うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

またCD

2019年01月20日 | 音楽

の、お話ですみません。。

先日いただいたコメントの回答で、自分の自己紹介欄を見たら「音楽(主にクラシック系)」と書いているのに気がつきましたが、その割にはあれですね、さいきんクラシック系のことを書いていないような。。

今回もその線です。。

YMOの、このアルバムについて、お正月にBSで特集をしていたのを見て、注文してしまった。

確かに一世を風靡しましたよね。。「増殖」は昔、妹とお金出しあって買ったけど、こちらはアルバムとしてちゃんと聞いたことがなかった。

当時として非常にレベルが高い作品を、今聞くとどうかという興味を持ちながら聞いたのですが。

音作りはわりとミニコンポとかで再生しやすいタイプのように思います。当時としてはちょっと珍しいかも。

今、聞いても良いことは良いのですが、作品として古くなっていないので、その分懐古趣味的な楽しみ方は難しいかな。

とはいえ、こういう電子音はこの時代ならではでしょうね。。

こちらも80年代初期の音楽。レインボーは、それほど詳しいわけではないのですが、このジャケットは当時、とても印象に残っています。単なる医者のコスプレといえばそうなんだけど、不思議と惹かれるものを感じる。。なんでDifficult to cureなのか、よくわかりませんが。

大昔の話ですが、ハードロック女子の先輩にアイ・サレンダー(本アルバム1曲目)が好き、という話をしたら、このアルバムはアメリカ向けにポップな方向に振ったため、よく売れた(が、ファンとしてはいまいち、という意味らしい)と言われ、たしか「ダウン・トゥ・アース」のテープを作ってくれた、という記憶があります。このアルバムもさっき注文しました。アイ・サレンダーは今でも好きです。

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午前中に・・・

2019年01月16日 | 音楽

吉田拓郎 2009年

あれから10年たつとは。。

ちょうど10年前の連休のとき、NHK FMでやっていた「吉田拓郎三昧」という特集で、最新のアルバムとして紹介されていた。僕はそれを録音したものをデータ化して、かなり長いこと繰り返し聞いていた。

先日「冷たい沼」という記事を書いた時、このアルバム(特に下で触れる「今は恋とは言わない」)が心に浮かんできた。これがきっかけとなり、CDを注文した。

 

全作吉田拓郎作詞、作曲、すべて書下ろしである。

僕は吉田拓郎という人は、その時代の日本の情緒、情景を見事に表現できる、たぐいまれな才能の持ち主だと思うけど(とかいって、そんなに熱心なファンというわけでもないのだけど)、本作にもそれを強く感じる。

同時に63歳になった拓郎の、肉声を感じさせるような息遣いを感じる。まだ自分はその世代の感覚を直に感じ取れるわけではないが、曲を聴いているうち、ちょうど世代的に近い、僕の叔父と話をしているような感じがしてくるのだ。

ちょっと、各曲ごとにコメントしてみよう。

1 ガンバラナイけどいいでしょう

 CMで使われたらしいけど、このアルバムの中では一番間口が広いというか、多くの人に親しんでもらえるような曲だと思う。日によって、調子が出ないなんてのは、だれでも経験するよね。。

2 歩こうね

 何度も言うのは悪いけど、63歳の拓郎が聞き手を、あるいは自分を鼓舞してくれる曲だ。 

 

 波がぶつかって くだけて行くように

 それは人生という名の 旅だから 

 歩けるかい 歩こうネ

 歩けるかい 歩こうネ

なにかに躓き、前に進む勇気を一瞬失った僕に、そっと語りかけてくれる。

それは拓郎が人生の先輩だからこそ、素直に聞ける言葉だ。

それぞれの世代には、その世代なりのお兄さん、お姉さんにあたる人たちがいて、歌ってくれたり、ラジオで悩みを聞いてくれたりするものだ。物心ついてラジオで音楽を聴き始めたころ、歌い手やDJとして語り掛けてくれるひとたちは、僕らより10歳以上先輩のひとばかりだった。

やがて自分が、若い人に語り掛けたり、悩みを聴いたりするようになるが、それでも時には、人生の先輩の言葉を聞いてみたくなる。

この歌を聴くと、今でも人生の先輩から、声をかけてもらえる幸せを感じる。簡単な歌詞だが、とても心にしみる。

3 フキの唄

 とはいえ、ときにはそんな先輩の言葉も、説教臭いとかんじたりもする?!

4真夜中のタクシー

 4年ほど前、こんなことを書いた。あのときのことはよく覚えている。地下鉄を降りて、郊外に向かう私鉄に乗るのが気づまりになり、一駅ぐらい歩くかと外に出たら道に迷った。気がついたらとんでもないところにいて、つかまえたタクシーの運転手と中年男同士の会話をする、という話だ。

このときのことは、鮮明に覚えている。

道沿いに見えるアパートの、取り込み忘れた洗濯物、家路を急ぐ若いサラリーマン、犬を散歩する主婦、まばゆい明かりのコンビニ・・。そして、まっすぐに歩くことすらできない自分。。異次元の世界に入り込んだような僕を、現世に戻してくれたのはタクシーの運転手さんだった。。彼、今でも元気でいてくれるだろうか。

5 季節の花

昔からの拓郎ファンは、こんな曲が好きなのかもしれないな。

6 今は恋とは言わない

陰鬱なギターの伴奏。水の底にいるような音は、そのまま先日書いた「冷たい沼」という言葉につながる。今の仕事に就いたころ、往復の電車の中でこの曲を聴きながら、今(の自分)は冷たく濁った沼の底にいるようなものだな、などと考えていた。歌詞のことは頭に入ってこず、曲の印象がとても強く残った。

歌詞そのものは夫婦(または長く一緒に過ごしている男女)の不和の話だ。若いころのケンカとちがい、互いに良いところも悪いところもわかっているつもりなのに、どうしても相いれない壁にぶち当たる。そんなこともあるものかな。。

7 ウィンブルドンの夢

 この曲は若い人には絶対に作れないな。第一線を退いて、しかしなお余熱をもっている人たちにこそ、共感をさそう曲なのだと思う。まだ自分はその心境には達することはできないが、いずれ自分のものとなる日も来ることだろう。。

8 早送りのビデオ

 FMラジオ「吉田拓郎三昧」のときは、この曲が繰り返しかかっていた。このアルバムを代表するような曲なのかもしれない。当時の僕もそう思っていたのだが、自分自身は人生を「早送りのビデオ」のようには思えない。なんか、「コマ送りのビデオ」とか、「巻き戻しのビデオ」みたい、つうかんじっすよ。あたしのあばい。。

9 Fの気持ち

後半のほうの歌詞に;

 

 ギターがもしも女なら Fは男の権利なのさ

 彼女の背中に手をまわす そんなスリルこそ人生さ 

 

というのがある。そういうもんっすかね。。人生、味わい損ねたな。

10 あなたを送る日

 ウィキペディアによると、70年代に吉田拓郎のマネージャーを務め、2008年に亡くなった陣山俊一氏をしのぶ歌なのだという。陣山俊一さんのことはもちろん知らないのだが、声は聞いたことがある。70年代の終わりごろ、吉田拓郎がDJをつとめていた深夜放送で、「陣山俊一の 奥様お手をどうぞ」というコーナーがあった。といっても、聞いたのは一回だけで、陣山氏がなにやら詩のようなもの(春の朝、冷たい風を頬に心地よく感じながら、橋のたもとにそっとたたずむ私・・)を読んで、脇で拓郎が突っ込みを入れるというもので、なんのことやらわからなかった。。この方、アメリカで理学博士号をとり、後年は制作会社の社長をつとめられていた由。

と、いうわけで、興味のない方には、この人何を熱っぽく書いているのかしら、と思われたかも知れませんが、なにとぞご了承くださいませ。。

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手紙、生きがい、ルームライト

2018年12月20日 | 音楽

手紙 由紀さおり 1970年

この疾走感あふれる曲は、やはり車を走らせながら聞きたい。カーラジオのAM放送で聞くのがいい。グローブボックスとドアトリムのところが鉄板で車体同色の、C10スカイライン・バンとか(実際のC10バンがそういうトリムレベルだったかは知らない)で、三角窓を倒しながら、埃っぽい街道を(また・・)疾る。。日が傾いてくれば車の形をした影が、街路樹や歩道や道端の草の形にあわせて流れていく。。

今の自分の感覚で聞くと、歌詞の「二人で育てた小鳥を逃がし・・」がどうも引っかかる。だめでしょ、ネコやカラスにやられちゃうじゃない。。「何が悪いのか、今もわからない・・」。まあ、その点は同感ですねえ。。

生きがい 由紀さおり 1971年

たしかこれを野宮真貴さんが「渋谷系」っぽいとして紹介していたような気がしたが、もしかしたら勘違いかもしれない。昭和40年代前半、都心のモダンなマンションとかを連想する。とてもおしゃれな感じなのだが、一応ちゃんと畳の部屋もあったりして、部屋の隅にはガスストーブ用の元栓があったりする。。

この曲は実際に車の中で聞いたことがある。親戚の運転する、マーク2のバン(初代)で、色は紺色だった。たぶん、8トラのカセットで、由紀さおりのベスト盤みたいなテープがいつもかかっていた。この曲と「夜明けのスキャット」は繰り返し聞いたような気がする。

この紺色のマーク2バンは、後に交差点で側面衝突事故に遭い、大破してしまう。家の車はコロナ(RT40アローライン)だったので、マーク2は大きくて立派に見えたものだ。

ルームライト 由紀さおり 1973年

この曲は吉田拓郎さんの作曲なんですね。拓郎さんはずいぶん後になって「真夜中のタクシー」という曲を作っていますが、タクシーにある種の情緒を感じておられるのでしょうか。

時代的には二重顎のクラウンとかがタクシーにつかわれていたころを連想します。結構好きだったけどな、あのクラウン。かたちは変われどタクシーといえばクラウンセダンでしたが、その伝統もジャパン・タクシーにとって代わられつつあります。街の風景も変わっていくのでしょうね。


今年もあと10日あまりなんて、信じられない気がしますね。。いよいよ押し詰まってきました。。

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ナオミの夢

2018年12月18日 | 音楽

ヘドバとダビデ

Google Play Musicを検索すると、洋楽なら大抵の曲が見つかるが、この曲はヒットしない。由紀さおりなどのカバーは出てくるけど。

ただ、しばらく前から、Google Play Musicで動画も検索できるようになり、そちらの方ではオリジナルの歌唱を聴くことができる。といってもYou Tubeのリンクなので、ダウンロードしたほかの曲と一緒に電車の中で聞くというわけにもいかない。

wikipediaではこの曲について、次のように紹介している。少し長い引用だが;

 

本作は、イスラエルでは「בואו נטייל‎(散歩に行こう)」のB面曲として発売された[2]

東京国際歌謡音楽祭でグランプリに輝いたため急遽レコード会社が発売を決め、帰国直前の2人を引き止めほとんど意味を教えずに日本語の歌詞を覚えさせて1週間そこそこで日本語版をレコーディングした。B面にイスラエルで唄っているオリジナルのヘブライ語版を入れることを条件に、翌71年1月25日日本語版が発売された[3]。1971年4月19日にオリジナル・コンフィデンス誌(オリコン)総合チャートで第1位を獲得[4][5]、4週に亘って連続1位を獲得し、67万枚のヒットとなった[3]。当時、オリコンのチャートが始まってまだ3年余りの時期ながら、第1位を記録した5組目の洋楽アーティストになっている[4][5]。日本語による本作の売上は数十万部であると評価されている。販売された範囲は、日本人ではない歌手にとっては大きいとみなされた。また同時にイスラエルに対しても成功がもたらされた。本作は『イスラエルの声ヘブライ語版英語版』の1971年の歌謡パレードにおいて第二の場所を得た。

 

なんか、構文は間違ってはいないけど、微妙に翻訳文学風なエキゾチシズムを感じさせる文章だな、これは。販売された範囲は?第二の場所を得た?

日本語版のアレンジではそうでもないが、ヘブライ語でオケを前に歌っている映像では、ストリングスがユダヤ風な?間奏を奏でていて、この曲が英米のポップスとは違うオリジンであることを思い出させる。

イスラエル国歌(希望)は、軍楽隊などが演奏するとわりとふつうに聞けてしまうが、イスラエル建国前に撮影された、市民が合唱しているフィルム(昔のNHK「映像の世紀」で見た)を聞くと、うまく言えないのだが半音弱ぐらい上ずっていて(音大の人かだれかに聞いてもらってください)、それがすごいユダヤ風というのか、とにかくひじょうに癖のある音楽に聞こえる。とにかく、あの地の人たちの音楽はキリスト教文化のそれとはまた違う魅力がある。。いつの日か、行ってみたいですね。パレスチナ。

話がそれたが、この曲はたぶん、リアルタイムで聞いていると思う(誰が歌っているかとかは知らなかった)。思い浮かぶのは父の運転する、油臭い車の助手席で、カーラジオから流れてくる曲、というイメージだ。本当にそうやって聞いたかどうか、そこまでは覚えてないけど。正月の夜の、人気のない商店街とか、埃っぽい街道、「トモエのそろばん」という看板のついたビルとか、そういうシーンも一緒に浮かんでくる。。

ナオミという名前は旧約聖書にも登場する欧米ではポピュラーな名前、とあるが、日本でも渡辺直美さんとか、女性名としてはよく見かけますよね。

小さいころとなりに住んでいた姉妹の、下の子が直美ちゃんといった。お姉さんは僕より一つ上、直ちゃんは一つ下だったと思う。いま思うと、小さいころは年上の子に遊んでもらうのは好きだったが、年下の子とはあまり遊ぼうとしなかったようで、直ちゃんと遊んだ記憶もあまりない。おとなりの家は僕が小2のときの3月に引っ越してしまったが、中1の12月のとき、隣のおばさんが直ちゃんを連れて訪ねてきたことがあった。母と路地のところで立ち話をしていたが、遠目に見える直ちゃんが、はっとするほどきれいに思えた。。近くに行って話をしたかったが、母になんか用?と言われて、断念した・、ということをよく覚えている。。

 

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かいもの

2018年11月23日 | 音楽

木曜日は仕事でけっこうしんどい思いをして・・。まあこちらにも落ち度があるとは思うのですが、久しぶりにけっこう来ました。

とりあえずオフィスを出て気持ちを切り替え、なんとなく新宿へ。

紀伊国屋の8階に移ったディスクユニオン、行くのはこれが3度目です。ここ、前の店(カワセビル)も8階で、エレベーターを待つのに時間がかかりましたが、紀伊国屋のエレベーターも結構待たされるし、お客のわりに定員が少ないのがちょっとストレスです。。と思っていたら、壁の張り紙に「エレベーターホールで割り込みをしようとしたお客に、注意した従業員が殴られる事件が起きました。次にそんなことがあったら、その人の入店を禁止します」とある。。なんと世知辛い世の中。。

それはともかく、今の店はきれいにはなったんだけど、まだどうも落ち着かないというか、探しにくい感じはあるんだよね。。

今回はポリーニの前奏曲新盤、を探したがないので、ベートーヴェンの初期ピアノソナタにしました。ポリーニ(のピアノソナタ)はこれで7枚(特典盤を除く)。本当はバラで買うより全集(8CD,今回見かけた中古盤は4,800円。新譜でも6千円ぐらい)を買ったほうがずっと安いのですが、まあダブるのもなんだし。ただ、残り9曲をバラで見つけられるのか、いったい自分が何を持っていないのか不明。

レジのおじさんはネイティブの関西弁ペラペラの人で、「はい、本日ポリーニ2枚で1,600円です・・」と陽気に接客してくれる。この辺が実店舗の良さね。。この方、まえの店でもレジしてもらったことがあって、確かその時も「本日ポリーニ2枚で・・」と言ってくれた記憶がある。そもそもなんでこんなにポリーニばっかり買っているのだろうか。。

さて、ショパンがなかったので、新宿3丁目からルミネに向かう。タワーレコードも久しぶり(たぶん1月以来)だ。目的の前奏曲は首尾よく見つかる。というわけで、買い物終了。

今日はいろいろあったし、ちょっと気分転換の意味で昔住んでいた街に寄ってみる。

なじみの店、よく頼んでいた料理。半年かそれ以上ぶり。

昔の住まい付近も歩いてみるが、もうそんなことしても戻れないことはわかっているし、その場所に実存的にいても感傷を感じるわけでもない。あの家は今ここにはないが、自分の心の中にあるので、どこにいるかは関係ないのだ。

今週は友人のご家族の葬儀に参列した。その帰り、メロンパンの店があったので買ってみた。

一つ余ったのをしばらく食べずにいたが、家に帰って夜中に食べてしまった(ますますぶたになる)。

湿気ってしまったかと思ったら逆で、カサカサになっていた。

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ベートーヴェン ピアノソナタ作品90

2018年11月17日 | 音楽

バレンボイムのベートーヴェン ピアノソナタ全集。この方、何度か全集を出しているそうだがこれは60年代後半の録音。

このセットを買ったのは昨年転居して間もないころだった記憶があるが、最初の数枚を聞いてしまいこんでいたらしい。ここでも取り上げていなかったようだ。

全体にかっちりとした、良い演奏だと思うけど、第27番作品90は、なんとなく流れが悪いというか、うまくいえないが散漫な印象だな、という第一印象を受けた。何度も聞き返せばまた違う感想になるかもしれない。

ピアノソナタの番号で言うと、一つ前の第26番は「告別」として有名、第28番作品101は昔たしか評論家の宇野功芳氏が著作でエピソードを紹介していたと思うが、ベートーヴェンのよき理解者であったエルトマン男爵夫人ドロテアに献呈された、チャーミングな曲だ。作品90の作曲された1814年ごろはベートーヴェンにとって移行期あるいはスランプ期?であったそうで、曲全体の印象もかなり地味だ。

昔はそんなにはっきりと意識してはいなかったが、ベートーヴェンには秋~冬が良く似合う気がする。もちろんどの季節に聞いてもいいのだが、暮れなずむ空とか、短い日の暮れた後の、人々が帰宅を急ぐ通りとか、曲を聞きながらそんなシーンが思い浮かんでくる。。

手持ちのCDで、作品90を一番素敵に演奏しているのはやはりバックハウスかな、という気がする。毛筆の楷書で書かれた文字のような、多少ごついけど温かみのある感じ。

全集でほかに持っているのはシュナーベルだが、この歴史的録音はどうもほかの印象が頭をよぎってしまって、演奏の良しあしを感じ取ることができない。数枚持っているポリーニのCDの中にもあった。響きの美しい、すてきな演奏だ。ブレンデルの90年代の録音も探したが、作品90は持っていなかった。2枚だけ持っている仲道郁代さんのCDにも収録されていて、意外にといったらいいのか、スケールの大きな演奏に思えた。


一回なおりかけた風邪がまたぶり返したというか、改めてまたひいたかんじで、それが中々なおらん。。昨夜は従弟と飲んだのだけど、全然飲めなかったはずの従弟が飲みにゅけーしょんに目覚めていてびっくりした。ちょっとペースがきつかったわ。。というわけで、今日はちょっと午前中ゆっくりして、仕事いってくる。

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わかってきた

2018年10月27日 | 音楽

今月の日経新聞『私の履歴書』はヴァイオリニストの前橋汀子さんだ。世界的に活躍する日本人奏者は今でもたくさんいるが、彼女の時代はまだ日本も貧しかっただろうし、教育環境も整っていなかっただろうから、大変な苦労があったのだろう。ただ、彼女が今の人たちよりも決定的に恵まれていたことがあって、それは往年の名巨匠たちが活躍中で、共演したり師事したりすることができたことだ。連日、クレーメル、シゲティ、ストコフスキー、ケンペと、名だたる名人との交流話が次から次へと出てくる。

彼らの名前が出てくるたびに、ついアマゾンや山野楽器でCDを買おうと探したりしている。。

ただ、ムラヴィンスキーなんて、銀座山野ではあまり置いていないですね。山野ではロストロポーヴィチのチェロ協奏曲を買ったが、まだ聞いていない。

ロストロポーヴィチは、来日時に前橋さんが通訳を務めたそうだが、家には彼がそのキャリアの後半になって初めて録音したバッハの「無伴奏チェロ組曲」がある。


1992年の録音、95年の発売。当時、巨匠の全曲録音ということで雑誌などではかなり話題になった。もうだいぶ忘れたが、どこかの雑誌で2か月にわたりインタビュー記事を載せていたような記憶がある(うそかもしれない)。

だが、国内盤がリリースされてしばらくすると、その演奏の評価が人により分かれるものであることが次第にわかってきた。要は期待したほどの名演ではないのではないか、ということだ。

僕がこのCDを手にしたのは、リリース後間もないころだ。国内盤が出るか出ないかのころ、大型店で輸入盤が売られていた。価格は国内盤の2/3ぐらいだったように思う。。

演奏について賛否が分かれることを知る前だったが、たしかに聴いていてどうもあっさりしすぎているというか、なんだか気が抜けているような感じがして物足りない印象は持った。

数年後だったと思うが、ピエール・フルニエの古い録音を手に入れ、以後無伴奏を聞きたいと思ったときはこちらを手にすることが多くなった。


先日部屋を片付けて、CDも作曲家順に並べ替えた。偶々ロストロポーヴィチのCDが前に出てきた。久しぶりにプレーヤーにかけて聴いてみる。

今聞いても印象は確かにあっさりしているのだが、それゆえに音楽が純水のように(ああ通ぶったような表現・・)心に直接伝わってくる。

なるほど。

今やネットであれやこれやの批評はいくらでも読むことができるが、昔でも演奏批評は雑誌などにたくさん載っていたし、またそれが気になって色々読み比べるようなこともよくやっていた。無益という訳ではないだろうが、単なる受け売りで良し悪しをきめつけていたものも多かったと思う。まあ、好きなものについてあれこれ語るのは趣味の常道ですけどね。音楽はあれだが、昔は車の評論とか、本当に楽しかった。。

 

話がそれたが、そんな流れで、前橋さんが師事したというシゲティの有名な無伴奏ソナタ/パルティータも入手して、今聞くところ。

これも聞き手の感性を試すような演奏らしいので、楽しみです。

 

書きながら、家に前橋さんのCDはなかったよな、と考えていたが、思い出した。

前橋さんのMDを持っていたのだ。

自分で録音したんじゃなくて、MDソフトとして売られていたものだ。

これを見ていると今の新宿3丁目の丸井あたりにあったCDショップ、ヴァージンメガストアを思い出すな。。

 

 

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Dive

2018年10月22日 | 音楽

先日、上司と話していて「私たち(の世代)はもう古い」という言葉が出てきた(上司とは同年)。それについては色々意見の違いも感じたが、仕事を離れたところ、音楽の好みみたいなところに限って言えば、ふるいね~、といわれても反論はできないかもしれない。I'm old fashoned である。

少し前にSNSで、友人が「人は14歳位を過ぎると新しい音楽を受け付けにくくなる」という記事を拾ってきて、自分もそう思うみたいなことを書いていた。僕はそれはちょっと時期的にずれる気がする、たぶん14歳ごろはラジオで(そのころの)ちょっと前の流行曲を聞いていたからだろう、とコメントした。70年代前半の、とりわけ女性ヴォーカルが一番の好みだ。ここをずっと読んでおられる方は何度もご覧になった通り、キャロル・キング、カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョンとか。もちろん自分と同世代のシェリル・クロウ、エンヤ、クレモンティーヌなんていうのも好きだし、ノーラ・ジョーンズ、テイラー・スウィフトもよく聞くけど。

ジャニス・イアンとイヴォンヌ・エリマンはともに70年台前半から80年代にかけて活躍した人たちだ。必ずしもリアルタイムで聞いていたわけではなく-上記で掲げたアーティストさんたちもそうだがーその時代の音楽的傾向のようなものが、なんとなくしっくりくる気がして、聞きたくなるのだ。

ジャニス・イアンについては先日買ったBetween The Linesに続くものだが、ちょっとナイーヴな感じのジャケットとは裏腹にかなりパワフルな歌唱が聞けるアルバムだ。ジャニスの、また別の面が見えてくるようで興味深い。ジャニスのアルバムはこれで3枚目、このほかに「奇跡の街」を持っているけど(これは25年ぐらい前に買った)、これはやや内省的に過ぎる感じがあり、手持ちの3枚の中ではこのAltertones が一番出来が良いのではないかと思う。Love Is Blid は、やっぱりいいですね。

イヴォンヌさんは、先日偶々「ジーザスクライスト・スーパースター」の映画を見返して、急に気になってアルバムを探した。実は映画のほうは昔はそれほど気にいってはいなかったのだが、今見ると、東洋的なイヴォンヌさんがマグダラのマリア、というのが何ともいいですね。。

イヴォンヌさんは(なぜかさっきからさん付けしていますが)70年代後半、特に日本では女性にとても人気があったそうですが、Hello Stranger の「しゅば、しゅば、まいべいびー」という歌ぐらいしか覚えていません。声域でいったらアルトに相当するのでしょうか、落ち着いた感じの、独特な歌い方で聞き飽きがしません

ただ、20歳そこそこだったと思われる、「ジーザスクライスト」のときの歌い方が、実は一番好きな気がします。今回のばベストアルバムですが、映画のほうはサウンドトラックでないと聴けないのですが。

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Between The Lines

2018年10月06日 | 音楽

ジャニス・イアン 1975

先日仕事帰りに本屋に久しぶりに寄ったと書きましたが(正確には久しぶりに本屋に行った、と書いたのですが、考えてみるとその前に、地元の本屋に行って雑誌を探していました)、その少し前にレコード屋に行っていました。あれはいつだったかな。

CDも本も、実店舗で買うことが少なくなりつつありますが、店内を歩きながら手に取って色々見られるのは良いものです。問題は、その場に立つと探したいアーティストの名前が急に思い出せなくなること。頭の中で音楽は聞こえているのに。。

さて、Between The Lines(行間)は原題で、国内盤のタイトルは「愛の追想録」というのだそうです。この時代に多かった「超訳」(もう死語かしら)ですが、「行間」という原題もなかなか捨てがたいものがあるので、訳にもう一工夫あっても良かったのではないかと思います。。

At Seventeen の、歌詞は少し切ないけど、どこか親密でわずかな希望を感じさせるような曲とアレンジは、40年以上たった今でも色あせていないですね。これを書きながら、アメリカを舞台にアダルト・チルドレンのことを描いた樹村みのり「ジョーン・Bの夏」を思い出しました。。

あるいは、同じジャニスでもジャニス・ジョブリンとの(おそらくは)架空のインタビューという形でつづられた、片岡義男氏の小説(調べたら「ジャニス、確かに人生はこんなものなんだ」らしい)を思い出しもしました。ジョプリンのほうははるかにヘビイですけど。

今更ここで語っても仕方ないですが、この時代(70年代中ごろまで)のアメリカは、こういう内省的な音楽が広く受け入れられていたのですね。先日グレープの「精霊流し」を聞いて、「いまさらなんだけど、結構いいかもしれない。。」と思いつつも、もし今の時代にこの音楽がリリースされたら、社会の受け止め方はまた違うものになりそうだな、という感想も同時に持ちました。つまり、今の社会が変わった、というか、昔は昔で時代的にこうした、内省的な音楽がストレートに受け入れられる社会や人々の素地があったのではないかと。それは日本でもアメリカでも同じだったのかもしれない。

ただ、本当のところはわからない。自分自身はもう色々な時代を経験してしまっているし、その時代の「色」は、外から見たときと内側から見たときとではまた違って見えるものだろうから。個人的には70年代半ばの音楽を聞くと、不思議と家に帰ったような、落ち着いた気持ちになれるが、それではタイムマシンで本当に1975年に行ったら、どう感じるかはまた別の問題かもしれない。

・・そんなことはともかく、古き良き時代の女性ヴォーカル、もう2,3枚注文したぞ。今度は実店舗じゃなくあまぞんでね。

 

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グレツキ:ミゼーレ、聖母マリアの歌

2018年08月12日 | 音楽

レコーダーの整理をしようとして、買ってきたDVD-R(データ用とあった)に「ダウントン・アビー」をダビングしようとしたら、CPRMに準拠していないから駄目だといわれた。そんなこと、すっかり忘れていたわ。20枚も買ったのに・。それでくたびれてしまい、ふて寝していたら夜中になってしまう。。どうもまとめて疲れているようで、なかなか休日がまともに過ごせません。。

ので、別のことを書こうとしながら例によって軽い話題というか、忙しくて書きそびれた話題です。

グレツキの声楽曲集ですが、買ったのは6月の末ぐらいです。銀座山野楽器で買いました。

収録曲は;

・讃歌 Op.76
・ミゼレーレ Op.44
・聖母マリアの歌 Op.54

それぞれ1981年、2000年、1985年という、ごく近年の作曲である。書きながら作品番号と作曲年が合っていないような気がしてくるが、よくわからない。今見たら、あまりにも有名な交響曲第3番は1976年の作曲でOp.36であった。

それはともかく、声楽合唱のみで構成されたこのCDは、個人的には休日の朝などに聞いてみたい、祈りに満ちた音楽が連ねられいている。バッハのカンタータなどと違い、歌詞の意味を追いたいとは思わせない。うちにもナクソスの14世紀だかの古楽集のCDがあるが、比べるまでもなくグレツキは歴とした現代の作曲家であり、音楽には現代の息吹が込められている。時代のフィルターを経ていないぶん、この時代を生きるものとして、より音楽を通した「祈り」を純粋に感じさせるのはこちらのほうだ、と思ったりもする。

演奏は2012年。2010年に他界したグレツキの追悼盤とでもいうべきもの、とのこと。

ロスアンジェルス・マスター・コラール、グラント・ガーションの指揮。

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Country ジョージ・ウィンストン

2018年06月10日 | 音楽

ウィンダム・ヒルもので、購入のいきさつは4月ごろ紹介したSLITに似ている。80年代中頃、借りてきたレコードをテープにダビングして、それを繰り返し聴き、近年はさらにそれをデータ化して聴いていた。それをCDで買いなおしたというわけだ。

ウィンダム・ヒルのアルバムの多くは今入手するのが難しく、あってもやや高価だ。これはAmazonで偶然見つけた国内版中古で、出会ったのも何かの縁と思い購入した。

映画のサウンドトラックであり、そこにウィンダム・ヒルのメンバーがかかわったということらしい。その映画は「怒りのぶどう」の現代版のような内容で、日本でも公開されたがあまり反応は芳しくなかった、とライナーにはある。曲を聞いていると、見たことはないのに、なんとなく映画のシーンが浮かんできそうな音楽だな、という気がする。まあそれが音楽、または映画としていいことなのかどうかはわからないが。

ただ、とにかく聴いていると偉大なる大地、タイトルどおり田舎を連想させる曲調(どんなものかといわれても形容しにくいけど)で、現宅から車で少し走ると出くわす、何の変哲もない田畑のあたりを走りながら聴くと、ひじょうに気持ちがいいというか、よく似合うんですねこれが。

田園地帯というものは本来、「日の名残り」ではないが、本来とても美しいものだと思うのだけど、なにぶん避暑地や人の手の入らない高原などと違い、人が頻繁に行き交うところであるせいか、今日の日本では高圧電柱やガススタンド、コンビニなどがぼこぼこできていて、調和を崩しているところが多いんですよね。。

てんでに勝手なデザインの建物を並べる感覚とともに、日本人の美意識の「隙」らしいのですが、あれは何とかならないものでしょうか。昔話や童話に出てくるような田舎、故郷はさぞ美しいものではなかったかと想像するのですが。

 

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ラ・フォル・ジュルネ2018

2018年05月06日 | 音楽

LFJも年々賑やかになってきて、今年は池袋の東京芸術劇場でも開催するようになったようです。

パンフレットを見て、色々迷ったのですが、池袋の公演は今回はパスしました。せっかくなので選びたかったのですが、時間的に難しくて。。

有楽町のほうは、屋台村に来る客も大勢いて、なんとも楽しい雰囲気が漂っています。

屋台でつまみ食いをするように、公演も選べるのだからたまりません。。

実際に見たのは2公演。一つはラルス・フォークト指揮、ピアノ、ロイヤル・ノーザン・シンフォニア演奏でモーツァルト:「皇帝ティートの慈悲」序曲とショパンのピアノコンチェルト1番。

ラルス・フォークトはwikiには記載が無いようですが手元のリーフレットによると;

卓越したピアニスト、室内楽奏者として第一線で活躍。ベルリン・フィル初のレジデント・ピアニストに抜擢され、アバドやラトルら世界的指揮者から絶大な信頼を寄せられる。近年は指揮や「弾き振り」の分野でも目覚ましい才能を発揮。2015年、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアの音楽監督に就任。

とあります。ロイヤル・ノーザン・シンフォニアは、近年エリザベス2世からロイヤルの称号を贈られた、イギリスのオーケストラ。

フォークトが指揮をするため、通常なら指揮台から見てやや下手寄り、鍵盤が舞台と直角に配置されることの多いピアノが、舞台の中央、奏者が観客に背を向ける形で配置されている。また、指揮が見えるようにかピアノの反響板、譜面置きが取り払われている。昔バレンボイムが弾き振りするのをビデオで見たけど、あのときはピアノの配置は普通だったような気がする・。反響版のないピアノって、どうなんでしょうね。。

モーツァルトのほうは、たしかBSでやっていたのを見たことがあったが、あまり記憶が。。この序曲はまるで交響曲第34番の出だしみたいですね。。このときは当然立ったまま指揮をしています。

ショパンではいよいよピアノを使うわけですが、椅子に座ったまま手をあげて指揮したり、立ち上がったりと忙しいです。それでも、第一楽章はピアノパートがまとまって出てくるのでいいのですが、第3楽章になると両者がかけあいになるので大変。左手を主に使いながら振るのですが「あれ、つぎピアノだよ、大丈夫かな?」とはらはらさせられるシーン続出。これ見るだけでも、会場に足を運んだ甲斐があったなというきがしました。

テンポは全体にゆっくりしていて、それでいて密度はぎっちりとした感じで、とても良い演奏でした。

休憩時間が1時間ぐらい。まだ日暮れ前で、食事するかどうか迷ったのですが、コーヒーだけに。

お酒飲むと聴くのが辛くなるし。

池袋でも開催のせいか、スポンサーに東武鉄道がなっていたり、ちかの通路のところではアルファロメオが展示されていたりと、こちらもにぎやか。

FRなんですね。。

次はカスパル・ゼンダ―指揮、クルージュ・トランシルヴァニア・フィルハーモニー管弦楽団、リムスキー・コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」

ロシア系は普段あまり聞きませんが、だったん人の踊りなんていいですよね。あれはボロディンか。うちには小沢さんの若いこころの演奏(サンフランシスコ響)があって、シェエラザードとボロディンの組み合わせだったと思いますが、いま探しても出てきません。随分長いこと聞いてないな。

盛りだくさんの楽器構成で、打楽器も金管も派手に出てきます。ヴァイオリンのソロも効いてますし、これもなかなか楽しませてくれますね。。こういう発見ができるのが、LFJの真骨頂ですねえ。

会場を出ると、日もとっぷり暮れて。

屋台はまだやっているので(これが遅い公演だと、みんな終わってしまい、寂しい思いをするのです)、うろうろした上で北海道海産物系の屋台へ。

その名も北海丼。

ビール飲もうかと思ったけど、帰り長いのでやめといた。

ホールEでは例によってダンス大会。これは青森の人たちの演奏らしい。

子供たちが中心だけど、普通の大人もポンポンはねて踊っていた。

こういうのも楽しいです。

ダイエット中だがこの日だけ特例。

というわけでした。

 

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安倍恭弘 SLIT

2018年04月05日 | 音楽

なんでいまさら・・なのですが、このアルバム、個人的には今頃の季節感があるのです。。

調べたところでは、発売が1984年12月22日だそうで、僕はたぶん、翌年の3月ごろ、貸レコードやさんから借りてテープに録音したようだ(今回初めてCD購入)。

ので、これを聞いていると、春の宵に、初めて買った「NAVI」(自動車雑誌)を読みながら、来るべき大人の世界に胸ふくらませていたころの自分を思い出す。

安倍恭弘さんはこのアルバムの楽曲しか知らない。たぶんレコードを手にしたきっかけは、前年にCMで使われた(日産スカイライン)のを覚えていたからだと思う。アルバム収録のDouble  Imaginationという曲が使われていた。

 

このアルバムの世界は、なんというか憧れの大人の世界・・ニューヨークに行ったり、車で行った旅の途中で勝気な彼女と別れたり、友達の彼女に横恋慕したり(それが憧れってのはあれですが)・。歌詞の端々に出てくる、車を示すことば(突き刺さるヘッドライト、ガードレールを突き崩していく、ミラーの彼方で点になる・・)も、まだ車など持てない身には憧れをかきたてられたものです。

当時のこととて、日本語英語交じりのかなり気取った歌詞ではありますが、全体のアレンジがなんともカッコいいので、とても自然に感じられる。。この頃を最後に、日本には大人がだんだんいなくなってきた(個人の感想)のですが、この頃はまだ、例えば八神純子さんとか、漫画で言えば課長島耕作とか、そういう世界が成り立つ時代だったようです。


春バテ、という言葉があるそうですが、今日は杉に代わってヒノキの花粉が随分飛んだそうで、なんか参ったわ。。

 

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ディアゴスティーニのビートルズLP13枚

2018年03月12日 | 音楽

ディアゴスティーニのビートルズLP(隔週刊)については、昨年秋にシリーズ開始のときに紹介しました。

あれから半年、2月中旬までに13枚のLPが揃いました。これはイギリスでオリジナル・アルバムとして発売された12枚に、当初イギリスでは2枚組EPとして発売され、後にアメリカでLPとして発売された「マジカル・ミステリー・ツアー」を加えたものになります。ディアゴスティーニのシリーズはまだ終わっておらず、BBCライブやアンソロジーなど、全23巻まで続くようですが、僕はここで一区切りとして、購入を終了することにしました。

特にビートルマニアという訳でもなくて、アルバムについても詳しいことは知らなかったのですが、ウィキペディアによると、ビートルズのLPは全世界同一の形で発売されたという訳ではないようです。デビューからしばらくの間に発売されたアルバムは、アメリカ、日本共に独自の編集、タイトルで発売されていた由。

なので、今回のWith The Beatlesも、当時の日本人はこういうタイトルやジャケット、曲構成のアルバムを聴いていたわけではないようです。今のようにインターネットはおろか、輸入レコードもラジオ(FMはまだ放送されていない)からの情報もかなり限られていた時代だったでしょうから、当時のファンはそうした状況をどんな思いでとらえていたのでしょうか。余談ですが、イギリスでWith The Beatlesの発売された1963年11月22日は、ちょうどケネディ大統領暗殺の日ですね。。

個人的には映画「三丁目の夕日」って、あまり好きではないというか、感情移入しきれないのですが、もし自分が1960年代半ばに高校生か大学生で、ラジオか何かで(東京ならFENー今のAFNがかなり鮮度の高い音楽情報を流していたことでしょう)、ビートルズに触れることができたらどんな思いをしたのか、思いをはせてみたい気もします。あの映画のような世界、銀座通りや日本橋あたりを歩く自分を想像したりします。

本当はこの記事も、2月半ばくらいに書いていないと情報鮮度としてあれなのですが、この冬は公私いろいろ忙しくて、時間が空いても精神的になにかをする力がなくなってしまい、すっかり書くのが遅くなりました。それにしても、ひんやりした朝晩の空気の中に、少しずつ春の息吹を感じる今日この頃でございますですね。。

 

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ナクソスのベートーヴェン交響曲

2018年02月27日 | 音楽

新宿の中古レコード店から送られてくるメールマガジンに、近く移転するために特別セール中、とあった。別用で新宿に行く機会があったので寄ってみた。

併設のオーディオ店が閉店していたので驚いた(たしかにお客はあまり見かけなかったな。今思うと)。CD店は1/4ぐらいの規模で営業しているが、こちらはたくさんお客がいる。

なぜかここのところフランス系の音楽にはまっていて(というか、サン・サーンスのピアノ協奏曲をよく聞いているだけだけど)、それと、週末に車の中で聞いたラジオ(きまクラ)で、オネゲルの「ラグビー」をやっていて、面白く思ったので、探してみるがオネゲルはない。代わりにルーセルの交響曲全集があったので、それを買ってみた。

レジの女の子は見習い中マークを付けている。なかなかかわいい。いや、それはいいとしてあれですね、きっとベテランの人たちは、今在庫の整理とかに駆り出されているのでしょうね、と想像。。

買い物を終えて、なお店内を物色していると、在庫処分コーナーにナクソスのベートーヴェン交響曲(3番、8番)があるのを見つけた。

ナクソスは1980年代、メジャーレーベル全盛の時代にクラシックの文庫を目指して作られた廉価版レーベルだ。メジャーレーベルのスターシステム(有名な演奏家を起用して、多額の広告宣伝費をかけて有名曲を録音する)への対抗として、無名だが実力派の演奏家を起用し幅広い楽曲を多数提供する、という趣旨ではじめたのだという。よくレコード屋に行っていたころは、大型店の一角に青い背表紙のCDがずらりと並んでいるのをよく見かけた。当時は970円+税のところが多かった。

幅広い楽曲提供を旨とするが、当然有名曲も録音されていて、うちにもモーツァルトやショパンの全集がある。そうした有名曲は、レーベルの初期に録音されたものだが、現在では入手が難しくなっているらしい。

というわけで、ベートーヴェンの交響曲も、どこかにないかなあ、と探してはいたのだ(たぶん、新品では入手できないと思う)。たしか雑誌のインタビューで、質問者が「ナクソスは(一度リリースしたものは)廃盤にはしないといっていたが、ベートーヴェンの交響曲は録音しなおしましたね」と聞くと、創業者のクラウス・ハイマン氏は、最初期の録音は演奏がどうもあれだったので、とりなおした、という趣旨のことを答えていた。

今回買ったCDが、そのとり直しなのか、最初のものなのかはわからない。ただ、ちらちらと聞く限り、別にトンデモ演奏、という印象はない。マニアさんみたいに総譜と首っ引きでここが違ってる、みたいなことは言えないが、とりあえず普通かな。。そんなこといったら、某さいもんさんとかのCDのほうが、あれですよね。。なんといったらいいのか、あれですけど。。

というわけで、100円で興味深い演奏が聴けました。ナクソス初期のCD、機会があればもっと聞いてみたいです。

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