うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

山を串ざす

2007年10月08日 | ことばを巡る色色
今日は岐阜駅前の岐阜シティ・タワー43の開業日だったようで、全国ニュースでもセレモニーに出る注目の「聖子ちゃん」と「ゆかりたん」が報道されていた。ココはJRの岐阜駅至近の高層ビルで、上層にあるマンションに住まいを持てば、名古屋にも自宅ドアから30分以内で到着する。名古屋地下鉄沿線に住んでいても、30分で名古屋駅につく家を持つことは容易ではなかろう。乗継がうまければ、7:30に家を出て東京10時の会議にも間に合う。それ故に多くの名古屋系大企業の方々が入居されるそうである。JR岐阜駅には繊維の問屋町があり、それは私の子どものころは「ハルビン横町」と呼ばれていた。大学の頃にはそこの業者向け福引の受付のバイトをしたことがあった。韓国から来た繊維買い付けのオモニたちが炊飯器やらジューサーやらをうれしそうに持って帰っていた。それは遠い昔のことだ。岐阜の繊維は構造改革やら格差社会やらの波をもろに受け、ほとんどシャッターが閉まっている。当然の時代の流れかもしれないけれど、「人生いろいろ」と豪語するあの(ひとたらし)のお方の推し進めてきた地方軽視、弱肉強食の施策が一因を担っていることを忘れてはならないと思う。今も、「やっぱし、わかりやすい言葉で、どんどんやってく人は良い」という人もいるけれど、その結果、地方がどのようになっているのか、労働年齢層がどれだけ世の中に倦怠しているのかを、忘れてはいけないと思う。
私の家は、東は遠く地平線が見えるような田舎にある。そうして西には伊吹、養老の山々に大きな夕陽が落ちていくところだった。ほんの数ヶ月前までは。岐阜シティ・タワー43はうちから見える山々を真っ二つに串ざす形で建築された。これで、この町のシャッターが開けばそれはそれでめでたいことだ。たとえその住人が巨大なカイゼンの企業の人々であろうと、この、少し湿った、土の匂いの風の纏わる町をホームタウンと思ってくれれば、それに越したことはない。しかし、県庁所在地の駅前がベッドタウンになるということが、どうしてそんなに明るくめでたいことなのか私にはわからない。

携帯関係続報。
PCにあった音楽データを携帯に保存。まだネットで注文したマイクロSDは届いてないけど、本体に入れたデータはなかなかいい音でヤマハのチップを通して聞こえています。今回の保存はmp3形式でたまたま保存していた物をiTunesを通して取り込んだのだけれど、うちのPC内音楽データのほとんどがrealaudioで保存してありiTunesに吐き出せない。格闘、しています。簡単でラクチンな方法をご存知の方はどうぞお教えください。お願いします。
コメント (15)
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