桃、栗3年・
日本で鉄道が開業してから150年。
昔からの鉄ヲタである自分に言わせると、さいきんは新幹線と通勤電車ばかりになっててちょっと残念ですが、日本の鉄道はとてもげんきです。
ずっと終わらなくて、頭を悩ませていた案件が2件、昨日終わって、なんか知恵の輪がするっと抜けたような気分になりました。細かい仕事は今日もいくつかあったのですが、気分がぜんぜんちがう。。
ここのところ金曜日になると、週持ち越したらますます遅れるという恐怖感から、やれるだけやっちゃおうと遅くまで働くことが多かったのですが、今日は5時過ぎにあがりに。
これまた懸案だった、新しいプリンタの予約(20日発売の新製品が出るので、配送と手持ちの古いやつの引き取りを頼んだ)を済ませました。
そいで、せっかく鉄道の日だから、鉄道発祥の地を訪ねてみようと。
つっても、もう遅いですから、イベントも終わってるし、鉄道遺構見に行くのもあれです。
おじさんひろばをちょっとうろうろしただけ。
なにか鉄道フェスタのようなことをやっていたらしいが、この時間はもちろん終わっています。
新橋も、ものすごく久しぶりです。
セレクトインキムラヤはどうしたのかな、と思ったらもうないんですね。
新橋も秋葉ラジオ会館みたいのが、むかしあったんですけどね。。
日中はなにか式典が開かれたらしく、例の鉄ヲタの駐日大使もいらしたみたいです。
バイデンも面白い人を寄こしましたね。。本人も喜んでるんでしょうね。いろんな電車乗れて。。
SL、たぶんこの機会に塗りなおしてきれいにしたみたいですね。ぴかぴか。
くろすへっど。
アプリとかタッチパネルより、こういうメカの方が好き。
IORIさん(IORI工房)によると、当時もし鉄道以外で同じ区間(新橋-横浜)を行こうとすると、馬や籠で時間は5倍、料金は2倍かかったと。
ただ、一般需要としてみると、当時の横浜はまだ新興の街だから、どうだったのですかね。外国人が船で来た時の、今でいうと空港アクセス特急みたいな意味合いがつよかったのかな。。
記念グッズはどうもピンとこないものが多くて、迷ってますが、先日古本でこれを買いました。重版もしているとおもうけど、これはちょうど鉄道100年の頃の版です。
日本の鉄道は官鉄=イギリス式、北海道=アメリカ風、九州=ドイツ式などと言われてますが、どちらかというとイギリス風味で発達してきた感じがあります。機関車や客車だけではなく、かさの高いプラットホーム(欧州大陸、アメリカは歩道並みに低い)や、信号機、駅舎などのつくりも英国式です。
なので、昔はイギリスの鉄道模型アクセサリー(信号や駅施設など)を日本風に直して使える、などと言われていました。
機関車も国産になって、次第に日本独自の風味が加わり洗練されていきますが、国ごとの流儀が確立されていったのは戦前1930年代ぐらいでしょうか。
今でも中国や台湾の新幹線を見ると、これ日本のね、と僕らにはわかりますが、鉄道車両メーカーも国際化してるし、国ごとの流儀というのもあまり言われなくなってきていますね。。
話がそれましたが、明治期の機関車たちを見ると、とても美しいです。不思議と、昔の人がこれ見て「うわあハイテク!」と思っただろうなあ、というのが伝わってくる。
素朴で田舎じみた存在ではなかったはずです。
このあと国電じゃなかった、JRで帰ろうかと思ったけど、なんだかむしむしするし、急にこの界隈が懐かしく思えて、ずっと歩いてみることにした。
日比谷シティに木が生えてるけど、これこのままなんですかね。。スケートやフットサルや、薪能はもうできないのかな。。
ここいらへんは社会人になってはじめて通ったところだから、懐かしさも格別です。
もう頭の中で、なつかし風船がばんばん飛んで炸裂しています。
ビルのフロアガイド見たけど、自分のオフィスのあった階は今空いているらしい。
長銀のビルはとっくにありませんし(建て替え)、中日新聞ビル、飯野ビルも変わってますが、ふしぎと街の感じは変わりませんね。。写真奥に見える旧第一勧銀本店は、閉店になってずいぶん経ちますがまだ解体していない。
隣のNTTのビルが今解体中みたいです。
・・今ウィキ見たら、そのとなりの大和生命ビルも解体なんですね。。帝国も再開発だというし。
うわあ、かわるなあ。