高見山の山頂まであとわずかという所に“国見岩”がある。
その岩の解説板には次のようにあった。
「神代の昔、神武天皇は熊野伊勢を経て高見山を踏破し、この峻岩を天皇自らよじ登り西方展望、兄猾(えうかし)の根拠地、宇陀を眼下に見下し又遠く男坂(おさか)女坂(めさか)墨坂(すみさか)方面の長髓彦(ながすねひこ)等の敵情視察なし第一回の軍議評定せし処なり。」
私も国見岩に登ってみたのだが木の枝が邪魔をして国見が出来ない。
宇陀盆地には現在でも“宇賀志”という地名があり、この盆地の北端には“墨坂神社”もある。そして宇陀盆地か ら西へ女寄峠を越えて下ると大和の盆地に“忍坂(おっさか)”という地がある。
その日、小峠を少し下った展望のよい処で台高の山々を眺めていると、一羽の猛禽が南方の国見山の方角から私の方に飛んで来て谷間に消えた。元日本野鳥の会会員は“八咫烏(やたがらす)”ではないのかと見入ってしまった。
その岩の解説板には次のようにあった。
「神代の昔、神武天皇は熊野伊勢を経て高見山を踏破し、この峻岩を天皇自らよじ登り西方展望、兄猾(えうかし)の根拠地、宇陀を眼下に見下し又遠く男坂(おさか)女坂(めさか)墨坂(すみさか)方面の長髓彦(ながすねひこ)等の敵情視察なし第一回の軍議評定せし処なり。」
私も国見岩に登ってみたのだが木の枝が邪魔をして国見が出来ない。
宇陀盆地には現在でも“宇賀志”という地名があり、この盆地の北端には“墨坂神社”もある。そして宇陀盆地か ら西へ女寄峠を越えて下ると大和の盆地に“忍坂(おっさか)”という地がある。
その日、小峠を少し下った展望のよい処で台高の山々を眺めていると、一羽の猛禽が南方の国見山の方角から私の方に飛んで来て谷間に消えた。元日本野鳥の会会員は“八咫烏(やたがらす)”ではないのかと見入ってしまった。
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