ウリパパの日記

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紅葉の奥日光(3) 立木観音と日光二荒山神社 2019.11.1

2019-11-03 07:04:05 | 旅行

半月山から中禅寺湖に下り、二荒山神社へ向かう前に最初の駐車場で休憩。駐車場の近くに立木観音があるので見学してみることにしました。 

立木観音は別名で中禅寺と称するそうです。784年、日光開山「勝道上人」によって建立されましたお寺で、日光山輪王寺の別院となります。御本尊「十一面千手観世音菩薩」は勝道上人が中禅寺湖上に千手観音様をご覧になり、その姿を桂の立木に彫ったと伝えられています。

 

 

中禅寺の楼門です。仁王像が祀られています。

 

右側の「阿」は密釋金剛。

 

左側の「吽」は那羅述金剛。

 

本堂です。この中に十一面千手観世音菩薩が祀られています。

朝早いためか本堂内部に入ることができないようです。本堂の裏手に「五大堂」がありますが、そこへ上る階段は立ち入り禁止となっていました。

 

 

こちらは「波之利大黒天堂」。勝道上人が日光山を開いた時、中禅寺湖の波の上に現れた大黒天を祀っています。

他にも、身代わりのこぶや鐘楼など見学することができます。受付の方の説明によると、湯ノ湖の近くにある温泉寺も輪王寺の別院となっているそうです。ここでは温泉に入ることができるそうです。

続いて二荒山神社へ向かいます。

 

中禅寺湖の北岸に鎮座する神社。男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光市内にある二荒山本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています。さっそく階段を上ります。

 

中宮祠は男体山の麓にあります。暖かい一日であったためか、大勢の登山客が山頂を目指していました。

 

神門をくぐり拝殿へ向かいます。

 

拝殿です。

 

まずはここでお参りします。

 

神楽殿脇の紅葉。この鳥居をくぐった正面(写真の背後)に御神木のいちいの大木がありました。

 

 拝殿の裏側に鎮座する本殿です。重要文化財に指定されています。元禄14年(1701)造営と説明にありました。

 

 

鳥居と登拝門。鳥居は唐銅製明神造でこちらも重要文化財に指定されています。明和6年(1769)建立。基脚の蓮弁に神仏習合時代の名残を留めると説明に書かれています。登拝門は男体山へ上るための入口となります。閉山式後には閉じられてしまいます。

 

登拝門の脇には、大蛇の御神像と手振り祈願鈴。

大蛇の云われについては二荒山神社のHPより下記に引用します。

説明 日本昔話に「戦場ヶ原の伝説」があります。 むか~し、むかし、男体山の神が大蛇に変じ、赤城山の神がムカデに変じて領地争いを行ったといわれます。
赤城山のムカデに攻め寄られた時、弓の名手「猿丸」の加勢を受けて、男体山の大蛇はみごと赤城山の大ムカデを撃退し勝利しました。
戦いが行われた所を「戦場ヶ原」、血が流れた所を「赤沼」、勝負がついた所を「菖蒲ヶ浜」、勝利を祝い歌った所を「歌ヶ浜」、と言い奥日光の地名になっております。
負傷したムカデは退散して、弓矢を地面に刺したところ、湯が噴き出しその湯で傷を癒したので「老神温泉」と言われております。
大蛇を「オロチ」とも言いますが、「オ」は峰・「ロ」は助詞、「チ」は神霊を意味し、古代人は蛇のとぐろを巻いた姿が山に見えることから、オロチを山の神と称えたと言われます。
勝利した男体山の大蛇は「勝利」・「金運」の守護神とされます。
この由縁より黄金の大蛇にあらゆる願いを込め、特に金運がついて、ぴんぴん元気で過ごせます様に、祈りを込めて、愛称を「きんぴん大蛇」と名づけました。

引用終わり。手振り祈願鈴は、大蛇の神像に対して祈りを捧げるために使用します。

 

中宮祠の境内には七福神が祀られていました。これは恵比須神です。

今年9月の日光二荒山本社に続いて中宮祠のお参りも終わりました。残すところは男体山山頂にある二荒山神社奥宮です。身近にあって登っていない日本100名山の1つでもあるので、来年中には達成したいですね。

 


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