ウリパパの日記

自由気ままに・・・

長房町の日光神社と石平道人の墓

2010-07-25 15:25:49 | Weblog
 暑い日が続きます。八王子では昨日まで6日連続の猛暑日で今日も35度近くまで気温が上昇。昨夜の雷雨の効果で今朝は久しぶりに気温が下がりましたが、昨日朝まで4日連続の熱帯夜した。今年のように朝も含め厳しい暑さが一週間近くも続くのは大変珍しいことです。八王子で熱帯夜を観測するのは南西の風が夜通し吹き続けるフェーン現象の時に限られていたのですが、ここ数年は快晴弱風で明け方に北西の山風に変わっても熱帯夜がしばしば観測されています。でも先週のように数日連続するのは今まで記憶にありません。

 世界を見ても、ヨーロッパ東部からロシア西部にかけての熱波では1日の平均気温が平年より10度近く高い状態が長く続いているそうです。先月ドイツのドレスデンに転勤した会社の方のブログを見ても今夏の異常な暑さが語られています。そして中国南部の大雨では、六つの小型ダムが決壊し、過去最大規模の洪水被害が出ています。世界最大の三峡ダムの水位が159メートルで過去最高となり、満水時の175メートルにじわじわと近づいているとのこと。既に中国の被災者は1億人を越えているそうです。一方南米各地では異常な大寒波に見舞われています。
 各地の激しい気象の原因は、偏西風が極端に蛇行していることや、海水温のバランスが崩れることが原因と見られていますが、近年頻度と激しさが増しているように感じられます。

 熱波に見舞われた今週末は外出を控え、多少涼しくなった今朝、陵南公園近くを散策してきました。武蔵野御陵の参道から北へ向かったところに「日光神社」という案内が出ていたので立ち寄ってみました。何故”日光”なのか家に帰り調べたところ、鈴木正三が徳川家康から授かった刀を寄贈し、日光東照宮崇拝の為に造営したころから「日光権現」(旧名)と命名されたことによります。
 鈴木正三は江戸時代初期の禅僧・思想家で、浮世草子の源流と言われる仮名草子本 「二人比丘尼(ににんびくに)」,「因果物語(いんがものがたり)」 など多くの書を著し、また日本で最初に資本主義を説いた思想家としても知られているそうです。後に石平道人と名乗っています。
 石平道人は、もとは三河国足助の武家出身。徳川家康の兵として関ケ原や大坂冬の陣、夏の陣に参加した歴戦の勇士でしたが、元和6年(1620)に42歳で江戸で出家して諸国を回り、やがてこの地に「堅叔庵」を結んだそうです。「堅叔庵」は明治初年に廃庵となってしまいましたが、この日光神社は堅叔庵のあった山の北東につながって残っているのです。


 神社の前にはヤマユリの花が咲き、強い香りを放っていました。


 神社の脇に、小さな祠がありました。この日光神社は山を背にしているため薄暗く、訪れた10時過ぎでもヒグラシが鳴き、足音に驚いてトカゲが這いずりまわっていました。


 日光神社から300mほど東へ行くと、長房丘陵の南側に長泉寺という臨済宗南禅寺派のお寺があります。 元は多摩御陵の敷地内にあり御陵造営に伴い現在地に移転したそうです。非公開ですが、市指定有形文化財の石平道人の木像「木造石平道人坐像」が保存されているそうです。


 長泉寺のすぐ東側には「石平道人墓」 (写真右)が弟子の恵中の墓(写真左)と共にあります。こちらも多摩御陵造営に伴い昭和2年に「庵の山」(御陵総門の手前右側の小高い丘)からこの地に改葬されたそうです。

 石平道人をめぐる長房町の小さな発見でした。


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