あの日,聖徳太子の墓参の次は富田林へ。
富田林には“寺内町”があるという。
車のナビで検索したけど・・・出てこない・・・
まぁ~取り敢えず富田林市役所へ行ってみようと考えた。
@富田林寺内町
富田林寺内町は、永禄年間(1558~1561)に誕生。京都興正寺の証秀上人が訪れ、“荒芝地”を購入し、近隣4ヶ村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し、8人衆の合議制のもとで別院を中心とした町づくりが行われました。
江戸時代には幕府の直轄地となり、石川の水運、東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれ、商業の町として大きく発展、特に酒造業や木綿に関する商いが盛んで、最盛期には51種類、149もの店が軒を並べていたといいます。また、各界の著名人も富田林寺内町を訪れたとの記録もあり、吉田松陰、大久保利通、織田作之助などの名前が残っています。
別院や筆頭年寄の杉山家では、能や浄瑠璃が盛んに興行され、町では俳諧がブームとなるなど、文化の面でも寺内町は先進的な地域だったことが伺いしれます。
富田林には“寺内町”があるという。
車のナビで検索したけど・・・出てこない・・・
まぁ~取り敢えず富田林市役所へ行ってみようと考えた。
@富田林寺内町
富田林寺内町は、永禄年間(1558~1561)に誕生。京都興正寺の証秀上人が訪れ、“荒芝地”を購入し、近隣4ヶ村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し、8人衆の合議制のもとで別院を中心とした町づくりが行われました。
江戸時代には幕府の直轄地となり、石川の水運、東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれ、商業の町として大きく発展、特に酒造業や木綿に関する商いが盛んで、最盛期には51種類、149もの店が軒を並べていたといいます。また、各界の著名人も富田林寺内町を訪れたとの記録もあり、吉田松陰、大久保利通、織田作之助などの名前が残っています。
別院や筆頭年寄の杉山家では、能や浄瑠璃が盛んに興行され、町では俳諧がブームとなるなど、文化の面でも寺内町は先進的な地域だったことが伺いしれます。
最近,このような町並みを散策するのが楽しみです。
県内だと橿原市今井町や五條市の五條新町。
三重県亀山市の関宿。
丹波篠山市へも・・・
富田林の規模は大きかったです!
奈良県橿原市にある今井町も寺内町。
よく似た風景やなぁ~って思いました。
堀川七条に大きなお寺ありますよねぇ~