不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

自分は持病も含めて自分であると思えるわけ

2023-06-09 05:21:25 | 人間学


長年、自分を苦しめた心房細動。
別れを決めた頃から病状はどんどんひどくなり、
別れの日が近づけば近づくほど苦しみはひどくなっていった。
そして、この腐れ縁の病を取り除く前日のことである。
かつてないほど心臓は暴れ、薬は全く効かず、一晩中眠れなかった。
こいつ(不整脈・心房細動)は俺と別れたくない。
そう主張しているように思えた。

昨年秋、二十年ぶりくらいに尻が破壊された。
最初の2週間は人でいられなかった。
(本当に痛いと人はその場から動けない)。
普通に日常生活を送れるようになるまで1か月以上かかったが、
最終的には手術は必要ないかなと思えるくらいまで回復した。
ゴールデンウィークが始まると同時に再び尻が破壊され、
もうこの痛みには耐えられないと手術を決意した。
決別を決めたら尻は自己主張を辞めなくなった。
軟便剤で尻は裂けないようにしているにもかかわらず、
ある一定以上は良くならず、四六時中尻に振り回されている。

家族は全員近視で、皆アレルギー持ちだが自分はそっち方面とは無縁。
胃腸系はすこぶる強く、腹痛・歯痛・頭痛の類は前回いつ痛がったか記憶にない。

全くケアしていなくても全く病気にならないところ。
他人が見たらバカじゃないかと思うほど気遣い、大事にしても、
自分を苦しめ続ける場所(持病)。

一言で言えば、持病とは遺伝と己の選択の結果生まれ、
自分は持病も含めた己で形作られる。

自分を苦しめる持病たちが、別れを前にすると偉く往生際が悪くなり、
かつてないほど自己の存在を主張するさまを見るとそう思わずにはいられない。

よく考えて欲しい。
長年自分を苦しめた持病のない人生を。
人が変わったと言えるほど価値観も人生そのものも変わる様が想像できるハズだ。

それこそが、持病も含めて自分だったということ。

来週水曜日、ひとつの自分である尻の持病とおさらばする。
人生で2回目の自分という存在が大きく変わる日。

夏以降の自分がどういう自分になるのか?
実に楽しみである。



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