うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

センチメンタル・・

2016年12月27日 | 音楽

CDを買ったのは今月の初めごろ、写真のログを見たら12月7日(水曜日)だったらしい。下のショパン2枚はその週の土曜日、10日だ。

つい3週間ほど前のことだが、その頃がはるか昔のことのようにも思える・・。

 なにかの拍子に人生がくるっと変わってしまうことがある。悪い癖かもしれないが、つい後ろを振り返って、日ごとに区分されたフォトビュアーをさかのぼってみる。

はじめは今年一年間、ついで昨年、一昨年の今頃、とさかのぼっていく。

ついこないだまで、いろいろあったにせよ、呑気に暮らしていたものだが。。

写真を見るとつい、この頃はよかったな、みたいに思いたくなる・。そら、そんなことを想っても仕方ないわな。思わず苦笑する。

 

今日は午前中は家族の世話、午後はあちこちで荷物を取りに行ったりする。昨日の荒天から一転、冬らしい青空となる。

朝から風がとても冷たい。

家に戻る途中、本屋に寄って何か買おうと思ったが(今読んでいる本がもうすぐ終わりそうなので。チェイン・リーダーなので読むものがなくなると不安になる)、さんざん歩き回っても読みたい本が見つからない。あきらめて店を出る。

というような年末を過ごしておりますが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

まあ、そんな話はともかく、バッハの話に。

フランス組曲の、特に第5番が昔から好きなのですが、シフのこの演奏はモダンピアノを使い、とても軽快な感じのする演奏です。やや装飾が強調されている感じもします。この曲に関してはお気に入りの演奏というのがなくて、力強い感じのヴァルヒャ、優しい感じのジャレット(ジャズのキース・ジャレット)、モダンな演奏のグールドと、それぞれに持ち味があります。

続いてショパンの定番、ポリーニのエチュードです。

エチュードはそれほど頻繁に聞くことはないのですが、たしかにこの演奏は聴いていて気持ちがすっきりしますなあ。

(う~ん、ない頭絞って演奏のこと考えていると、少し浮世を離れることができそうだぞ・・。)

こちらは前奏曲、前にも書きましたが、ポリーニは昔はちょっと敬遠していたので、こうした定番演奏のCDを聞くのは今回が初めてです(ただし、ポロネーズやスケルツォは前から持ってましたが)。2011年の新盤にも興味があったのですが、今回はエチュードと同時期の演奏を、と思いこちらを選びました。

ポロネーズや、大好きなマズルカと比べるとついBGM的に聞いてしまうところがありますね・。改めて聞いてみると、テクニックのキレが印象に残ります。

別に茶化すために音楽以外の話題を書くつもりではありませんが、そういえばホンダがプレリュードというパーソナルクーペを出して、一世を風靡していたころ、マツダがファミリアをベースにしたエチュードというスペシャルティカーを登場させたことがありましたね。ホンダの車名は一時期音楽に関係した名称で統一していた時期があって(アコード、バラード、クイント、海外名だけどジャズ、やや後になってコンチェルト)、プレリュードもその一つですが、マツダにはそういう背景がないので(ファミリア、カペラ、サバンナ・・)、唐突な感じもします。というか、30年たった今頃気が付いたのだけど、これってプレリュードのパロディみたいな車名じゃないか、と。 3輪オートはトリオとか、ロータリーエンジンのロンドとか、あったのならまあ、納得できますが。。

プレリュードは「ボレロ」、エチュードは何だったかな、どちらもショパンの曲はCMでは使われてませんでしたね。

 

 

 

 

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The Boxer

2016年12月01日 | 音楽

この曲について昔書いたかなあ、と思って自分のブログを検索してみたが、見つからない。頭の中で書いていただけだったのかな?

さいきんはちょっと前に書いたこともすっかり忘れてしまい、同じことを何度も書いたりする。。

 

この曲に最初に出会ったのは、中学生のときの今頃の季節だった。

だから個人的にこの曲を聴くと、金色に輝く遅い午後の陽ざしとか、そういう風景が心に浮かんでくる。

本当はニューヨークの、寒い街角の風景が舞台の歌なのだが、僕の頭の中ではどこかの築堤、ススキか何かが風に揺らぎ、わずかに温かみを感じる太陽と雲一つない空、色だけは暖かそうな枯草色と苅田の茶色。そんなものが浮かんでくる・・。

あるいは、逆光の中、半分シルエットのような姿で疾走する、古い電車。かつての名優、颯爽とした姿が人々を魅了したのも今は昔、今は地方線で最後の活躍をする、旧式の電車。

各所を改造された跡も痛々しい姿。電車は、線路脇の枯草の上に、長い影を落としながら走る。

 

もう、イメージがぶっ飛びすぎていますね。

そもそも、'The  Boxer'という、勇ましいタイトルと、軽快なリズム、S&Gのやさしい歌い方とのギャップがなんとも。。

映画の一シーンのように、現実には激しい、喧騒のなかのシーンが、静かなスローモーションとして映し出されているような印象を受ける。

 

僕の英語力では、何気なく歌詞を聞いていても、部分的にしか理解できない。昔は特にそうだった。

向こうの歌詞に多い、ストーリーテラー的な内容らしいことはわかる。

以前書いたかどうか、繰り返しになるかもしれないが、僕は以前この曲を、部分的に自分で適当にストーリーを補完しながら聴いていたのだ。

(想像した)お話は次のような感じ(カッコは突っ込み)

僕はそのころ、やせでちっぽけな少年だった・、夢でポケットを膨らませながら家を離れ、街に出る( 本当はポケットいっぱいの夢ではなく 'a pokectful of mumbles 'と言っている。このさきもよくわからないが、とにかく少年が不安と期待に胸をふくらませながら、駅から街にむかったのだろう、と。)

わずかでも稼ごうと仕事を探すが、話は来ない。 いつかは夢を実現してやるんだ、と心に誓う('Asking..wages but I get no offers'はよく聞こえるのだ。 そのあとは勝手な想像。 ' I do declare..'からあとが、ちょっときいてもわからないのだ。「時には娼婦に安らぎを得ることもあったんだ」、と言っていたなんて。。)

この先の歌詞もよくわからないが、とにかく少年は「ロッキー」のように努力して、ようやくリングに立つようになった、んだろうと・・。トランペットの間奏が年月の流れを感じさせる。

ニューヨーク冬のは厳しい。僕はふと、もう家に帰りたい、と想ったりする・・(構文はよくわからなくても、 'New York City winters .. bleeding me, Leading me going home'は聞こえてくる。まあ、大意はまちがっていない)。

最後はリングに立つボクサーのシーン。激しい戦いが繰り広げられる。 

彼は倒れ、怒りと恥辱の中、「もういやだ、もういい、家に帰るんだ。」と心で叫びながら、それでもまた立ち上がり、戦い続けている。。(ところどころで、 'stands a boxer' ' a fighter' 'and cut him'(ここだけS&Gは、強くアクセントを付けて歌っている).'という言葉がわかる。さらに、'anger ' 'shame' ' I  am leaving..' 'the fighter still remains'と続くので、ああ、もうやだ、と思いながらたたかいつづけてるのかな、と。)

さいごは'Lie-a Lie..が繰り返されながら、ストリングスを中心とした伴奏がどんどん盛り上がっていき、やがてふっと静かになってギターだけになって、静かに終わる。

S&Gの歌い方は最後までジェントルで、やさしい。歌詞を追っていくと、なんだかサリンジャーか誰かの短編小説みたいでもある。

この曲が心にうかんだのは、自分なりの季節感もあるが、もうひとつ、今日は自分もいろいろあって、歌詞のボクサーのように、'Laid me down and CUT me'となってしまったので。。

それでも、泣きながら'I am leaving'などといいながらも、また起き上がってファイティング・ポーズをとることになるんでしょうね。。

 

 

 

 

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ポリーニ ベートーヴェン 後期ピアノソナタ

2016年11月13日 | 音楽

ポリーニのベートーヴェンは先日初めて手を出したのだが、そのときこの後期ソナタを買うかどうか、ちょっと迷った。

ご存じ(の方はご存知)のとおり、この録音はファンの間でセンセーションを巻き起こした(らしい。当時のことは知らない)もので、評論家の間でも賛否両論が飛び交っていたようだ。

そういう話は伝わっていたので、僕もなんとなくこれまで買うのをためらっていたのだ。そういえば、先年亡くなられた有名な評論家の方も、舌鋒鋭く批判しておられたな。。そういう影響を、まったく受けなかったと言えば嘘になる。 まあ、ポリーニに興味が向いた、せっかくの機会なので、聞いて損は無かろうという気持ちで買ってみた。

うちにはこの曲(作品101、106ハンマークラヴィーア、作品109から111)のCDは何枚かある。バックハウスのステレオ録音(これは全集で持っている)と、ブレンデルの90年代の録音のほうだ。

この種の感想を文字であらわす才能は持ち合わせていないが、あえていうならバックハウスは骨太で味があり、ブレンデルはやわらかい中にも芯がある、という感じかしら。

ポリーニは、同じような表現の仕方が思い浮かばない。なんとなく、それまで満足していたデジカメを買いかえたら、画素数が増えてローパスもないからシャープネスも半端ない、目から鱗、という感じかしらね。。

これに慣れてしまうと、ほかの人の演奏がちょっと鈍く感じてしまうのは否定できない。 特にブレンデルは、改めて聞くとあれ、と思ったりもした。

しかし流石に、バックハウスは強いですね。。ウェブではテンポが揺れるとか、年齢による衰えとか、録音がどうの、という批判も散見されるが、それはそうだとしてもやはり聞くとホッとするものを感じる。もともと耳がこの曲はこういうものとして、」慣れている、というせいもあるが。。

ワルトシュタインは、ポリーニ2度目の録音(’97年)です。旧録音は知らないのですが、ウェブでの評によると、キレに加えてコクも増してきた、のだそうです。

バックハウスはステレオのスタジオ録音と、最後の演奏会(’69年6月)を持っていますが、個人的かつ今のところ、バックハウスに軍配を上げます。

作品101は、「愉悦的な中にも、内に秘めた苦しみに耐えて前進しようとするベートーヴェンの姿云々」、という解説を読んだことがある。生涯結婚しなかった彼が、友情で結ばれ続けた弟子(ドロテア夫人)にささげた曲だとか。

次の「ハンマークラヴィーア」には、そういう内面的な深みを示唆するような表現はあまり聞かないが、こういう曲などはたしかにテクニックよりも、なにか人生の深みを伝える様なサムシングが必要なのかもしれないですね。。ただ、それをあからさまに求めるのはどうかと思いますが。

作品109-111は、よりそれが顕著になってきます。なにやら辞世の句を詠んでいるような感じが、聞いていてしてくるんですね。「夢は枯れ野を駆け巡る」みたいな。

生涯を振り返り、あるときは光のさんざめくような愉しい心象、また苦しかったこと、腹立たしかったこと、そして、ここまで来たことへの無念さ、あるいは逆に感謝の念、みたいのが、走馬灯のように次々とめくってくる。人から見たら偏屈者で、度々衝突を繰り返したり、いろいろな目に遭ったりもしたけど(そういうところを自分と重ね合わせたりもするわけです)、これらの曲は、そうしたことを包み込むというか、その一段と上に立って、静かに振り返っているような気がします。もちろん、ただ自分で勝手にそう思っているだけなのですが。

考えてみると、ベートーヴェンがこれを作曲した年齢を、自分はもう通り過ぎてしまったのですね。彼が生涯を終えるのは、作品111を出版してからなお5年あとのことですが、ベートーヴェンは既に自らの人生に対し、ある種達観していたのかなあ、と思ったりもします。

ポリーニはこの曲を、全集の中のもっとも初期、30代そこそこで録音しています。だから余計反発を感じさせたりもしたのでしょうね。とはいえ、若いからこれらの曲の真髄がわからない、という批判はどうかな、とも思います。僕自身30の歳の今頃、夜中にこの曲を聴きながら、心にしみるものを感じてましたからね。

泣いたかどうかは覚えていないけど、子供が驚くほどの感受性を持っているのとおなじように、大人の事情が大人にならないとわからない、ということはたぶん、ないのだと思います。むしろ、あまり年を取ると、感受性が幼児よりも退化してしまうのかもしれない。まあ、たしかに年齢を重ねて、ようやく素直にものが見られるようになったことがあるとか、その辺はいろいろですが。

 

 

 

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吉田拓郎 爪

2016年10月22日 | 音楽

遅い日が続いている。

まあ、買い物に行ったり、必要に応じて適当に時間はやりくりしているが、重いものを抱えているような気分はずっと変わっていない。

そうやって、忙しくしていられるのは、本当は幸せなこと、貴重な恵みなのかもしれない。

そう思いながらも、後味の悪さに根負けして、そのうちに思わず扉を開けて出て行きたい、という気持ちを抑えられなくなるのではないか、という不安を、ずっと抱えている。そういう気持ちは、時間とともに成熟するものらしい。昔よりは生っぽくないというか、自分の中に違和感なく、大きくなってすぐそばに見えている。。

夜中に、なんとなく「ローリング30」を聴いていたら、2曲目にこれがかかって、それが自分のいまの心境とすとん、と結びついてしまった。

話はちょっと飛ぶが、ボブ・ディランがノーベル賞、という話を聞いて、知人がSNSでそれなら吉田拓郎も芥川賞ぐらい取れるだろう、みたいなことを書き込んで、なるほど、と思ってしまった。

さいきんの、というか、もう桑田佳祐よりあとの人たちで、歌と歌詞から何かの情景がありありと浮かんでくる、みたいな人をほとんど知らない(自分の感覚がマヒしているのだろうけど)。吉田拓郎の歌は、ほんとうに短編小説を読んでいるみたいな感覚で聞ける歌が多い。

とか、おもったのだけど、この「爪」の歌詞は、松本隆さんですね。。

 

男性が、別れ話を持ち出そうとしている。

 

女は爪を切っている。

静かな部屋に、ぷつり、という音が聞こえてくる。

電気時計が針を刻む。滑るように秒針が回る。

 

男は肩を丸めて爪を切る女を見ながら、頭に浮かんだことを片っ端から並べている。

深爪したら痛いよ、とか、夜爪は不幸とか、他愛のないことだ。

爪を切るって、普通は人に見せるものではない。前の会社の子は、時折職場の隣の席で爪を切っていた。ぷちぷち音がすると、なんだか妙に親密な相手と一緒にいるような気がしてきたものだ。先日退職した同僚も、トイレで爪を切っていた。出先で爪を切る感覚は、自分にはないな。。

先週は、京浜東北線の中で爪を切っている若い女性に遭遇した。これは別に、親密な相手なんて感じは全然しない。睨みつけてやろうかと思ったが、なにも感じていないようだった。

 

そのまま、何も言わないでいれば、ただの静かな夜が更けていくだけ、なのだろう。

その静けさは、とても儚いものだ。

そこに見えている、夜の背中をちょっと押しただけで、たちまち崩れてしまう。

だからこそ、目の前の風景が、なんの変哲もない部屋の風景が、心に焼き付いてくる。

 

人はなぜ出会い、別れるのだろうか?

出会うことも偶然だが、別れることも、別に子細な理由があるわけではないだろう。

理由はあるかもしれないが、それは、先に別れという事実があり、それを自分なりに解釈しているだけだ。

彼女がぼくを床屋に行かせ、毒気を抜いたこと、清潔好きで床をピカピカにしたこと、そんなことでも、別れの理由になる。

いずれにしても別れは来る。来るものは来るのであり、努力したくらいでは止めることはできない。

 

「ローリング30」には、「外は白い雪の夜」も収録されている。これも男が女に別れ話をする、という歌詞だ。この歌も一時期、病気のようにヘビロテしたことがあったな。。

いま記憶をたどると、今月は毎金曜日、ひとり残業をしているな。。

 

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コルトーのショパンほか

2016年08月27日 | 音楽

風邪を治すため、ずっと寝ておりました。。朝、鳥たちにご飯をあげて、じぶんは食欲がないので麦茶を飲み、あとは机に向かったり、昼寝したりで1日を。。

体調は良くなったのかどうなのか、ちょっとわかりませんが、まあ休む時には休みたいと思います。

先日アルフレッド・コルトーのショパン集のCDを衝動買いして、少しずつ聞いています。マニアの方と違い、僕の耳が間違いを見つけることはまれなのですが、それでもけっこうミスタッチしているのがわかるという。。ただ、ピアノの響きはとても美しいですね。1920年代ぐらいからの録音なので、電気録音にはなっているとはいえ音質は厳しいはずですが、あまり気になりません。

気にならないのはお前の耳だからだろう、と言われれば、そうかもしれないけど。。うちにはパデレフスキーとか、パハマンなんてCDもありますが、これらはさすがに状態が厳しくて、いつでも聞いていられるという感じではない。モノラルといっても、数十年の歴史があるので、その状態は様々だ。とにかく、古の人たちはこんな素敵なピアノを聞いていたのだな、ということがわかる貴重な資料ですね。。

そういえば、Google Pay Music (定額配信制サービス)にも、歴史的録音がラインナップされている。ピアニストはわからないが、試しにシャルクとかワインガルトナー、メンゲルベルクなんて入れると出てくる。もちろんワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラーなんかもたくさんある。

ただし、これらはただ楽曲名と指揮者等が記載されているだけで、いつどこの録音なのか、などがわからない。おそらく、自動的に収集はしたがきちんとチェックすることも聞くこともせずに並べているだけっぽい。というわけで、クラシックに関しては定額配信はあまり使えないかもしれません。

 

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マイウェイ

2016年08月19日 | 音楽

先日絵の先生の個展(21日までです)でシナトラがかかっていて気になったという話をした。そんなきっかけでちょっとシナトラのことを調べていたら、代表曲のひとつである「マイウェイ」がリリースされたのが1969年の1月、彼が53歳の時であることに気が付いた。ちょっと意外に思った。結構新しい曲(!)なんだな。もっと古い曲かと思っていた。もう一つの驚きは、シナトラが53歳でこの曲をうたったということだ。

翻訳を参照させていただいたこちらの方が、「この曲は歌手にとってリリースする時期が難しい」、とコメントされている。

デビューして数年の若手が歌っても説得力がないし、かといって本当にもうそろそろ、という年齢になってしまうと、別の意味でちょっと歌いにくい。40~60代ぐらいの(やや盛りを過ぎたくらいの?)年齢の歌手が歌うのが聞き手にとってはありがたいだろう、という。なかなか、含蓄のある指摘だ。

同じ方のコメントで、この曲が(年配の)男性に人気があるのは、(歌詞に)自分の人生を投影する(人が多いから)だろう、という。

迷ったり、うまくいかないこともあったけど、俺は俺なりに思った通りに生きてきたんだよ、という感じの歌詞、おそらく日本語の定訳もそんな感じなのだろう。

30年以上にわたり第一線で活躍してきたシナトラだが、常に順風満帆だったはずもなく、彼にとってもこの歌にはある種の思い入れがあったのだろう。この曲のリリース後2年ほどで、彼はいったん引退しているから、本当にthe end is nearと思いながら歌っていたのかもしれない。

この曲に感銘を受けたのは、日本でいえば高度成長期を戦い続けてきた産業戦士、その後輩たち、そのまた後輩たち・・。’70年代からのち、それなりの円熟期を迎えた大人たちだ。彼らは僕らが若いころ、飲み会などでマイクを取るとこの曲を好んで歌った。

なので、この曲を聴くと僕は歓楽街の喧騒とか、酔っぱらいが調子外しながら思い入れたっぷりに歌う姿が反射的に心に浮かんでしまう。

僕も今やシナトラや、マイクを持った先輩たちと同じくらいの年齢に達しているわけだが、しょうじき言って、とてもこの歌を「自分の人生に投影させながら」歌うような気にはなれない。「I did it my way」なんて、とても言えやしない。。

とはいえ、むかしに比べるとずいぶんと今生へのあきらめがついてきているから、もうちょっとすると、「なんとか自己流でやってきて、こんなになっちゃったねえ・・」ぐらいは言えるようになるのかもしれない。

話はちょっと飛ぶけど、今週月曜日は終戦の日だった。71年前の今ごろ、普通の市民たちは何を思っていたのだろう。。よくドラマなどでは、灯火管制がなくなって、世の中が急に明るくなった気がして・・という話が出るけど、そんな単純なものでもないだろう。市民といっても、それまで軍服の帽子を作っていた人、学徒動員で銃弾を削っていた女学生、隣組同士で防火訓練をしていた主婦、みんな、何らかの形で戦争に関わっていたのだろうし、毎日張り詰めた思いで日々を過ごしてきたのだろうし。。

僕が時々、本やウェブ等で将校たちの来歴を調べたくなるのは、彼らが終戦後どのような生き方をしたかに興味を感じるからだ。隠遁する人、露悪的な言動をする人、何らかの償いの行動をしようとする人、様々だが、それらを単純に酷いとか美しいなどと割り切っては言えないような、重みを感じる。彼らも、或いはかれらこそ、I did it my way,,などと歌うことはできないかもしれない。

 

さて、話がちょっと重くなったけど。

マイウェイはあれだが、そういや昔ドラマで「ちょっとマイウェイ」というのがあったな、と思い出して。。以前ここでも取り上げましたね

やはり八千草薫さんがいいですね。。昭和6年生まれということですから、このころ。。

 

 

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ルー・ローズ

2016年08月07日 | 音楽

Google music(定額配信サービス)で時折遊んでいる。 定額配信を勧めてくれたブログは、「新しい音楽に、気兼ねなく遭えるよ」と言っていたのだが、自分のライブラリを見ると「60年代洋楽」「昭和40年代前半の歌謡曲」なんていうのがずらりと並ぶ結果に・・。相変わらず日本の曲は充実していないですね。中森明菜、松田聖子、ピンク・レディはそろっていることを確認しました。山口百恵、松任谷由実、天地真理はまだです。。

ただ、なぜか(僕が知らないだけか)シーラ・Eの歌う「あの日に帰りたい」なんてのがあって、これは結構よかった。

フレンチ・ポップスがたくさん聞けるのも素敵です。CD,日本ではあまり手に入らないですからね。シルヴィ・バルタン、フランス・ガル、ジェーン・バーキン、そしてフランソワーズ・アルディなんてのは、もうたまりません。。「さよならを教えて」なんて、何度聞いても飽きません。。

しかしマージョリー・ノエルはまだありません。「そよ風に乗って」を聞きたい。。

 

さて・・それはともかく、ある日ルー・ロウルズ「別れたくないのに」を検索していたが、僕はこれを勘違いして覚えていて、ルー・ローズだと思っていた。本当は黒人グループのはずなのだが、出てきた検索結果はちょっと影のありげな女性のジャケット絵が出てきた。

「??」と思ったのだが、聞いてみると結構いいです。。ルイーズはキャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエンに影響を受けた(wikiより)とのことなので、個人的な好みの延長上にあるわけです。最初は若い人かな、それにしてはちょっと古典的な・・と思っていたけど、1964年生まれだそうです。写真を見ると、なんというか雰囲気のある感じで、非常に絵になる女性という感じです。ウェブを見ても、それ以上詳しいことはわかりません。。本国では一定の評価を得ているのでしょうね。20年以上活躍されていますし。

これからも様子を見ていきたいと思っています。

 

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愛なき世界

2016年08月03日 | 音楽

ピーターとゴードン。

先日もI Go to Pieces を紹介したが、こちらはレノン&マッカートニーの作品である。これはライブなので、ちょっとコーラスが荒い感じがする。

もう一つ映像を見つけた。

こちらはレコードをつかった口パクじゃないかと思う。

ピーターとゴードンの曲は、この2曲しか知らないが、当時の人気のほどはどんなものだったのでしょうか。

「愛なき世界」を聞いていると、頭の中であるシーンが浮かび上がってくる。

 

遅い午後、特急電車に乗ってで山陽線を走っている。窓の外には瀬戸内海が遠望できる。もう少しすると、あたりが黄金色の光に包まれようかという時間だ。

電車は滑るように走っていく。さきほどまで会話に花を咲かせていた人たちも、少し飽いてきたのか、ぼんやりと海を眺めている。。

 

いまなら新幹線だが、新幹線はトンネルばかりなので、こういう感じにはならない。在来線を特急が走っていたのは、昭和40年代後半ぐらいまでだろう。

特急ではなくて、特別急行列車と言っていた頃のことだ。

まあ、歌とは、全く関係のないシーンなのですけど。。

 

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中村紘子さん

2016年07月29日 | 音楽

このあいだ復帰されたというニュースを聞いた気がしていたのですが。。

You tubeのコメントを見ていると「カレーの似合うピアニストさん」みたいなコメントがあって、ちょっと微苦笑ですが。しかし、ある意味的を射ている言い方かなという気がします。なんとなく、ご自身がとても専門的な世界、セレブの世界にいて、だけどわたしはみなさま庶民の方々とともにあるんですよ、みたいなアピールをされている感じがあって。。

けっしてネガティブな言い方をしたいわけではありません。日本のマニア系音楽ファンの方は、もうちょっと朝比奈隆さんとか、ちょっと求道的な感じの方(ファンから見てということですが)が好きなので、中村さんはその点ちょっと損をしていたのかもしれない。ただ、このまま年輪を重ねていけば、またちがう評価になっていったかもしれないという気もします。

エッセイなどの著作も面白くて、良く読んだものです(そういえば、かくいう僕も、CDは手元に持ってないな)。岩城宏之さん同様、そういう面でも日本の文化に貢献した方といえそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

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I Go To Pieces

2016年07月26日 | 音楽

ピーターとゴードン。

・・そんなこんなで、彼女の白い肌は私に昔のことを思い出させた。ジミ・ヘンドリックスやクリームやビートルズやオーティス・レディングや、そんな時代の頃のことだ。私は口笛でピーター・アンド・ゴードンの『アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ』のはじめの何小節かを吹いてみた。良い唄だ。甘くて切ない。デュラン・デュランなんかよりずっと良い。でも私がそう感じるのは私が年を取ってしまったせいなのかもしれない。何しろそれが流行ったのはもう二十年も前の話なのだ。二十年前にいったい誰がパンティー・ストッキングの出現を予測できただろう? (「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」より)

このシーンの前で、「私」は深夜、自宅から車で出かける。大きな通りで信号待ちしているとき、若い男女の乗るスポーツタイプの白いスカイラインが横に並んだ。その車のカー・ステレオから流れていたのが、デュラン・デュランだったのだ。「私」はなぜか、デュラン・デュランの音楽と、スカイラインに乗っていた女が左手首にはめていた銀のブレスレッドが後々まで気になって、何度も思い出すことになる。

考えてみるとこの小説の設定は、近未来風を装いながらも、結構ピンポイントで時代を特定できるような描写が出てくる。ピーターとゴードンのこの曲は1965年のヒット曲だ。それから20年を経るということは、やはり80年代の前半ということになる。あの頃はたしかにデュラン・デュラン、世間でよくかかっていた。スカイラインも当時の若者たちが結構乗っていた車だ。

僕自身は当時、デュラン・デュランはあまり聞いていなかったが、このI Go To Piecesはちょうどその頃に、ラジオのオールディズ特集で聞いて初めて知った。いろいろと、ちょっと参っていた時期だったが、この曲はそんな疲れた心を癒やしてくれるような気がした。

なんとなくしっとりした雨を連想する。ちょうど小説で「私」が最後に地上に出て自宅に戻った数時間の間、降り続いていた細かい雨のように、優しく、ひんやりと心を包んでくれるような気がする。

歌詞はあまり聞き取れないところもおおいが、ふられた彼女に道で会って、心乱れて体がばらばらになっちゃいそう、みたいな話らしい。たしかに、自分もそんな思いを味わった思い出はあるが、記憶には残っていても、痛みの感覚はもう忘れてしまって久しい。だんだんと、ひとはそうなっていくんですね。。

今年の梅雨は出始めはからっとしていて、明ける間際になって、急に思い出したようにぐずつくような降りかたをしている・。当地では先週来雨の日が多く、わりと涼しい日が続く。涼しい夏、というのも近頃はあまり経験することがないな。思い出すのは、たしか7年前も、いちど梅雨明けを宣言されたのに、その後もしばらく雨が続いたことがあったな。。たまには涼しい夏も良い気がするけど、まあこれから暑くなるのかな。

 

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定額制音楽配信サービス(Google Play Music)を使ってみた

2016年06月26日 | 音楽

この記事はかなり前に書きはじめたものだが、色々と忙しくてまとまりがつかず、脱稿(^^;が今になってしまった。

使い始めて結構時間がたっているが、その間に使い方がわかってくるというか変わってきたり、しばらく忘れていたりしたので。。

初めから書き直したほうがよさそう。。

とにかく、Google Play Musicを使い始めたのは今年の春ごろ。当時、3か月100円で使えます、というキャンペーンをやっていた。

定額配信のサービス自体は知っていたが、それまで特別興味はなかった。音楽のダウンロード(Sony のMora)を使い始めたのは10年近く前だが、数年前にPCの故障でデータが飛んでしまい、しかもサービス体制がいつの間にか変わっていて、データの復旧もできなかった(それまでは、購入した曲は再ダウンロードできることになっていたが、データ形式が変わったらしい)。そんなにショックを受けるほど使っていたわけではないが、その前後から音楽はCDで聞く体制に戻っていた。

偶々、良く訪れるブログでApple musicの紹介をしていて、新しい音楽に(お金を気にせずに)触れることができる、などとそのメリットを訴えていた。

Appleもよいが、まあ、100円ならお試しで良いだろうかと思い、類似のサービスであるGoogleを。

 

Andorid系のアプリとしてもともと入っている、Google Play Musicを使う。サービスに加入すると、メニューから配信関連のサービスが使えるようになる。パソコンに専用アプリはなく、ブラウザでウェブサイトを開いて使う。

事前にネットなどで、各社の配信サービスの特質みたいなのを調べたが、Googleはアップルに比べると邦楽も比較的充実、検索がしやすい、他方、リコメンドシステムはアップルに軍配が上がるという。Googleのトップ画面は野暮ったくてだいぶ損をしている、というのもあったが、確かにそれは同意できる。。

 

リコメンドシステムは、使っていくほど正確さが増していく-これまで聞いた曲を分析して、好みの音楽を提供しやすくなる-という。

だが、いまのところそれほどメリットがあるようには思えない。カーペンターズが好きで、よく聞くが、同じ傾向の別の人の曲があったとして、それを聞きたいかどうか、聞いて気にいるかどうかはまた別の問題だ。ナウアンドゼンを聞いて、スキータ・ディヴィスのThe End of The World や、別の人が歌うジョニー・エンジェルを聞きたいと思ったら、自分で調べたほうが速いと思う。。

もちろん、そうでない聞き方もあると思うし、リコメンドされて新しい世界が開けるということもあるのだろう。もしかしたら、アップルならもっと意外性のある選曲をするのかもしれないけど。。

トップページには、日曜日の午後にふさわしい音楽、みたいなチャンネルがある。とりあえず何も考えずに音楽を鳴らしたい、というときに使うのかもしれない。有線放送的な使いかたともいえる。ジャンルやアーチスト別の「ラジオ」というのもあり、例えばボブディランのラジオというと、関連しそうなほかの人の曲なども交えて選曲されたものが流れている。

ただ、いずれも最初ちょっと試しただけで、今は使っていない。

いまのところ、全く知らない曲を知るには信頼できるラジオ(たとえばピーターバラカン氏の番組とか)のほうが、関連する話とかも聞けるので、そのほうが便利だし好きだ。

ただし、自分で能動的に、こんな演奏も聞いてみたいとか、先のラジオなどで紹介された曲をもっと聞きたいとか思うとき、定額配信は本領を発揮するような気がする。

 

その配信ライブラリだが、公称は3,500万曲だそう。

試しにビートルズのアルバムを探してみたが、だいたいそろっているみたいです。ビートルズのレコードはあまり持っていないので、これは便利です。

というより、さいしょに「イエローサブマリン」のアルバム全体をライブラリに入れたとき(ダウンロードもできる)、これCD屋に行けば2千円以上するのに、こんなに無制限に聞けちゃっていいのだろうかという、妙な背徳感を感じてしまった。

ジョニ・ミッチェルなんかも、90年代の一部のアルバムしか聞いたことがなかったので、デビュー当時から最新曲まで検索してライブラリに入れてみた。全部店で買ったら、数万円になるだろう。

たぶん、熱心なファンの人はそれでも、CDなどの形で買うのだと思うけど、業界の人もこれは結構大変かもしれませんね。

 

洋楽はだいたいそろっている感じがするが、邦楽はまだまだだ。

もちろん時間と共に変わってきてると思うが、最初試した時、松任谷由実、サザンオールスターズは、ラインナップになかった。検索でヒットはするのだが、オルゴールバージョン、みたいのが出てくる(これは配信システムの時と同じパターン)。

天地真理と山口百恵もない(^^;・。しかし、由紀さおり、山本リンダなんてのはあったりする。山本リンダとか、けっこう面白いなと思ったりして。。原田知世も、意外とよかったですね。

新山詩織なんてのもだめでした。

鬼塚ちひろはここで初めて知りました。面白かったです。

クラシックも、一応あるというレベル以上にそろっているみたいです。一度アンナ・ネトレプコの「ボエーム」全曲を(途中まで)聞きましたし、バッハのヨハネ受難曲なんてのも聞けます。とはいえ、やはりクラシックはCDで聞きたいですね。mp3 320bpsですし。

 

Andoroidなので、最初は常識的にスマホで通信しながら聞いてみましたが、それをやると電池の減り方がすごい。もともとGalaxy s6は電池が持たないのですが、ちょっともったいなくなります。データ通信量も相当なものになるでしょう。

先に書いたように、ダウンロードできるので、wi-fi環境で本体にダウンロードし、それを聞いたほうが多少電池にはいいようです。

今はタブレット(wi-fi仕様)にダウンロードしておいてかばんに入れ、それをBluetoothでつないでイヤホンで聞くような使い方をしています。まあ、もとより普段は耳の保護のため、出先で音楽を聞く機会はそうはないのですが。ちなみにダウンロードしたデータは、ほかのアプリなどでは開けないようです。

100円のキャンペーン期間が終わると、月980円となるのですが、続けるかどうするか。。

 

 

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コバケンx 日フィル ベートーヴェン交響曲ツィクルス 第1回

2016年06月03日 | 音楽

今日はお昼から休暇をもらい、荻窪に行く。

杉並公会堂がリニューアルして10周年とのことで、今年の日フィル杉並公会堂シリーズはそれを記念して、ベートーヴェン・ツィクルスとなるそうだ。

その第一回が今日と、5日日曜日に公演される。

ふつうコンサートは夜や休日に聞きに行くので、平日の明るいうちに行くのはちょっとへんな感じですね。。

なんか急に樹木希林の「昼間っから?」というCMを思い出してしまった。。失礼。

プログラムは交響曲第1番、ピアノ協奏曲第5番、交響曲第5番と、かなりのハイカロリー。

ピアニストは小山美稚恵さんです。この方、考えてみると実演で聞くのは初めてだな。

CDを買うとサイン会に参加できます、と宣伝していたが、前日に別のCD買っているし、まいいかと思って見合わせた。

ただ、帰るとき、混雑したロビーを歩いていら目の前に美稚恵さんが現れて、思わず目礼してしまった。。

交響曲第1番は個人的には結構好きで、以前はCDとかではよく聞いていたのだけど、なんとなく聞きすぎてやや食傷気味になてしまっている。

たぶん演奏家にとってはけっこう難しい曲なのではないかと邪推する。。めったにコンサートにはかからないですよね。

冒頭のテンポがけっこうゆっくりしているので、あれあれと思ったが、そのうち気にならなくなった。

素人の戯言としてお許しいただきたいのだけど、この曲、どうしてもトスカニーニなどの快速テンポの演奏が耳に残っていて、それとちがうとあれ、と思ってしまうのだけど。あ、たしか朝比奈隆がかなりずっしりした演奏をしてましたね。。

「皇帝」はこうして聞くと、派手な曲ですねえ。これも素人うさぎの感想としては、緩徐楽章に入ってからが好きです。第1楽章はちょっとくどい、とか言ってみたりして。。

小山さんのアンコールは「エリーゼのために」でした。カロリーの高い曲の後なので、焼き肉の後のハッカ飴みたいにさわやかに感じました。

交響曲の第5番も、というか、ベートーヴェンの交響曲自体、さいきんはなかなかコンサートにかからないように思えますが、こうして聞くと実に面白い。CDとかだと聞き流してしまうのですが、低弦から始まりチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと呼応していく様子などは、実演で見てはじめてわかる面白さです。時間的にも手ごろでダレないし、無条件で楽しめる。

これまた素人の感想ですが、今回冒頭呈示部を反復しなかったような気がするんですけど。。聞いててあれ、と思ったけど、気のせいかな?

最後は例によってコバケンさんのスピーチが入りましたが、かなりエキサイトされたせいか、声を枯らしておられました。

次は三重協奏曲と交響曲第3番、以下、2番-7番、ヴァイオリン協奏曲・4番、と合計6公演予定されています。全部聞けるかどうかわかりませんが。。

肩はここしばらく落ち着いていて、以前よりはかなり楽な状態だ。2時間もつかな、と思ったが、大丈夫だった。

演奏者も大変だったと思うが、聞くほうもけっこう疲れた。。

 

さて、先日、CD屋に行きそびれた話をしたが、昨日帰りに新宿によってお目当てのブツを買ってきた。

予定ではチャーシューラーメンを食すとされていたが、前日にやさいタンメンを食べたので、さすがにその気にはなれなかった。。

フリッチャイのベートーヴェン。ちらちらと聞きましたが、「エロイカ」は颯爽とした名演。5番は’61年の録音ということで、白血病でテンポが遅くなってからのもの。あとでまたじっくり聞いてみたいと思います。

チェルニー=ステファンスカのマズルカ全集。チェルニー=ステファンスカは本場ポーランドの生まれで、マズルカはポーランド人でないとわからないとされている。。

大好きなのはフランソワの演奏だが、それとどう違うか、堪能してみたい。全集は2枚にわかれていて、お店にあったのは後半だけだったが、新譜では入手できないかもしれないと思い購入した。ただ、Amazonを見ると廉価版になって出ているらしいですけどね。。

 

 

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いくつかのCD

2016年05月22日 | 音楽

肩がつらくて同じ姿勢を続けているのがしんどい、というのは、生活にかなりの制約を及ぼす。2時間の映画を見続けたり、美術館で順番待ちの末混んだ会場巡りをしたりということがまず、しんどく思えて行く気になれない。

仕事は休み休みやっているので(だめかしら・・)まあなんとか。

意外と歩いている時に、肩は気にならない。とはいえ、歩き続ければそれなりに疲れるが。

それでなくても、疲れやすくて。。

昨夜は7時半過ぎから寝てしまい、断続的に12時間ぐらい寝ていた。

後半見た夢。雨の中、車に乗っていると、警察?に呼び止められた。

警官たちは何か僕に尋ねた(のだと思うが)後、僕を解放する。ただ、一緒に立っていた背広姿の若い人は、なんだかしらないがその場から移動したいらしい。

声を掛けて同乗させる。刑事かなにかか、と聞いたら、僕は元々警察ではなく、農水省から出向して来ているのです、という。。

外は夜で、雨が降っている。

男が何か話しかけるが、ちょっとまってくれ、といって外に出る。夜店を片付けた跡のようなところに、小鳥が捨てられている。

羽根がぬれている。かわいそうに思い、保護して家に連れ帰る。

家に帰ると当然、アルとココがいるので、彼らとは別のケージに入ってもらう。風呂場に行って、先ほどの2羽を新しいケージに入れるが、よく見るとケージの中には昼間保護した黄色いインコが先客としている。新しい子たちのうち1羽は、すこし大きいのでボタンインコなのかも知れない。。

それにしても、こんな大型のケージは家にはないはずだな、鳥たちを収納するには、アルとココを別のケージに移さないといけないはずなのに。。たぶんこれは夢だから、なんとなかるのかも知れない、などと、夢の中で考えている。

。。という夢でした。農水省の人は何だったのか、意味不明ですが、たぶん昼間読んだ「日本沈没第二部」の影響っぽいです。さいきんサミット警戒で、駅とかに警官が目立っていた、というのも影響してるようです。インコは・・もっとたくさんいればいいと深層心理で思ってるのかしら・・。ちょっとたいへんだよな。

 

などと書いていたら、タイトルと話がかけ離れてしまいました。

CDのことを書くのも久し振りですね。最近は定額配信のサービスにも入ったので、そちらで間に合うことも多いのですが、クラシック系はやはりディスクで買いたくなる。

先日ラ・フォル・ジュルネで聞いた曲が中心です。

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲集 フォーグラー四重奏団 (CPO ドイツ輸入盤)

弦楽四重奏曲第14番作品105、同第4番 B19、 第13番作品106、 「糸杉」より4,5,8,9,10番 

もとは歌曲集であり、後に作曲家が弦楽四重奏としてまとめた。先日聞いたのはそのどちらでもなく、弦楽合奏版だ。コンサートの解説でも「このような形で演奏されるのは大変珍しい」とあり、オケ版のCDはないだろうな、と思いながら、新宿タワーに向かった。

もう、このような大型店は都内で他にはないと思うが、新宿タワーでもドヴォルザークの品揃えは十分とは思えなかった。「糸杉」の弦楽四重奏版は今回買ったものと、日本のクァルテット エクセルシオのもの(それも2曲収録のみ)しかなかった。歌曲もなかった。

中古を探した方が見つけやすいだろうし、アマゾンでもいくつかヒットするから、全く探せないわけではない。アマゾンも今配送料がかかるし、新譜が売れなければ中古屋も細るわけで・。なんとか大型CD店には頑張って欲しいものだ。政府もこういう所に予算を使って、CDは軽減税率にするとか、やればいいのにね。

元に戻って、「糸杉」は若書きのさわやかな小品だ。まあ、あっという間に聞き終わってしまうけど、夜、疲れたときに聞くと、よく寝られそうな気がする。

スメタナの「わが祖国」クーベリックが祖国の民主化後、42年ぶりに指揮をした、という感動のストーリーは、90年代前半のレコード雑誌等で散々喧伝されていたな、という印象があります。そういえば3大テノールとか、グレゴリオ聖歌ブームとか、なんか色々あったのも、もう20年以上前の話なんですね。大げさではなく、本当に夢のようです。

手持ちのCDは今までドラティ/RCOのものしかなくて。この曲は聞き比べて楽しまれている方が多いですね。。

これは今回の購入ではなく、ずっと前に買ったまま開封していなかったものです。

今は亡きシノーポリがウィーンフィルを振ったシューマンの交響曲第2番。この演奏がとても耳に残っていて、CD屋で全集を買ったら違う演奏で(シュタ-ツカペレ・ドレスデン)、後に買い直したものです。前にも書いたかな、これをテープに録音したものを、元旦に軽井沢から帰る途中車の中で聞いたことを今でも覚えています。ふつう、クラシックはあまり車のテンポと合いにくいのですが、こいつは遅い午後の、車のいない関越にはぴったりだったな。。

なので、何となくシューマンには秋冬の季節感があって(「春」という曲があるのにね)、いい季節になったら聞こうと思っていたのですが。まあいつ聞いてもいいんですけど。

おまけ。20年以上前、ポニーキャニオンからもらった、CDの封切り。下のガイドの中に刃があって、CDの上縁に当てながらスライドさせると、ビニールの封が綺麗に切れます。2枚組以上の太いケースは無理ですが、普通のサイズのものなら、あの皮むき用のベロを探してつーっとやるよりずっと早くて簡単。今はCD持つ人も減ってきてるので、こういうグッズも出ていないかも。

 

 

 

 

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新日本紀行

2016年05月11日 | 音楽

先日亡くなられた冨田勲氏が手がけた、NHKの番組のテーマ曲の一つ。どこかでご本人が語っておられたが、これは汽車が汽笛と共に発車して、駅に着くまでの様子を音楽にしたもの、なのだそうだ。冒頭のホルンの雄叫びは発車の汽笛、流れるようなストリングスは車窓を流れる風景、やがて駅が近づき、速度を緩める汽車の雰囲気も、エンディングのあたりで表現されている。

番組自体はリアルタイムでも見ていたと思うが、度々再放送されたりしているので、そこでの印象の方が強いかも知れない。こんにちしばしば、古き良き時代というイメージで語られる、「昭和時代」というのは、だいたいこのあたりの時期(昭和38年から57年)をしめすことが多いようだ。

実際にこの番組を見たという、記憶があるわけではないが、この音楽を聴くと何となく、小さい頃一時期預けられていた祖父の家の、茶の間にあったテレビや床の間のある和室、縁側のあたりが心に浮かんでくる。窓は開いていて、祖父母は浴衣を着てくつろいでいる。たぶん夏だろう。実際に、そんなシーンでこの番組のテーマを聞いた経験をしたのかもしれないし、勝手に心の中で作り上げたのかも知れない。

冨田勲氏のご冥福をお祈りします。

 

休み明けなのに、なんだか疲れが抜けなくて、眠くてしかたない。ときどきこうなるが、今週は特に酷いなあ。。

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ラ・フォル・ジュルネ2016

2016年05月05日 | 音楽

今年も行きました。

毎年、フィナーレの公演を見て盛り上がるのですが、今年はややおとなしく、最終日ですが2公演聞きました。

公演は夜からでしたが、昼間は家の近くでいくつか所要を済ませ、更に蒲田で開かれていたBIRDSTORY FESTIVALに立ち寄りました。

いつも通販でペレットを買うお店が、案内を同封してくれていたので。もっとも、セミナーは聞けずじまい。オーチャードを買っただけ。

更に移動して、銀座で画の先生の個展を見に行き、有楽町ビックカメラでタブレットを修理に出して(3度目の故障。開いた口がふさがらないとはこのこと・・)と、あちこち回った末に国際フォーラムにたどり着きました。

今日は暑くて、個展を見たあたりでへばってきたので(最近多い気がする)、目の前にあったルノアールに飛び込みました。

ルノアールに入るのは一体何年ぶりだろうか。。

雰囲気は昔と同じだなあ。僕等が行ったのは別の場所だったけど。

銀座のコーヒーが600円なのは、30年ほど前も同じ。

フォーラム周辺はお祭り騒ぎ。

最初の公演はスメタナの連作交響詩《わが祖国》から「モルダウ」、「ボヘミアの森と草原から」、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番Op.35 (アンナ・マリア・スタシキュヴィチ、ロベルト・トレヴィーノ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア)。

その前にというか、楽員がステージに現れ、次は指揮者か、とおもっていたところ、突然客席前方から鳥のさえずりが!

これはジョニー・ラス&ジャン・ブコーのコンビによるパフォーマンスで、二人で鳥笛をふきながら掛け合いをしていました。ウグイスの声をまねていたけど、ウグイスは世界中でホーホケキョと鳴いているのでしょうか。。

日本だと、先日亡くなった江戸屋猫八さんみたいな感じの人達ですね。。

スメタナもシマノフスキも、後期ロマン派の重厚な感じの曲だ。シマノフスキを聞くのはたぶん初めてだと思うが、ちょっとモダンな感じで楽しめた。

スメタナを聴く限り、オケの弦はいまひとつ官能性に欠けるような気がする。

熱演で、15分ほど時間がおした。

休憩1時間を挟んで、次の公演なので、食事をしようと1階や、地下Eホールに降りてみたが、休憩は45分に短縮で、うろうろしているうちに時間が来てしまった。

ソーセージだけ買って食べたけど。

 

後半はドボルザークの糸杉(管弦楽版 抜粋)。

この季節にふさわしい若々しさと、さわやかさを感じさせる曲でした。弦楽器は先のオケより格段に上手。

最後はラウタヴァーラというひとの、「鳥と管弦楽のための協奏曲」

ラウタヴァーラは北欧フィンランドの人らしい。なんとなくシベリウスみたいな雰囲気がある。

肝心の「鳥」は、さえずりをテープに録音したもの、と説明されていた。

 

かなり荒っぽいですが、簡単なご紹介でした。

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