「豊穣の海」シリーズの3。
シリーズではあるが、各巻にそれぞれ明確な色がありますね。
「春の雪」は少年期の傲慢。
「奔馬」は青年期の激情。
「暁の寺」は、中年期の不格好か。
「春の雪」は全く好きとは言えないが、名作だと思う。よくわかって読めた。
「奔馬」はとにかく右翼的な(ことに言及している)内容は嫌いだが作品としては評価する。
だがこの「暁の寺」はピンと来ないなあ。
前半部分は傑作だ!と思ったんだけどね。
何しろベナレスの描写がすごいね。現地に行って書いた?現地に行かずに書いたなら天才だし、
行って書いててもやはり天才だと思った。
壮大華麗な筆さばき。華麗すぎるところに、観念的すぎるところに、好き嫌いはあるだろうが、
ここは舌を巻かずにはいられない。
タイとインドについての筆は感嘆しかない。
仏教についての言及は、通常わたしの読む小説には出てこないこととて面白かった。
阿頼耶識についての文章は、ほぼ全くわからなかったが。
が、後半はあんまり面白くない。
そもそも本多って、細かく書いても面白くならない人物ではなかろうか。
絢爛たる筆にそぐわないというかさ。あまりにも常識人でありすぎる。
それだからこそ中年のここに来て、覗き魔という属性を与えたのだろうけど、
だからといって興味深いキャラクターになるかというと……
何しろ、前二巻では傍観者としていた人なんだからさ。
シテはシテ、ワキはワキじゃないのか。ワキをシテにして面白い話になるかなあ。
まあ能と小説を一緒にしても仕方ないのかもしれないが。
それともエロティシズムの部分にもう少し興味が持てれば面白かったのか?
しかし清顕=勲がタイのお姫様に生まれ変わっていたからといって、
幼女時に出会い、数度謁見しただけでほぼあっさりと別れ、
それから十数年経って妙齢の官能的美女として再会しても、
相手は本多に別に思い出があるわけではなく。
運命的な出会いなのか?と思わせておいてそうでもない。
肝心の本多も態度がぼーっとしてるよね。
本多に、明確にジン・ジャン姫に欲望なり恋慕なりがあるとして(一応あるように書いてあるが)、
貴族的なならず者に処女を奪わせようとしてみたり、
プラトニックな付き合いを深めようとしてみたり、
裸を妄想してプールを作ったり、
同性愛の行為を覗き見たり、
でも結局全部中途半端で、何がしたいのかわからないなあ。迷走している気がする。
ジン・ジャン姫が官能的な美女だというのは何度も描写されるが、
何を考えているのかわからない人物。顔がない。
謎めいたといえば褒め言葉だが、ここらへん謎めいたというより、むしろ設定不足なんじゃないか。
ジン・ジャンの心理描写は全く無いしね。あえて無いんだろうけど、それが成功しているかどうか。
三島は多分、女性が好きじゃないよね。
タイのお姫様に生まれ変わっている意味ってなくない?
(そもそも「春の雪」でタイの王子が来ているからしょうがないとはいえ)
まだインドのお姫さまなら何とか……
インドの王子さま、お姫さまで良かったんじゃないかと。
妻の梨絵や慶子や槇子、椿原夫人など、有閑階級の中年女性が多々出て来るが、
そんなに必要だったかなあ。
たしかに部分部分は冴えてるよ。所々、名作が内包する“人生の真実”が読める。
でも全体を見た時、三島由紀夫がこの話を本当に書きたかったとは感じない。
部分的に書きたいことがあるだけで、それを繋げるための無理くりの筋立てのような気がする。
やっぱりそれではダメでしょう。
書くんだったら、後半部分のテーマ(官能?)にがっぷり四つに組むべきだった。
黒子があったりなかったりするのはどういう意味が……
中年・初老の本多をこういう風に書くということは……
三島には老いることの嫌悪と恐怖があったんだろうなあと思う。
まあ実際の行動から後付けでそう思うのかもしれないが。
シリーズではあるが、各巻にそれぞれ明確な色がありますね。
「春の雪」は少年期の傲慢。
「奔馬」は青年期の激情。
「暁の寺」は、中年期の不格好か。
「春の雪」は全く好きとは言えないが、名作だと思う。よくわかって読めた。
「奔馬」はとにかく右翼的な(ことに言及している)内容は嫌いだが作品としては評価する。
だがこの「暁の寺」はピンと来ないなあ。
前半部分は傑作だ!と思ったんだけどね。
何しろベナレスの描写がすごいね。現地に行って書いた?現地に行かずに書いたなら天才だし、
行って書いててもやはり天才だと思った。
壮大華麗な筆さばき。華麗すぎるところに、観念的すぎるところに、好き嫌いはあるだろうが、
ここは舌を巻かずにはいられない。
タイとインドについての筆は感嘆しかない。
仏教についての言及は、通常わたしの読む小説には出てこないこととて面白かった。
阿頼耶識についての文章は、ほぼ全くわからなかったが。
が、後半はあんまり面白くない。
そもそも本多って、細かく書いても面白くならない人物ではなかろうか。
絢爛たる筆にそぐわないというかさ。あまりにも常識人でありすぎる。
それだからこそ中年のここに来て、覗き魔という属性を与えたのだろうけど、
だからといって興味深いキャラクターになるかというと……
何しろ、前二巻では傍観者としていた人なんだからさ。
シテはシテ、ワキはワキじゃないのか。ワキをシテにして面白い話になるかなあ。
まあ能と小説を一緒にしても仕方ないのかもしれないが。
それともエロティシズムの部分にもう少し興味が持てれば面白かったのか?
しかし清顕=勲がタイのお姫様に生まれ変わっていたからといって、
幼女時に出会い、数度謁見しただけでほぼあっさりと別れ、
それから十数年経って妙齢の官能的美女として再会しても、
相手は本多に別に思い出があるわけではなく。
運命的な出会いなのか?と思わせておいてそうでもない。
肝心の本多も態度がぼーっとしてるよね。
本多に、明確にジン・ジャン姫に欲望なり恋慕なりがあるとして(一応あるように書いてあるが)、
貴族的なならず者に処女を奪わせようとしてみたり、
プラトニックな付き合いを深めようとしてみたり、
裸を妄想してプールを作ったり、
同性愛の行為を覗き見たり、
でも結局全部中途半端で、何がしたいのかわからないなあ。迷走している気がする。
ジン・ジャン姫が官能的な美女だというのは何度も描写されるが、
何を考えているのかわからない人物。顔がない。
謎めいたといえば褒め言葉だが、ここらへん謎めいたというより、むしろ設定不足なんじゃないか。
ジン・ジャンの心理描写は全く無いしね。あえて無いんだろうけど、それが成功しているかどうか。
三島は多分、女性が好きじゃないよね。
タイのお姫様に生まれ変わっている意味ってなくない?
(そもそも「春の雪」でタイの王子が来ているからしょうがないとはいえ)
まだインドのお姫さまなら何とか……
インドの王子さま、お姫さまで良かったんじゃないかと。
妻の梨絵や慶子や槇子、椿原夫人など、有閑階級の中年女性が多々出て来るが、
そんなに必要だったかなあ。
たしかに部分部分は冴えてるよ。所々、名作が内包する“人生の真実”が読める。
でも全体を見た時、三島由紀夫がこの話を本当に書きたかったとは感じない。
部分的に書きたいことがあるだけで、それを繋げるための無理くりの筋立てのような気がする。
やっぱりそれではダメでしょう。
書くんだったら、後半部分のテーマ(官能?)にがっぷり四つに組むべきだった。
黒子があったりなかったりするのはどういう意味が……
中年・初老の本多をこういう風に書くということは……
三島には老いることの嫌悪と恐怖があったんだろうなあと思う。
まあ実際の行動から後付けでそう思うのかもしれないが。
暁の寺改版 豊饒の海第3巻 (新潮文庫) [ 三島由紀夫 ] |
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