うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

Carole King Feeling Sad Tonight

2018年02月10日 | 音楽

昨年のことを振り返る、なんてことはしたくはないのだが、つい1年前のことを思い出しながら、相変わらずキャロル・キングを聴いている。

この曲、歌詞が耳にとまった。。

Feeling sad tonight
But everything's all right
And we'll find some other place to go
Feeling sad tonight
But everyhting's all right
Let's turn all our cares down low

この後の歌詞も、難しいことは言っていないのだが、それだけに彼女がどういうシチュエーションでこのように歌っているのか、わからないところがある。「つづれ織り」はともかく、この曲について日本語で詳しく解説しているサイトも見当たらない。

もっとも、僕自身がこの曲に感応したのは、個人的な背景がたまたま歌詞と結びついたのであって、あまり一般的ではない、というか明らかに一般的ではない、極めて個人的な感応の仕方ではある。。介護されている方、ちょっとなにか感じませんか?・・。

夜よりは昼のほうが辛いというか、色々考えたりしますね。。夜はかえって落ち着いてしまう。

 

さて、右のセットを、新たに購入しました。

1977年のSimple Things をはじめ、70年代後半以降のアルバムを5枚集めたセット。まだ半分も聞いていないのであれですが、最初の2枚を聞く限り、それなりにあの時代をほうふつとさせる曲作りだなあ、という感じはしています。。

左のセット(70年代前半の作品を所蔵)は、これに「つづれおり」を加えると初期のソロアルバムがコンプリートできますが、後半のセットではそこまで網羅できないようです。とりあえず、「サラブレッド」(1975年)は別途買ってこようと思っています。

 

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夜クラシック Vol.15

2018年01月26日 | 音楽

1月25日 仲道郁代(P)、成田達輝 (v)、上野通明(vc) 文京シビックホール

夜クラシックは少し遅い時間に始まり(19:30~)、リーズナブルに楽しめる(S席3,000円。大部分がS席らしい)シリーズのようです。今月初め、昼休みに何かの拍子でこのコンサートのことを知り、行けそうだな、と思って早速電話しました。シビックホールは、帰り道にあるので行きやすいですね。。

お目当てはやはり仲道さんですね。実演を見るのは初めてですが、この方は本当にすごいですね。。天使が舞い降りているとしか考えられない。。ピアノは猫が歩いても音が出るというのに、この方が弾くと、どうしてこんなにきれいな音が出るのか、本当に不思議です。。

気軽なコンサートなので、仲道さんが共演の成田さん、上野さんと会話しながら、共演をしていく、というスタイルですが、仲道さんのMCがとても上手です。海外の一流演奏家が来ても、こんな親密な会話を楽しめるコンサートは聞けないでしょう。その点こうした一流の日本人演奏家の方々のコンサートというのは、独自の価値があるなあ、と思いました。

仲道さんも僕たちとほぼ同じ世代なのですね。。クラシックの方々はとても息が長いので、彼女も今が一番脂ののった時期(デビュー30周年だそう)ではないでしょうか。四半世紀前ぐらいから知ってはいます(もちろん知り合いという意味ではない(^^; 雑誌やCDの広告などで見てたという意味)が、こうしてずっと、同じ時代を過ごしていける方々というのは、貴重な存在です。

 

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ギーゼキングのドビュッシー

2018年01月20日 | 音楽

 

ギーゼキングはフランスの生まれだが両親はドイツ人で、第二次大戦中もドイツ在住だったらしい。1895年に生まれて、1956年にイギリスで亡くなっている。50年代に亡くなると、少し古い時代の人のように思えるが、ちょっと調べてみると、ヴィルヘルム・ケンプも同じ95年生まれだ。バックハウスやルービンシュタインはもっと早い生まれだし、コルトーは二回り近く年上だ。指揮者ではカール・ベームがほぼ同じ年の生まれ。古き良き時代というやつだ。

50年代ごろに亡くなった演奏家が古い世代に思えるのは、残された録音がモノラルであることにも関係があるように思う。もっとも、ギーゼキングは1945年という、非常に早い時期にステレオ録音を残したと、ウィキには書かれている。ただ、ルービンシュタインやバックハウスが、僕を含む後世の人たちにも聞き継がれているのは、彼らがその晩年に多くのステレオ録音を残したから、という側面があるからだろう。

今回購入したドビュッシーも1953-55年頃の録音らしく、モノラルだ。とはいえ、その時代の録音技術はかなり進歩していて、多少Fレンジが狭い感じがするものの聞きづらいところはない。

演奏に対する感想は、れいによってうさ耳によるものなので、参考になれるようなことは書けないのだが。。率直に言ってちょっとびっくりしました。上に書いたように最晩年の演奏なのだが、よく指が回ること。ベルガマスク組曲などは、パラパラパラという感じで(なんだそれは(^^;)、別の曲みたいだとは思わないが、とにかく聞いたことのない感じがする。前奏曲だったかな、強鍵をこんなにぶったたいたような演奏をしているのを、これまで聞いたことがない。テンポも自在というか・。まあドビュッシーを、ふだんそれほど熱心に聞いているわけではないけど、ちょっと変わっている、気がする。

エチュードなんかは、この人にはよく似合っている。エチュードはポリーニの、20年ほど前の演奏が好きだ。ポリーニはとても現代的なピアニストという感じがするが、ギーゼキングにも、同じようなモダンさを感じる。ただ同時に、ギーゼキングのほうがどこか外れているところがあり、その点は万事無難を貴ぶ現代の演奏家とはちがう、昔の人らしさが出ている気もする。

白状すると、この日(新宿タワーに久しぶりに行った)レコード棚をみながら、そういえばフランソワのドビュッシー持ってなかったな、何かいいのないかな、と思って、このCD(5枚組で、結構安かった)を見つけた。フランソワのほうはあまりいいのがなかったのだが、家に帰ってみたら、同じCDが家にあった。持っていることをすっかり忘れていた。。さいきん、ときどきそういうことするからな。S&Gの、「ブックエンド」と「明日にかける橋」のCD,持ってるはずだと思って探したが見つからず、なくしたのか初めから持っていないのか、記憶がはっきりしない。まあ買いなおしてもいいけど。

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老人の会話

2018年01月16日 | 音楽

アルバム「ブックエンド」に収録されている、有名な録音。映画のサウンドトラックみたいだが、そうではない。アート・ガーファンクルが、老人ホームなどのお年寄りのいる場所にテープ・レコーダーを持ち込んで、録音をしたものの抜粋らしい。

 

アルバムそのものは若い頃から知っていたし、このトラックも繰り返し聴いているはずだが、今頃になって急に「どういうつもりでこんなトラックを入れたんだろう?」と考えるようになった。アートは当時20代後半か、30そこそこであったと思うが、年配者の会話に興味があったのだろうか。。

それにしても、繰り返し聴いているはずなのに、会話が聞き取れない自分がなさけない。。

 

このひと月、何度か徹夜をした。

基本的に待機しているだけなので、本やらCDやらお菓子やら、色々持ち込んでのぞんだ。

テレビは早々に消してしまった。つまらない番組ばかりだし、なにより気疲れする。

その点、ラジオは良い。ラジオ深夜便、いいですね・・。普段めったに聞きませんが、パーソナリティの方々、少しずつ代替わりされているようですね。

ときどき読まれるリスナーのお便りは、たいてい年配の方ですが、こちらもまあ、年々代替わりしているのでしょうね。。

 

ラジオを聞きながら、本を読んだりもしたが、頭がぼおっとしているのであまり読み進めることができない。この機会に「騎士団長殺し」を再読しようとしたが、尻切れトンボになってしまった。

むしろ英文の方がペース的にいい(遅読なので・・)ようで、久しぶりにリリアン・ヘルマンを取り出して読んだりした。。もう英語力、すっかり落ちちゃって(はじめからない)、自信なくしているのだが、どんな形でも触れてさえいれば。。

ヘルマンの「ペンチメント」も、昔の思い出話ですね。

 

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フランス・ギャルさん

2018年01月09日 | 音楽

 

CDは10代の頃の、舌足らずな(フランス語がぜんぜんわからないのに、なぜか舌足らずなことはわかる)女の子の歌がたくさん入っている。その後の活躍については、話題としては知っていても、映像を見たわけでもないので、どうしてもこの子がせぶんてぃ~んじゃなくて、セブンティで亡くなったなどという実感はわかない。

じっさいには、波乱万丈の人生模様があったのでしょうね。。

ご冥福をお祈りします。

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歳末音楽

2017年12月29日 | 音楽

年末といえば第9番「合唱」だが、僕は実演をもう長いこと聞いていない。20年以上前、スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団の演奏を聞いたが、NHKホールは音響いまいちで、あまり堪能できなかった記憶がある。

それと、毎年チケットを取ろうとして失敗しているのだが、大みそかにベートーヴェンの全交響曲連続演奏会がある。たしか岩城宏之さんが始めて、今はコバケンさんが毎年担当されている。聞きたいのだが、年末は色々予定も立て込んでいて、果たせていない。

そんなわけで?先日車でちょっと遠出したときは、ベートーヴェンの交響曲ボックスセットを持って順番に聞いていた。

以来、うちにある全集をすこしずつまとめて聞いている。全集は何セットあるのか、よく覚えていないが、3セット目はセル・クリーブランドのもの。これ、音以外は一番好きですね。最近のリマスタリングされたものは、もっと音がいいのかしら。

実は順番が逆なのですが、その一つ前に聞いたのが、こちら朝比奈隆・大フィルの90年代初めごろの演奏。

これが朝比奈氏にとって5番目の全集だが、このテイクが話題に上ることは少ないようだ。

ほぼ同じころの、新日本フィルとの演奏。先の全集よりもこちらのほうがずっと有名で、ネットなどでも取り上げられる機会が多い。

これもリマスタリングで音が良くなったと聞くが、手持ちのは古いもので、全体にオフマイク気味であまり芳しい録音ではないという評判もよく聞く。

が、今回聞いてみて、一番目からうろこが落ちたのはこれだった。世評通り素晴らしい演奏だ。

録音は’88年から’89年にかけてで、ちょうど昭和から平成になるまさにその節目のころだ。サントリーホールも、開業間もないころだ。

ああ、あの頃ねえ・・と、ちょっと遠い目になってしまうが、多少のスノビズムやらなにやらはあっても、あの時代、経済や技術の面で世界中から注目を集めるようになっていた日本は、文化芸術に対してももっと関心を持ち、育成を図るべきだという、なんというか、余裕のようなものがあったと思う。その残り香は90年代の前半ぐらいまでは感じられたのだが、ちょうど阪神大震災のころぐらいから、それも変わってきてしまったような印象がある。

それでこの、キース・ジャレットのソロピアノもまた思い出して聞いてしまった。

こちらも’87年春のサントリーホールでの録音だ。まだ僕はキース・ジャレット知らなかったので、聞くすべもなかったのですが、あの時代の空気はなんとなく覚えているので。。

まあ、昔の話ですねえ。

 

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伊福部昭 協奏三題

2017年11月15日 | 音楽

指揮:井上道義 ピアノ:藤井一興 ヴァイオリン:小林武史 二十絃筝:野坂恵子 東京交響楽団

このCDは20年以上前から持っているのだが、長いこと聞いたことがなかった。が、最近取り出してよく聞くようになった。

というのも、伊福部ファンや現代音楽ファンには大変申し訳ないのだが?、曲のあちこちに「ゴジラ」「宇宙大作戦」っぽいモチーフが出てくるような(空耳かもしれない)ことに気がついたからだ。

シン・ゴジラは先日の日曜日にテレビで放映されたが、SNSなどでは実況中継するなどしてファンの間でだいぶ盛り上がったようだ。

僕もつられてDVDをまた見返してたりする。。細かいところで、妙に心に焼き付いているシーンがいくつかあって、断片的に見直したり。

ネットによると、第1回上陸は11月3日なのだそうだが、祭日ながらオフィスのシーンが出てくる。窓越し、遠くのほうを蒲田君が通過していく様子が見えるらしく、手前に見える机にはほとんど人がいない。一番手前の男性だけ、忙しいのか書類を手にしたまま仕事を続けている。女の子が一人、ひと段落着いたのか席を立ってそっと窓際に様子を見に伺う。歩きながら、顔は既に窓の外の、何かを見ているようだ。この、興味津々、という演技がなんとなく心に染みつくのだ。

京浜急行は北品川駅付近で、臨時停車している電車を吹き飛ばされてしまうのだが、このとき宙を飛ぶ電車と一緒に、警報機のX字の標識が、手裏剣よろしく空を飛んでいる。まあ、外れた台車がひとつ、道路を転がっているという描写も印象的でしたが、ずいぶんと芸が細かいことだと思う。。

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ローラ・ニーロ New York Tendaberry 、イーライと13番目の懺悔

2017年10月14日 | 音楽

今月初めに相次いで入手し、連休中に聞き始めた。きっかけを思い出してみたら、あれだ、「ウェディングベル・ブルーズ」が急に頭に鳴り響いたことだ。聞いたのはフィフス・ディメンジョンなのに、そこから流れて作曲したローラ・ニーロに流れ着き、しかも買ったアルバムに同曲は入っていないという。。

ただ、ローラ・ニーロはこれまでちゃんと聞いたことはなかったし、これらのアルバムは彼女の代表作とされているようなので、入門としては妥当な選択かもしれない。。

家に到着して最初に聞いたのが休日の朝、あるいは晴天下の車の中だったけど、どちらかというともうすこし違う環境で聞いた方が似つかわしいかもしれない。例えば時間を気にしないで良い週末の夜、小さめのシステムで鳴らすとか。ローラの声がかなりオンマイク気味に録音されているし、ダイナミックレンジがかなり広いので、あまりアウトドアでヘッドフォンで聞くのには向いてない気がする。

キャロル・キングとか、バーブラ・ストライサンドとか、あるいはカーペンターズがそろそろ活動を始めた時代の作品ですが、随分大人びているというか、都会的で洗練されている印象が強いです。古さというか、時代性はほとんど感じられない。

こういうアルバムは、繰り返し聴いても飽きることがないのだと思います。

tendaberry って、何のことなのか、辞書で調べても出てきませんでしたが、ライナーを見ると tender berryなのだそうです。

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Wedding Bell Blues

2017年10月04日 | 音楽

「村上ラジオ3」で村上春樹氏が「歳をとって楽になったと思えることのひとつに「傷つきにくくなった」というのがある」と、書いておられる。長年にわたり色々な目にあうので、若い頃のように思い悩んで寝られなくなるということがなくなったと(「昼寝の達人」)。

その点僕はまだ若いせいか?先日数日間、夜寝られなくなった。正確に言うと、早い時間にちょっと寝落ちをしたのだが、目が覚めてから夜中中眼が冴えてしまい、弱った。いや、年取って眠りが浅くなったんじゃないってば。おもわず考え込んでしまって。

それと、年を重ねると傷つくのに慣れる、というのは確かにあるのですが、他方ずっと我慢し続けていることが蓄積して、以前ならぶち切れたりしないように心を抑えられていたものが、もううんざりしきっちゃって、という状況もまたあったりする。。

さらに言えば、若い頃なら気軽に落ち込んだ、などと格好をつけられるが?、いい年になってそうそう落ち込んでもいられない、というのもある。

つくづく、困ったものである。

 

 

とはいえ、昔に比べれば回復の知恵は多少ついているので、その点ちょっとは進歩している。

 

今日、昼は同僚と一緒に。家族の話やらなにやらで盛り上がる。

夕方、姦しいオフィスのすみっこで、部下の子と料理の話をする。みそ汁の具の話とか。。

 

まあそうやって「リセット」するわけだ。

 

音楽を聞くのもいいですね。ふしぎなもので、心が回復してくると、自然と好きな音楽が心から湧き上がってくるものです。

今朝はなぜか、「ウェディング・ベル・ブルース」が頭の中を流れていた。

ローラ・ニーロの曲だが、僕が知っているのは5th Dimensionのカバー。これ、リアルタイムではもちろん知らないのだが、高校生のとき、FMでオールディズを特集していたものをエアチェックして、その中にこの曲が入っていた。それを繰り返し聴いていた。

歌詞とかは当時、きちんと聞き取れはしていないのだが、タイトルから想像はつくし、曲の調子がなんともおおらかな感じで好きだった。

歌のシーンは中西部あたりの時代がかったダイナーかなにかで、テーブルに差し向いになってる二人の会話。女の子はさばさばした感じの、声のちょっと低い子、じゃないかと思う。

なんか歌詞が、とてもストレートで須直でいいよね。。実体験としてはないのに、とても懐かしい感じがする。

上のビデオは完全なコメディ調で、なんだかコシ・ファン・トゥッテという感じですが、これもいいです。かわいい。

聞いているうちに、心がのびのびしてくる感じがします。

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ディアゴスティーニのビートルズ

2017年09月21日 | 音楽

連休は家やオフィスで仕事したりという、地味な日々でしたが、どうにか鼻炎が治ったのが収穫です。

休みの間にも色々の事情で落ち着かないこともありましたが、家で過ごすというのも良いものです。

先日は古いDVDを取り出しましたが、こちらはメディウムとしてはさらにふるい、LPレコード。

先月からディアゴスティーニで出している、ビートルズのアルバムシリーズです。

発売の翌日には入手していたのですが、忙しさにかまけてずっと開封していませんでした。

ディアゴスティーニのシリーズを買うこと自体、初めてです(たぶん)。

開封すると、中に本当にジャケットに入れられたLPが入っています。

どのような形態であれ、新品のLPを買うのはほぼ30年ぶりということになります。

安価なプレーヤーで鳴らしているので、重量盤の意義はわかりませんが、新品なのでプチノイズもなく、なかなかいい音です。特にレトロ感などの留保なしに聞けます。

ちゃんと?アイ・ウォント・ユーが終わったら盤面をひっくり返して、ヒア・カムス・ザ・サンが始まる、という段取りが良いです。

アビーロードは屈託のない初期、中期のアルバムに比べると、重厚だけど影のある感じで、昔はその辺を気にしていたこともありました。「みんな笑っている・・みんなハッピー・・」などという歌詞も、なんかうなされて見る夢みたいな感じもするし、そのうえ「君はこれから長くその重荷を背負っていくんだ・・」ですから。。

などと言いながら、一度聞き始めるとずっと聞いていたくなるアルバムではあるのですが。。

第二回配本も既に出回っています。Sgt. ペパーズですね。

2回目からは約3千円です・。買うのに迷ったのですが、この時期、新品LPをこの値段で買えるというのは貴重かもしれないと思い、手を出してしまいました。

 

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オペラ「カルメン」について

2017年05月14日 | 音楽

オペラ「カルメン」は36歳の若さで夭折したジョルジュ・ビゼーが残した代表作で、オペラなんか見ない人でも名前は知っているだろうし、序曲やアリア(闘牛士の歌など)も、聞いたことのないという人はまずいないと思う。他方、同じく30代の若さで夭折したモーツァルトやシューベルトに比べ、寡作であったために、作曲家ビゼーの名前は作品ほどには知られていない。オペラ通みたいな人がどのように評価しているのか、わからないが、演じる側から見ると、名前が売れているのでお客を呼びやすい。実際、大衆芸術たるオペラとして見ると、ノリのいいラテン系のリズムや、美しい旋律がてんこ盛りで、聞いているとこれは人気が出るはずだわい、と思う。

色恋沙汰、刃傷沙汰もので、ストーリーの矛盾なんかはノリですっ飛ばすという、ラテン的に豪快な物語展開だが、それにしても主人公のドン・ホセの性格設定は、もう少し何とかならなかったのか、といつも思う。女に言い寄られるとすぐのぼせるし、やたらと喧嘩っ早くて、すぐ刀を抜いたり鉄砲で撃ったり、挙句にふられた女にストーカー行為をして再縁を迫り、相手を殺してしまう。ここまでくると、感情移入しにくいではないですか。。

恋敵のエスカミーリョは無制限に?イケメンで、劇中では最後までいい思いしかしていない(恋人を殺されてしまうのだから、そのあとどうなったかは知らないが)。少しぐらい弱点があってもよかったのではないか。例えば暗所恐怖症、閉所恐怖症で、閉じ込められて「暗いよ~狭いよ~こわいよ~」と言わせるとか。などと書いているうちに、だんだんこの二人が諸星あたると面堂終太郎に思えてきた。そうするとカルメンはラムちゃんでミカエラはしのぶか・・。まずいな、ほぼはまっているではないか。。スニガはチェリー・・。

CDは昔はよく聞いていたこともあったが、最近はめったに聞かない。全曲盤で持っているのはカラスが歌った写真のものだが、このほかショルティが指揮、トロヤノスがカルメンを歌った録音の、ハイライト盤を持っている。このショルティ盤は、以前プロの声楽家の方がラジオで、全体に癖のない、オーソドックスな演奏として、勉強のために聞くのに良い、と言っていたことを思い出す。カラスは非常に個性的で聞かせるが、勉強向きでもないようだ。ショルティのの全曲盤は中古で狙っているのだが、なかなか出てこない。

 

 

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ラ・フォル・ジュルネ2017といろいろ

2017年05月06日 | 音楽

連休、お休みとしてはしっかりいただいたが、家のこと、対外的なこと、色々と目白押しで、特にバケーション気分などではなかった。

もっとも、非日常的な日々を送るという意味では、この半年私生活はぜんぶ非日常ではある。

でまあ、今日一日は、用務もあったがちょっとだけ休日らしいことをする。

といいながら、朝は用務で昔住んでいた町へ。

先日引っ越したせいか、なんとなくここに住んでいた30代の頃を思い出す。

たしかにささやかな生活ではあったが、あの頃はそれで満足していたし・・。なんか「若いっていい」みたいな結論は嫌いなのだけど、争えないところもあるよなあ。

僕はラーメン二郎だの、一風堂だのというのはぜんぜん行かないのだが、ここは好きでよく来る。

昔、スマホをなくしたとき、あれこれ探してようやく思いついたのがこの店だったことがある。電話で確認し、夜伺って、チャーシューメン食べてから名乗りをあげた。

あの時の親切な対応がなんとなく心に残っていて。。勿論味は一流だ。かつおだし系ですね。

転戦します。これも毎年ほぼ同じ時期に行っていますが、今年からはこの辺に新しい名所ができていますね。

もうひとごみはしんどいです。。

カタルーニャ地方の明るい風景。

気持ちが晴れてきます。

というより、さっきもそうでしたが、やはり自分がだいぶくたびれていることに気づかされます。

但し今は休めないので、人にわからないように、できれば自分でもわからないように、取り繕いながら諸事をこなしていくことにしましょう。。

 

暗転。

ここでちょっとオフィスに行って、諸事をこなす。仕事(本業)ではないので、そおっと。。

まあ、ちょっと時間が余ったので。

 

転戦します。

 

最初にLFJに行ったのは4年くらい前だったかな。それまでもやっていることは知っていたけど、チケットを買うまでにはいたらなかった。

さいしょのとき、フィナーレのコンサートに行ったら、クラシック系なのにものすごい盛り上がっていて、ラテン系の乗り(ソリストがカスタネットおばさんだった。。名前、後で調べます。。)に度肝を抜かれた。

それ以来、この時期の強い日差し、新緑の緑とともに、LFJが風物詩みたいな感じに、自分ではなっていて、行かないと気がすまなくなっている。

毎年チケットを買いそびれるので、今年は早くからタイムテーブルを眺めてはいたのだが、引っ越し騒ぎでやはり買いそびれた。

本当は小さなホールでやっていたショパン「マズルカ」に興味津々だったのだが。

確保したのはショパン「ピアノ協奏曲第一番」と「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」という、べたな組み合わせ。ピアノはあの小山実稚恵さん。ドミトリー・リス指揮、ウラルフィルハーモニー管弦楽団。

小山さんは昨年日フィルのベートーヴェン・ツィクルスで「皇帝」を聞きましたが、それ以来です。

ウラル・フィルも指揮のリスさんも存じ上げませんが、ウラル・フィルのメンバーはなんというか、ロシアの地方都市の目抜き通りを行き交う人々、という感じで(なんだそれは)全員西欧系、スラブ系のひとたちのオケでした。日本人とか、東洋系の人などはいないようです。うさ耳で聞く限り、弦楽はなかなか美しい響きで、コンチェルトの緩徐楽章など、素敵でした。リスさんも、悠揚たる指揮ぶりでよく全体をまとめていました。

小山さんはこの大曲を終始緊張感あふれる演奏でこなし、アンダンテ(ネットで見ると、アンスピ大ポロというらしい?ですね)は大した迫力でした。演奏後の笑顔が素敵でした・・。

アンコールは「子犬」でした。以前よく聞いたプログラムは、ちょっとひねったものや耳新しい曲などを聞いたものですが、こと今回のプログラムについては、終始べた、という感じでした。

最終公演を聞くと、とんでもなく遅い時間になってしまうのもLFJらしいのですが、明日も早いのでそうのんびりもしていられません。

地下ホールでは派手なパーカッションによる(和洋折衷)、西欧風盆踊りみたいなことをやっていました。

ステージの周りで踊っていたひとたちは、プロなのかな?

いつも思うんですけど、僕の本質はこういうところで積極的に踊りだしてしまいたいものを持っているのではないかと。世間体その他でゆがめられ、実際には何もしないのですが。

広場の屋台でワインとつまみでも買いたいところですが、疲れたのと明日に備えるため、てきとうに。

下のレストランでガパオたべて、おしまいです。

 

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There But For Fortune

2017年05月04日 | 音楽

ジョーン・バエズ 1963

ジョーン・バエズは、ここでは何度か取り上げているがフォークミュージック全盛時代の人で、おそらく当時はとても人気があったのだと思う。後から生まれてきた僕が彼女のことを知ったのは8年ほど前のこと、偶々聞いていた「ラジオ深夜便」がきっかけだった。そのときはピート・シーガーとペアで紹介されていた。

当時の若い人たちは彼女の音楽を、ある種のメッセージとともに清新な気持ちで聞いていたのだろう・・などと、わかったようなことを書いているが、そこから先は僕の勝手なイマジネーションだ。自分の持っている、60年代半ばの映像や雰囲気をつなぎ合わせて、それを音楽と結びつける。

幼い頃の記憶ー当時学生だった叔父たちとの関わり - しばらく預けられていた祖母の家の雰囲気や、その後で母と妹と電車に乗って行った、病院のある街の、埃っぽい雰囲気、などが、心の中で混ざり合う。

今は多少観光を意識して小奇麗に装っているその街は、昔はトラックが土煙を立てて走っているような、愛想のない町だった。子供であった自分から見ると、大人たちが難しい顔をして「仕事」をしている街に思えた。

うん、そうか。音楽の話なのだから、昔の思い出を語っていたも仕方ないな。

でもとにかく、頭の中にはそんな「大人の街」を歩く「若者」である僕が、新しい世界からやってきた音楽としてのジョーン・バエズをラジオか何かで聞く、というイメージが作り上げられてくる。わき目もふらずに「仕事」をし続ける街、やがて僕もその中に、世界を変えるために参加していくことができるという期待。。

話がとても飛躍しているが、こんな話はもちろん、この音楽を紹介する文章として正統的なものではない。その歌詞が語っていることは、何かの理由で収監されるに至った人、貨物列車に忍び込み、雨に打たれながら眠るホーボー、こぼれたウイスキーで床が染まるようなところで飲んだくれている人、爆撃され廃墟になった国に住む人たち、のことだ。そしてここに、偶々なにかの幸運で、今こうしている若者がいる・・。

不幸や、過酷な運命も紙一重、希望に満ちた若者も、彼らとそう違うわけではないんだよ、と・。

対比される若者は、やはり肉体的、時間的にとても恵まれた条件にあるが、そういう強さはしばしば、当人にある種の不安を呼び起こす。

この点この曲の歌詞は、あくまでも若者の視点で見た「社会」を描いているのだろう。大人がこれに似たことを語ろうとすると、それは『マイ・ウェイ』になってしまいそうだ。色々あったけど俺はここまでやってきたんだ、みたいな。

まわりくどいが、そんなわけで僕はこの曲を、「希望に満ちた若者がふと感じる不安感」みたいな視点で聞きたいようだ。

 

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キャロル・キング カーネギーホール・コンサート

2017年04月09日 | 音楽

週末、ちょっと天気は悪かったですが、どうやら季節はすっかり春ですね。寒の戻りといっても、辛いほど寒いわけではない。

雨も、命のぬくもりを感じさせる春雨という感じです。

さて、昨日買ったマランツのCDプレーヤー。買い替えるきっかけになったCDだ。

2月の半ばごろに入手して、メインシステムで聞こうとしたら、プレーヤーが故障していた。

書斎のミニコンポでは再生できたし、家の中を探せば再生装置には事欠かないが、やはりメインシステムでじっくり聞きたかったのだ。

ほぼ同じころ、シカゴのCDも買った。当然これも再生できなかった。

キャロル・キングのCDは、1971年のライブ録音(CDの発売は’96年)、シカゴは’75年のリリースだ。こうした古い録音は、うちの古典的メインシステム(アナログアンプに3ウェイスピーカー)と相性が良い。

わざわざそんなことを書くのは、例えば椎名林檎などはメインシステムで聞くといささか聞きづらかったりするからだ。あれはヘッドフォンとか、ミニコンポなどで聞いた方がしっくりとくる。音源とマイクが近すぎ、あまりニュアンスのようなものは再現されないというか、初めから入っていない。聞き手の環境に合わせるようにしているのだろう。それ自体は別に新しい傾向というわけではないが、たぶん70年代前半ごろは、古典的なシステムを前提とした音作りがなされているのかもしれない、と思ったりする。

音の話ばかりしているが、音楽を聞いていると、やはり自分の中の70年代に触れる気がする。

現実にはリアルタイムでは聞いていないのだが、自分の’70年代の経験、古い小学校の木造の床の凸凹とか、そんな感触がよみがえってきたりする。

不思議といえば不思議だ。

片づけないといけないのに、ついPCで古い写真とかを見てしまう。

これは今年の、撮りたての写真だが、9年前、10年以上前にも同じ桜の写真を撮っている。

少しずつ、周りの様子が違っているのが分かる。

先週はまだ7分咲き程度だったが、もう葉桜だね。

 

 

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Way over yonder

2017年01月06日 | 音楽

キャロル・キング 「つづれおり」より 1971

「遥か遠くの向こう側」みたいな意味らしいです。まだ行ったことはない。でも私はそこを知っている。そこでは寒さや飢えから守ってくれるところ。行けばすぐに甘くて素敵な人生を見つけることができる。。

70年代初めごろの女性歌手、キャロル・キング、カーリー・サイモン、カレン・カーペンターあたりの人たちの曲を聴いていると、これはまた別の歌を紹介するときにも同じことをいうかもしれないけど、そのころの自分が体感した社会―子供のころの身の回りの風景や、彼女たちと近い世代だったはずの、学校の先生方、あるいは親戚、叔父、叔母などのことを思い浮かべたりする。

「つづれおり」のことは、前にLPを買ったと書いたことがあるが、’71年初めごろにリリースされ、その後大ヒットになったアルバムだ。当時は小さかったから当然リアルタイムでは知らない。しかし、なんとなくその頃の街の風景や、テレビを通して伝わってくる社会の様子などを、思い起こすことはできる。あの頃の若い人たちは、やはりこの曲を聴きながら、ああ、新しい音楽だな、と感じていたのだろうな。 

いつかは、知っているあの世界にたどり着くことができる、という夢物語は、裏を返せば今、目の前に広がる世界は理想的でない、いつかはそこから去りたい世界だということを意味する。その意味で、この曲にはある種の社会批判のようなメッセージが含まれている、と言えるのかもしれない。まあ、もう少し素直に考えれば、いつの世でも、だれでも、いつかは夢の世界へ、と思っているものなのだろう。。

 

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