小栗判官と小栗上野介の区別がついていないので、
小栗上野介のことを読んでみようと思って、ここ半年か一年くらいで数冊読んだ。
あちこちでちらほら名前は見るんだけど、何をやった人かはほとんど書かれませんよね。
幕末の幕府側は江戸無血開城の勝海舟くらいで、あとは良くも悪くも新選組?
その後は戊辰戦争の悲惨な話で、あまり読みたくない。
小栗上野介、なかなかの傑物でしたね。
こういう人を活かせず瓦解してしまった幕府には無念の気持ちがわく。
小学校、中学校、高校と習ってゆく江戸時代から明治維新への流れは、
旧弊から清新へ、というイメージが先行していて、まあいいこと。という見方が主流。
でも薩長もなかなかに非道ですからね。権謀術数の限りを尽くす。
だからといって幕府が幕府のまま欧米列強に対応出来た気はしないから、
まあ幕府瓦解、明治政府樹立は相当な流れではあるのだろうけど。
しかしやはり戊辰戦争の残虐さは。
勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城は美談として語られることが多いと思うが、
それはそれとして、その身代わりとして戊辰戦争がより凄惨になった気がして仕方ない。
結局のところ、血を見ないでは済まされない心組み。
それがそもそも268年前の関ケ原の恨みから発していると思えば、
単純に言っちゃえば「因縁」だと思うし、
新式武器と新しい軍隊を初めて試す薩長側としては、実戦を経験出来る貴重な機会。
幕府側勢力はほとんど死に体ではなかったかと思うが、
でも下手に強力な軍艦を持っていたことが相手を刺激した部分もあると思う。
徹底的に息の根を止めておかないとあとが面倒だという計算もあっただろう。
あと武士の闘いではないことで、むしろ程度や駆け引きがわからなかったという可能性もある。
今さら何をいおうとすでに起こってしまっていることなんだけど。
小栗上野介は、戊辰戦争の前に現在の群馬県前橋市にあった自領に引っ込んでしまった。
本人はアホな幕府に見切りをつけたつもりで、でも会津藩に合流するか、
自領で晴耕雨読で日を送るか、まだ決めかねていたところもあったみたい。
それなのに自分さえ江戸から引き払ってしまえば、幕府との関係は切れ、
単なる個人になれると安易に考えていた。
しかし薩長側にすれば、大変な切れ者の小栗を野に放ったままというのは危険極まりなく、
なんら反逆の証拠もないのに軍隊を派遣して、調べることもなく斬首した。
他の小栗関連本は、おおむね彼の活躍をメインに記している。
その活躍は面白いので、
坂本藤良「小栗上野介の生涯 兵庫商社を創った最後の幕臣」
https://blog.goo.ne.jp/uraraka-umeko/e/c7428ca7fd8b0c5b231715941c74c0a1
をお薦めする。
しかし本書は小栗の人生の中で、最後の最後と、その後の家族の辛苦、
そして会津藩、奥羽列藩同盟についてだけ書いてある本。
ちくま文庫の230ページ内外だから短い文章ではある。
でもねえ。ここだけ取り出されるととりわけ憐れでねえ。
読むのが辛かった。特に戊辰戦争の部分。そこまで読まされると思ってなかったから苦痛。
小栗はなあ……。脇が甘くて。
合理的で大局を見られて、でも人付き合いとか水面下の権謀術数は全然見えない人。
後者部分を補佐する良い家来でもいれば良かったんだがなあ。
たまにいるよね、有能な補佐役がいたらどれだけ多くのことを成し遂げられたんだろうと
惜しまれる人。例は思いつかないが。
でも遠くまで見られる人は足元は見られないよ。それは完全に相反する資質。
不可能を求めても仕方あるまい。
今後現れる(かもしれない)小栗ほどの人は、願わくば有能な補佐役に恵まれんことを。
著者は仙台生まれで福島でおそらく長く暮らし、テーマも会津藩や東北の諸藩についての
地元著作家。ジャーナリスト出身というのはわたしの偏見にひっかかるが、
これは冷静な評伝・評論ではなくて、歴史エッセイ、部分的に小説。
満腔の思いをこめて東北の(小栗は群馬だが)敗者への悲憤を描いた。
地元を何度も何度も歩いた臨場感もあると思う。
小栗本として1冊目に読むのは薦めないが、最後の1冊としてはなかなか良かった。
小栗上野介のことを読んでみようと思って、ここ半年か一年くらいで数冊読んだ。
あちこちでちらほら名前は見るんだけど、何をやった人かはほとんど書かれませんよね。
幕末の幕府側は江戸無血開城の勝海舟くらいで、あとは良くも悪くも新選組?
その後は戊辰戦争の悲惨な話で、あまり読みたくない。
小栗上野介、なかなかの傑物でしたね。
こういう人を活かせず瓦解してしまった幕府には無念の気持ちがわく。
小学校、中学校、高校と習ってゆく江戸時代から明治維新への流れは、
旧弊から清新へ、というイメージが先行していて、まあいいこと。という見方が主流。
でも薩長もなかなかに非道ですからね。権謀術数の限りを尽くす。
だからといって幕府が幕府のまま欧米列強に対応出来た気はしないから、
まあ幕府瓦解、明治政府樹立は相当な流れではあるのだろうけど。
しかしやはり戊辰戦争の残虐さは。
勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城は美談として語られることが多いと思うが、
それはそれとして、その身代わりとして戊辰戦争がより凄惨になった気がして仕方ない。
結局のところ、血を見ないでは済まされない心組み。
それがそもそも268年前の関ケ原の恨みから発していると思えば、
単純に言っちゃえば「因縁」だと思うし、
新式武器と新しい軍隊を初めて試す薩長側としては、実戦を経験出来る貴重な機会。
幕府側勢力はほとんど死に体ではなかったかと思うが、
でも下手に強力な軍艦を持っていたことが相手を刺激した部分もあると思う。
徹底的に息の根を止めておかないとあとが面倒だという計算もあっただろう。
あと武士の闘いではないことで、むしろ程度や駆け引きがわからなかったという可能性もある。
今さら何をいおうとすでに起こってしまっていることなんだけど。
小栗上野介は、戊辰戦争の前に現在の群馬県前橋市にあった自領に引っ込んでしまった。
本人はアホな幕府に見切りをつけたつもりで、でも会津藩に合流するか、
自領で晴耕雨読で日を送るか、まだ決めかねていたところもあったみたい。
それなのに自分さえ江戸から引き払ってしまえば、幕府との関係は切れ、
単なる個人になれると安易に考えていた。
しかし薩長側にすれば、大変な切れ者の小栗を野に放ったままというのは危険極まりなく、
なんら反逆の証拠もないのに軍隊を派遣して、調べることもなく斬首した。
他の小栗関連本は、おおむね彼の活躍をメインに記している。
その活躍は面白いので、
坂本藤良「小栗上野介の生涯 兵庫商社を創った最後の幕臣」
https://blog.goo.ne.jp/uraraka-umeko/e/c7428ca7fd8b0c5b231715941c74c0a1
をお薦めする。
しかし本書は小栗の人生の中で、最後の最後と、その後の家族の辛苦、
そして会津藩、奥羽列藩同盟についてだけ書いてある本。
ちくま文庫の230ページ内外だから短い文章ではある。
でもねえ。ここだけ取り出されるととりわけ憐れでねえ。
読むのが辛かった。特に戊辰戦争の部分。そこまで読まされると思ってなかったから苦痛。
小栗はなあ……。脇が甘くて。
合理的で大局を見られて、でも人付き合いとか水面下の権謀術数は全然見えない人。
後者部分を補佐する良い家来でもいれば良かったんだがなあ。
たまにいるよね、有能な補佐役がいたらどれだけ多くのことを成し遂げられたんだろうと
惜しまれる人。例は思いつかないが。
でも遠くまで見られる人は足元は見られないよ。それは完全に相反する資質。
不可能を求めても仕方あるまい。
今後現れる(かもしれない)小栗ほどの人は、願わくば有能な補佐役に恵まれんことを。
著者は仙台生まれで福島でおそらく長く暮らし、テーマも会津藩や東北の諸藩についての
地元著作家。ジャーナリスト出身というのはわたしの偏見にひっかかるが、
これは冷静な評伝・評論ではなくて、歴史エッセイ、部分的に小説。
満腔の思いをこめて東北の(小栗は群馬だが)敗者への悲憤を描いた。
地元を何度も何度も歩いた臨場感もあると思う。
小栗本として1冊目に読むのは薦めないが、最後の1冊としてはなかなか良かった。
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