しかし、エミリアには
本当は進学の希望があった。
文学の道を究めたく、
遠く離れた場所にある大学の文学部進学を
実現させたかったのだ。
しかし、当時は女子が大学に進むのは
男子より困難だった。
また、愛するアダムと離れて暮らすのも
エミリアには耐えがたかった。
彼を愛しながらも、
夢の実現に有効な答えを見いだせず、
悶々とした日々をおくっていたのも事実だった。
グダニスクの学生街は
ふたりにとって数々の愛の思い出が
今も息づいている。
この町はそういう街、
改めてそう思うふたりである。
1967年無事卒業後、アダムは
グダニスク造船所に電気技師として
開発部門の部署に配属された。
同期にレフ・ヴァウェンサという
気の良い青年がおり、
仕事の他、仲良く行動することが多かった。
レフは人が良い性格で
アダムとよく議論を交わすが、
一番仲良く楽しい時間を共有する
一番の親友であった。
アダムがエミリアを恋人として紹介したときも、
人懐っこい笑顔で
彼女を仲間として受け入れてくれた。
彼らの青春時代は、
信頼と共感と競い合う姿勢がもたらした
輝ける時代と云えた。
彼らの議論を傍らで黙って聞くエミリアは、
次第に興味が文学から社会学的思想に
移っていった。
世の中で起こる社会的事象を見て、
自分なりに考えを消化させる方法を、
自分独自の考えを構築する方法を、
この時身に着けた。
そしてアダムとヴァウェンサの意見が対立したとき、
冷静な調停人としてコーヒーを勧め、
ふたりを諭すアドバイザーになっていた。
時は流れ翌年、
東欧社会主義陣営の自由の空気が
消し飛ぶ事件が起きる。
チェコ動乱『プラハの春』だった。
そして1970年、自由の圧殺による閉塞感と
賃金に不満を持つ労働者が立ち上がり、
グダニスク暴動が起きた。
アダムとレフは、
自分はどうするべきか悩んだが
次第に労働問題に目覚め、
引き込まれていった。
しかし、暴動では問題解決はありえない。
しっかりした組織を立ち上げ、
理論武装のため学習し
社会の支持を得られるよう
努力すべきだとの結論に達した。
共産主義や社会主義は
労働者主体の
社会経済体制であると云いながら、
自由は圧殺され、人権は守られない。
それの何処に理想があるか?
国民の誰が喜ぶか?
それは私たちが本当に求める社会ではない!
自由とは自らの責任において
自らが管理し、自らの理想を追い求めるもの。
それも独りよがりではなく、
より多くの人々が知恵を出し合い
力を出し合い、喜びを分かち合うもの。
アダムとレフは完全に意見が一致した。
彼らが具体的な活動を推し進めるにつれ、
当局の眼が厳しさを増してきた。
エミリアはふたりの良き理解者であったが、
学生時代の時のように再び
弾圧の危機に対処できるほど
社会は甘くなかった。
身の回りに弾圧の危険がせまり、
ヨアンナはわが子の運命に不安を感じた。
父フィリプのように殺されたらどうしよう?
幾度となくアダムに母の不安を伝え
慎重と自制を求めた。
しかし決して主義を捨てろとは口にしなかった。
何故ならアダムは自慢の息子であり、
母の太陽であり、
ポーランド人の誇りを守ろうとする英雄だから。
自ら教え、アダムの物事の考えに
決定的な影響を与えた責任もある。
フィリプが命がけで掴もうとした誇りと自由を
是非息子に成就させたかった。
しかし母はもうあまり見届ける時間がなかった。
苦難の末レフが委員長になり
1980年自主管理労組『連帯』を結成した。
危機を覚えた政府は戒厳令を敷き、
レフとアダムは拘束された。
ヨアンナは心労から床に臥せ、
次第に弱っていった。
懸命に看病するエミリア。
しかし運命の日は空しくやってきた。
1983年10月20日
アダムが釈放された日、
ついに息を引き取った。
ヨアンナ68歳だった。
ポーランドの真の夜明けを見ることなく、
苦難に満ちた人生だった。
しかしその魂の種は
しっかりポーランドの大地に撒かれ
息づいている。
彼女の願いを
神は叶えようとしてくれているのか?
その後アダムの盟友レフ・ヴァウェンサは
日本では「ワレサ」として報道、紹介され、
1990年第二代大統領に就任、
次々に自由化、民営化を行った。
懐刀アダムは陰で彼を支え、
自由ポーランドの建設に寄与した。
今ではEUの一員として
自由な空気と尊ばれる人権と
愛に満ちた国家を
ポーランド国民は掌中に収めたのか?
それは各々の国民と、
神と未来から見た
歴史のみぞ知る。
今度こそ本当に 終わり。
お褒めのお言葉、大変励みになりました。
仰せの通りオリジナルの作品です。
私の方こそ、サテュロス様の作品はとても参考になります。
登場人物の会話の描写にとても関心しました。
今後も訪問させていただきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
今、僕が書いている小説にも、大変参考になりそうです。また、読みに伺わせていただきます。