10月は秋晴れの青空よりも、いつも雨が降っている印象がある。それと、秋の日はつるべ落としで、日の暮れるのがとてもはやい。
なので、どっかに写真撮りに行く(たいていは鉄道写真)にはあまり向いていない印象がある。
雨はいろいろ厄介だし、時々体調にも影響するけど(昨日は出先から戻って思い切り昼寝してしまった)、穏やかな雨にはある種の情緒があって悪くない。北陸のような豪雨は願い下げですけど。。
こんな日は谷山浩子さんとか聞きながら運転していると、むかしの思春期の頃見た街にたどり着くような気がしてくる。自分でじかに見た風景もあれば、テレビで観た、10ばかり年上の若者たちが活躍していた街とか。
先月の日本経済新聞「私の履歴書」は演出家の鈴木忠志さんだった。
この分野は僕は全く詳しくないのだが、なかなか興味深く読んだ。
連載最後の日のタイトルは「ヘンであること」で、鈴木さんはこう書いている。
私は自分のことを小さい頃から少しヘンな人だと思ってきた。だから日常生活はできるだけ一般の人たちと違わないように心がけた。
その代わり、舞台作品を創る時は、できるだけ普通の生活とはかけ離れた想像にもとづいたものにしなければと思ってきた。
自分のなかで妥協できない部分は徹底的にそれを追求し、ふだんの生活では周りの人に違和感を持たれないように努める。
鈴木さんは舞台芸術という、大きな資本を要する芸術を追求しながら、お店のオーナー、山村の住民の方々や自治体の長、大会社の経営者の方々と交渉し、協力を仰いできた。芸術家だからといって1から10までヘンであっていいわけではない。もちろん色々な芸術の在り方はあるが、鈴木さんの場合、この心がけがあっての今なのだろう。
ヘンであることについて鈴木さんは最後に、芸術だけではなく企業経営も同じであるとして、ご縁のあったYKKの吉田忠裕 を紹介しながら〝分け登る麓(ふもと)の道は多けれど同じ高嶺(たかね)の月を見るかな〟という、一休宗純禅師の 和歌を紹介して締めくくっている。
・・自分を振り返ると、自分がヘンであることの認識は持っていたし、なるべくふつうにしようとも思っていたけど、けっきょく自分を厳しく追及することも、ごくふつうの人たることも徹底できず、中途半端な人生になってしまったのかしら・という反省はあるな。
鈴木さんのお話でもう一つ印象に残った事があるけど、また次の機会に。
*画像はAI(Image creater)