大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

ダンノダイラの謎? ダンノダイラ

2012年11月14日 | 桜井市
奥不動寺でご住職と話をし、あの本『大和出雲の新発現』の筆者に会えたような気分になれた。
この寺で出会えた私が探していた本『原始三輪山』が、桜井駅にある若草書店で販売されていることも分かった。
ご住職はまだまだ話が尽きない様子。
でも、私は“ダンノダイラ”に行きたい!
ご住職と2名の女性が境内の奥まで道案内して下さった。

ダンノダイラへは、奥不動寺の境内奥から山へ入ると標識があり、そこから5分ほどで三輪山から巻向山、初瀬山への尾根筋に出る。
そこを東(左へ)200m行くと、ダンノダイラと呼ばれる地域の西端であるという。
歩き出した地域は両側が植林された針葉樹だったが、
おそらく“ダンノダイラ”に入った頃から片側(右側:南側:谷下)が広葉樹の林に変わった。

私の歩く音に驚いて?広葉樹の林で何かが動いた。
かなり大きな動物?
もしかして古代出雲族?
天気が下り坂なのと、夕闇が迫っているのとで、林の中は薄暗い。
そんな古代の森に私たった一人。
心細くなってきた。

「天壇」と名付けられている祭祀場跡の説明板を発見。

私には「天壇」が確認できない。

山頂付近だというのに「小川の跡」がある。

最後に「磐座」を確認し早々に下山することにした。
“ダンノダイラ”とは「天壇」のある「平」のことなんやろか?
そんなことを考えながら帰路を急いだ。

@磐座
イワクラは上部に1ケ、下部に1ケある。
上部のイワクラの大きさはさほどでもないが、下部のイワクラは巨大(高さ約4m)である。
現地説明板によれば、約20㎥とある。
イワクラは、ダンノダイラの東端に位置している。
このイワクラの南30mには、三列の石組み跡があり、昔の拝伏場とも言われるが、定かではない。
イワクラの東方の峡谷下、約800mには乘田(ひきた)神社(祭神 大己貴神)がある。
 また伝承によると、まだ神殿がなかった古代、出雲村の村の人々は現在の十二柱神社の地でダンノダイラにあった磐座を拝んでいた。明治の初め頃になっても、出雲村総出で年に一度はダンノダイラへ登って、先祖を祀り偲ぶ習慣があった。その日は一日中相撲を取ったり、食べたりして楽しんだ。現在でも出雲からダンノダイラに至る古道が残されている。

@「天壇」の跡
「ダンノダイラ」の中央西寄りにある。直径20メートル位の土盛りが、5段の円丘状になっており、最上段には、多くの小石がある。
「倭ノ国伊豆加志ノ本宮」「倭称和ノ御室ノ嶺上ノ宮」嶺上宮。
五行神への鎮魂祭場
ここは、日本式「天壇」の跡か
皇学館大学 野村豪先生説

「天壇」とは、中国で天子が亭城の南郊で、冬至の日に、親しく天帝を奉祀した祭壇。中国の北京・瀋陽に遺跡がある。(広辞苑による)

奈良県桜井市出雲
野見宿禰顕彰会
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “ダンノダイラの謎?”奥不動... | トップ | “ダンノダイラの謎?”帰路 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (瓜亀仙人)
2012-11-15 07:27:01
ももりさんへ
すごい!
中国で見られたのですか。
どのあたりで?
返信する
中国の天壇なら行った (山口ももり)
2012-11-14 18:37:17
中国の天壇なら行ったことがありますよ。もう・・・さあ・ああ・・・初めての海外旅行で30年以上前でしょうけど・・当時はガラーンとした広場にドーンと建っていた2階建て???3階建ての円形のたてものでした。わりとケバい色で・・・このダンノダイラとはえらくイメージが違います。梅原隆三郎が「天壇」を描いて有名です。
返信する

コメントを投稿

桜井市」カテゴリの最新記事