上尾市の八枝神社が管理している兼務社の1つに、同じ平方河岸にある橘神社があります。八枝神社へ車で向かう途中に近くを通りかかったので、八枝神社にお参りしたついでに訪れてみました。
上尾市の平方地区は、かつては荒川の平方河岸として江戸との舟運を支える重要な位置を占めていました。河岸場の歴史は古く、寛永一五年(1638) 以前には既に成立していたと考えられています。近世には岩槻や原市方面から川越を経て多摩方面へ通じる脇往還筋にある渡船場としても機能する交通の要衝で、昭和初期まで大きな繁栄を誇っていました。上の地図の①が八枝神社、②が今回紹介する橘神社です。
鳥居をくぐるとすぐ正面に狛犬と石燈篭、その先に拝殿があります。
橘神社の創建年代等は不詳ながら、かつては文明3年(1471)銘の額があったといい、室町時代には既に祀られていたといいます。江戸期には、氷川社と称して平方村の鎮守社として祀られ、明治40年に平方地内の稲荷・神明の二社(共に無格社)及び西貝塚の村社稲荷社、上野の村社神明社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社を合祀し、社号を橘神社と改めたといいます。
四角い顔の狛犬(向かって右側の阿形)
阿形の狛犬も四角い顔です。
御祭神は八枝神社と同じ素戔鳴尊。ここにも疫病退散の幟が立っています。本殿の背後には、樹齢約800年と推定され、幹回り5.75m、高さ20mのケヤキの巨木がそびえています。
拝殿の裏手に本殿、その奥が御神木のケヤキの大木です、
大ケヤキの説明です。1979年の強風で折れてしまい地上7mのところで胴切りされています。
本殿の左手の境内社。鳥居の先が天王社、神明社、水神社。その左側は惣合祀社。
本殿右手には頒霊社。
橘神社の社名はかつてこの辺りを橘里と称していたことにちなむものです。本殿及び拝殿はこの合祀を機に建立されたもので、古い本殿は同じ大字内の八枝神社に移され、今も同社の本殿として使われているそうです。
昨日は午後からゆっくりと天気は下り坂。高尾からはうっすらとハロが見えていました。
今日は朝から息子の引っ越しの手伝い。夕方には全てが完了しました。これからバイクでチョクチョク自宅に戻ってくるつもりのようですが、我が家は娘が千葉県、息子が神奈川県、パパは茨城県に単身赴任、奥さんは自宅の東京と4人バラバラです。母親は老人ホームに入居し、長沼の実家は誰も住んでいなくて。。。困ったものです。
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