こういう話はもっと年配の方の方がよくご存じかと思いますが、昔は対ドルのレートは360円に固定(基本)されていました(こどもでも知識としては知っていました)。51年前のドルの金兌換停止から、為替の概念は短期間で非常に大きく変わりました。為替相場が日々変動するなんて、当時の人からしたら、家から駅までの距離が日によって1キロだったり、2キロに増えたりするような、奇妙な感覚だったのかもしれません。。
子供の頃、模型で張り子の山を、古新聞で作りました。新聞ですから記事が書いてあるのですが、そこに円高が進んで1ドル270円台を割り込んだ、みたいなことが書いてあったのを覚えています。1ドルが200円台半ばというのは、おおきくなって世の中の様子がわかるようになってからも変わりませんでした。
でも輸入盤のレコードなんか、国内プレスのよりしっかり安かったですね。
プラザ合意のときはまだ社会に出ていませんでしたが、その後為替を扱う仕事に就いた頃も、結構短期間で20円ぐらいドル円レートが動いたりしていました。
最初に仕事を教えてくれた人は、東銀(今のMUFG。外為を専門的に扱うやや特殊な銀行だった)出身の方でしたが、数字を例示して説明をするとき、ドル円レートを当時の相場より100円高く(260円)書いて、しばらく気が付かずにいたのを覚えています。
だいたい90年代の前半ぐらいになると、ドル円は100円~130円ぐらいで安定してきたような記憶があります。たしか94年に100円になって(想定レートを100円にして、その通りになった)95年の阪神淡路大震災後に一時期89円でしたっけ・。大地震=円高なんですよね。。
因果関係はありませんが、その頃ドル円レートとガソリン1Lの小売価格はだいたい同じだな、と思ってたことがあります。120円ぐらいかな。先物相場の話じゃないから、相関なんかありません。ただ似てるだけ。あの頃WTIが20ドルとかでガソリン小売りは120円ですからね。。今原油は100ドルぐらい、ガソリンは日本では補助入れているから160円ぐらいですか。
たしかこの春に欧州では300円/Lぐらい、と言ってた。この国はなんでもゆるいんですよね。。海外はインフレ過酷。
80年代、急に円高になったとき、企業のしかるべき立場の人たちは、それは苦しかったと思います。
その頃観たドラマで、下請け工場社長の鶴田浩二が「みんなこの先大変だ、って言ってるけど、今まで大変じゃない時なんか、なかったじゃねえか」と、昔の戦友で今は車メーカーの社長と語り合う、なんてのを覚えてます。そうやって、一緒にアメリカに進出するという筋書きだったかな。。
前にも書きましたけど、インフレも為替の急な変動も、昔の人は経験して苦労しているのです。平成30年間でだいぶ平らになってたので、今社会で現役の人たちはそれを知らないのですよね。もちろん若い人たちも。
だから、もしかしたらこの先、つらく思うこともあるかもしれないけど、長い目で見れば、苦労経験したのは自分たちだけじゃないのです。。
・・、なんか鶴田浩二さんの話書いたら、急にドラマ見たくなっちゃったな。
特攻隊崩れで、黙々と旋盤に向かって働くわけです。
今はいないねえ・そういう男。