【870】 東フランク成立(カロリング家断絶)By フランク王国分裂
【919】 ザクセン朝:カロリング家より
第二代オットー1世:マジャール人、スラブ人排斥
【962】 オットー戴冠 BYローマ教皇ヨハネス2世:神聖ローマ帝国成立 --- ナポレオン戴冠@1806迄続く
【11C】 ザリアー朝 ハインリッヒ4世1050-1106---カノッサの屈辱---皇帝の権威は次第に低下
【12C】 シュタウフェン朝 フリードリッヒ1世1122-1190の時代を経て、王権が不安定であった空位時代を迎える。
フリードリッヒ1世:赤ひげバルバロッサ 第3回十字軍遠征で川に溺れて死ぬ:諸説有
┗ハインリッヒ6世1165-1197
┗フリードリッヒ2世:ローマ教皇が後見 シチリアで育つ 第5回十字軍では一人で話し合い勝利
┗コンラート4世1228-1254
【1250-1273年頃迄】 空位時代 コンラート4世---跡継ぎなく死亡 ドイツ王を世襲する有力な家門はなく、選帝侯などの有力諸侯が帝国の直轄領を蚕食し、帝国の権利の多くを奪った。というのも皇帝がローマ・伊へも侵略しドイツに変えることなく伊に居続けたからである。
【1273】 諸侯の中から選ばれた ルドルフ1世1218-1291(ハプスブルク家)が傀儡国王となりオーストリアの地を獲得。
┗アルブレヒト1世
┗アルブレヒト2世1298-1358
【14世紀】城塞都市ネルトリンゲン : 城壁@1327建設、旧市街@1215建設がすべて残っている
城壁内に2万人
聖ゲオルク教会@15世紀 H90m
交易ルートの交差点
帝国自由都市 :領主や貴族からの支配を受けない自治権を持つ
しかし皇帝が守ってくれるわけではない---自ら城壁建設--2.5km
かつては80都市
今では城壁祭
五か所の入場門には帝国自由都市の紋章
マルチン・ルターやクラーナハも帝国自由都市にいた
豚は幸運の女神
【1356】 金印勅書 : 皇帝は選帝侯(7人)によって選ばれる側に落ちぶれた。
諸侯の言いなりの王が選ばれる
By ルクセンブルグ家のカール4世1316-1378 プラハのカレル橋建造@14C
【ハプスブルク家】
アルブレヒト2世 1298-1358
┣ルドルフ4世 1339-1365
┣カタリーナ 1342-1381
┣フリードリヒ3世 1347-1362
┣アルブレヒト3世 1349-1395
┃ ┗アルブレヒト4世 1377-1404
【1438】 ┃ ┗アルブレヒト5世1397-1439 : 神聖ローマ皇帝としてはアルブレヒト2世
┃
┗レオポルト3世 1351-1386
┗エルンスト1377-1424オーストリア公
【1440】 ┗フリードリッヒ3世1415-1493は帝位を独占してハプスブルク家の繁栄に寄与。各国との政略結婚勢力拡大
┗マクシミリアン1世1459-1519
┗フィリップ美公1478-1506
【1492】 ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝に君臨---皇帝の権力安定
【1508】 マクシミリアン1世1459-1519の時にスペイン王女、ブルゴーニュ公王女と結婚し、スペイン、オランダ、ベルギーの資源を独占することでさらなる繁栄をもたらした。
【1519】 カール5世の時にイタリア戦争、宗教改革がある。かくしてハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれる。
【1546】 カトリック派 VS ルター派 --- アウクスブルクの和議@1555 領邦君主の宗派を認める
領邦の代表格がオーストリアとプロイセン
プロイセン---ドイツ騎士団領がルーツ:プロイセン公国建国 ホーエンツォレルン家が引き継ぐ
【スペイン系ハプスブルク家】---By カール5世
【1556】 フェリペ2世のときに正解の多くに入植して銀など膨大な収益を上げてさらなる入植化のたけの軍事費にあてた。
【1571】 レパントの戦い
【オランダの歴史】
【1581】 ネーデルランドの独立宣言(フェリペ2世によるカルバン派への重税 カトリック強制)
【1585】 スペイン軍率いるパルマ公1545-1592(アレッサンドロ・ファルネーゼ)がアントワープ陥落
フェリペ2世にしてみればネーデルランドは収入源だったが。。。
ドイツ帝国・マクシミリアン1世1459-1519はブルゴーニュ公系マリーと結婚
┣フィリップ美公1478-1506
マリー1457-1482 ┣カルロス1世
仏ブルゴーニュ公 ┃ ┗フェリペ2世 --- スペイン&ネーデルランド:甘い蜜を継承
(ネーデルランド所有) ┣フェルディナンド1世--- 独皇帝 :いざこざのドイツを継承
毛織物&国際金融 ┃
ファナ1479-1555
マリーが所有するネーデルランドがドイツ皇帝マクシミリアン1世所有のものとなる
やがてマクシミリアン1世を継いだカルロス1世(カール5世)は、息子のフェリペ2世にネーデルランドを与える
(ネーデルランド:今のオランダ、ベルギーの毛織物、海運など資源豊かな地 カルヴァン派)
(北側7州はカルバン派の地:ユトレヒト同盟)--- 重税、改宗強制→独立宣言@1581:ネーデルランド連邦共和国
リーダーはアムステルダム/ホラント州のホラニエ家・ウイレム氏)
英:オレンジ公ウイリアム1533-1584
(南側10州はカトリック:アラス同盟 --- 降伏--スペイン領--オーストリア--蘭--ベルギー王国@1815
フェリペ2世(強カトリック)はカルバン派に重税 カトリック強制 → 独立運動
【1588】 アルマダの海戦で英に敗れてネーデルランド(プロテスタントが多い)が独立
英海賊・フランシス・ドレイク1543-1596---世界一周航海達成
【1648】 蘭独立国際承認@ウエストファーレン条約
【オランダの覇権】
┣ニューアムステルダム---英圧力により放棄:ニューヨーク
┣ガイアナ---英圧力により放棄
┣スリナム---今は独立 オランダ語圏
┣南アフリカ
┣スリランカ
┣インドネシア:オランダ領東インド
┣台湾
┣長崎:出島
【1618】 30年戦争で敗北
三大宗教戦争
┣ユグノー戦争
┣オランダ独立戦争
┗ドイツ30年戦争 : プロテスタント〇 VS ✖カトリック
┣デンマーク ┗ハプスブルグ家
┣スウエーデン
┗フランス
17世紀の混乱--30年戦争
┣急速寒冷化--不況
┣疫病ペスト--反乱
┣銀流入 --価格革命、困窮
┣世界的危機--経済成長停止
┣ベーメン王国のフェルディナンド2世1578-1637がプロテスタント領域でカトリックを強要
┣プラハ窓外放出事件@1618---ボヘミア王国の反乱
┗30年戦争1618-1648@全ヨーロッパ --1000万死亡
┣第一段階:ベーメン-プハルツ戦争@1618
┃ プラハ大学教授が異端として火刑@1419
┃ プラハ窓外放出事件 @1618
┃ ファルツ選帝侯フリードリッヒ5世を王に擁立
┃ オーストリア◎ VS ✖ベーメン王国
┃ フェルディナント(ハプスブルグ家)
┃ 白山の戦い@1620で終結
┃
┣第二段階:デンマーク参戦
┃ カトリック プロテスタント
┃ 神聖ローマ帝国ワレンシュタイン VS デンマーク・クリスチャン4世 @1629和平条約
┃
┃
┣第三段階:スウエーデン参戦 --- リュッツェンの戦い@1632
┃ カトリック プロテスタント
┃ 神聖ローマ帝国✖ VS ◎スウエーデン・グスタフ・アドルフ2世@1630
┃ 勝利するが戦死
┃ ワレンシュタイン暗殺@1634(神聖ローマ帝国内紛--強い奴は消す)
┃
┣第四段階:神聖ローマ帝国内紛を見て仏ルイ13世参戦---ハプスブルグ家の弱体化狙い
┃ 仏(プロテスタント支援) VS ハプスブルグ家 @1640年代和平交渉
┃
┃
┣ウエストファリア条約@1648
┃ ┣スウエーデン:北独ポンメルン(ポメラニアン原産地)奪取
┃ ┃ バルト海支配
┃ ┣フランス :西独アルザス-ロレーヌ地方奪取 現在は仏領
┃ ┃ 鉄鋼資源
┃ ┣スイス :独立承認
┃ ┣オランダ :独立承認
┃ ┣カルバン派 :公認
┃ ┗各諸侯 :独立主権取得---領邦国家化 神聖ローマ帝国実質壊滅
┃
┣神聖ローマ帝国弱体---オーストリアは自国強化
┣ブランデンブルク辺境伯---プロイセン誕生
┗フランスは絶対王権時代 BYルイ14世1638-1715
【1688】 仏がアルザスロレーヌ地方に侵攻
仏✖ VS ◎ハプスブルグ家同盟軍(スペイン、英)
【1700】 カルロス2世の時に断絶となることでスペイン継承戦争が勃発、フェリペ5世のもとでブルボン王朝ができる。
【1740】 プロイセン成立しオーストリア継承戦争
シュレジェン争奪戦---1745講和
仏との講和 Byマリア・テレジア---娘のマリーアントワネットを仏に嫁がせる;外交革命
【1756】 7年戦争---オーストリア(+仏+露)✖ VS ◎プロイセン
ペチコート作戦
シュレジェン奪還を狙うが露が戦線離脱、仏は英との戦争に傾注
【1789】 フランス革命
【1860】 北独連邦成立後に普仏戦争勃発ナポレオン3世を破りドイツ帝国成立する。ビルヘルム1世時代にビスマルク政治が安定する。
【オーストリア系ハプスブルク家】 フェルディナンド2世がオーストリア系の発祥で30年戦争のきっかけとなる。最盛期にはマリア・テレジアの治世でプロイセンと抗争しシュレジェンを取られ、7年戦争では仏を手を組んでプロイセンを牽制するとともにシュレジェン奪回をはかった。ヨーゼフ2世の治世、ヨーゼフ1世の治世が抑え処である。
【ロマンチック街道】 南ドイツのベルツブルグからノイシュヴァンシュタイン城を経由してフュッセンまでの約500kmをロマンチック街道という。1950年代にWW2からの復興を目指して街をつないでできた街道である。そのほぼ中央に位置する都市アウクスブルグに、クリスマスにはサンタクロースではなく、天使(クリストキント)がやってくるという。NHK-BSプレミアム放送の内容を抜粋してみた。舞い降りるのはどこだろう。湖畔にたつノイシュヴァンシュタイン城はいつも霧に囲まれて幻想的。中世の面影を残す交易路であるロマンチック街道の最南端はここ。古い街並みや美しい城が点在しているという。アウクスブルグはかつて最も栄えた町で、ルネッサンス期には多くの芸術家が活躍した。モーツアルトゆかりのこの街にあるアウクスブルグ大聖堂は中世14世紀の典型的なゴシック建築、敬虔なカトリックのゴシック様式は、9世紀から11世紀にかけてのロマネスク様式と併存している。
【ベルツブルグ】 ロマンチック街道なかでも第二の大都市。マイン川沿いには13世紀に築かれたマリエンベルク要塞はカトリック司教の住居。この地域の領主であり宗教、政治をつかさどる。中世からワインを作りマイン川による交易で発展した。中心には聖キリアン大聖堂、ノイミュンスター教会、マリア礼拝堂(市民が建てた教会)がある。16世紀に起こったドイツ農民戦争では、司教は市民に鎮圧を命令したが、農民側に付いた市民は司教を追い出したという。市民の中心になったのが市長を務めたこともあった彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダー1460-1531。ところが1525年司教の圧倒的な軍の前に市民は屈服、リーメンシュナイダーは逮捕されて数年後に亡くなったという。
【ヴァイカースハイム&ローテンブルク】 ベルツブルグから南へ約120km、ヴァイカースハイム城、クレクリンゲン・ヘルゴット教会でリーメンシュナイダーによる彫刻・聖母マリアの昇天が19世紀に見つかった。宗教戦争の時代に祭壇は隠されて、次第に忘れられること300年。近くには城壁で囲まれたローテンブルクの街がある。宗教戦争、農民戦争、領主戦争が絶えず、どの家も屋根裏は備蓄倉庫。カトリックとプロテスタントによる宗教戦争・30年戦争では、プロテスタント側に就いた。そのシンボルとなったのがゴシック様式の聖ヤコブ教会、完成したのは15世紀。ここの祭壇を作ったのもリーメンシュナイダーである。が、やがてカトリックに降伏したという。街を厄払い市の幹部は処刑と宣言するが、ワインを一気に飲み干せば許そうという。時の市長はワインを飲み干したことから街の破壊は免れたとか。しかし街はその後発展はなく取り残された。しかし中世の街並みは今もそのまま残っている。
【アウクスブルグ】 はハンス・ホルバイン1497-1543という画家の一族が暮らしていた街でもある。ドイツの大画家ハンス・ホルバインに因んだ日本の絵具メーカが存在する(ホルベインの固形水彩セット)くらいである。ハンス・ホルバインは後にイギリスの宮廷画家としてヘンリー8世(6人の妻を持ち、イギリス国教会を作る)に仕えたことでも知られる。ユートピアで知られるトーマス・モアの紹介で宮廷画家となったが、トーマス・モアはイギリス国教会の設立に異を唱えたからヘンリー8世に睨まれて処刑されている。従ってハンス・ホルバインはびくびくしていたに違いない。
作品で有名なのが、「大使たち」。描かれているのはフランスの外交官、手前に歪んで見えるのは骸骨。騙し絵(アナモルフォーシス)である。メメント・モリ(死を忘れるな Memento:記憶 Mori:死)、カルペ・ディエム(今を精一杯生きろ) また当時大ヒットした「死の舞踏」(ペスト流行時代から有る画題:死は平等--ある種の救い)木版画は色々な職業(司教、医者、裁判官、商人、農民)の人が髑髏に連れていかれるもの。
Memento----Memory Memoの語源:ラテン語
西洋画の伝統的な画題
枯れる花と髑髏 消えるロウソクと髑髏 時間を示す時計と髑髏 若者肖像画と髑髏
CarpeDiem----今を精一杯生きろ
また、木版画シリーズ「死の舞踏」が大ヒット、色々な職業の人を髑髏が連れていく。つまり誰もが死ぬ、死は平等であるという意味があった。(階級社会では身分の低い者にとっては救いでもある)
「大使たち」 ハンス・ホルバイン2世
アナモルフォシス:だまし絵
ドイツでは クリスマス迄の一か月はアドベント待降節と呼ばれる期間、クリスマスに待ち焦がれるのはサンタではなく天使であり、街のいたるところに天使が施されている。天使は神の使い、守護天使は生涯人々を見守るという。最終日の23日はクリストキント(キリストが天使の格好をする)とともに天使は舞い降りる。街の中心にある広場を望むアウクスブルグ市庁舎(ドイツ・ルネッサンス建築の最高峰)に、その天使は舞い降りる。エンゲルシュピールと呼ばれ、その広場には100もの店舗がたち並び、ドイツ各地から人が訪れる。WW2では、ナチスの本拠地であったアウクスブルグは空襲を受けて壊滅。市民は失意にあったが、1977年にエンゲルシュピールを再開。再開した市の職員のフリツ・クライバー氏だという。