■漫画家:井上雄彦
井上雄彦という漫画家は本当にすごい。
スラムダンクだけでも燦然と漫画界に伝説を作ってるけど、このバガボンドはスラムダンクの延長にありながら(と自分は思っている)、かなりすごいところまで表現している。その深さや密度を、漫画での絵という非言語と、台詞という言語のせめぎあいの合間に、ヒシヒシと感じている。
ストーリー自体は吉川英治の『宮本武蔵』を原作にした、剣豪宮本武蔵の話。この話をベースにしながら、漫画では井上雄彦流に色々アレンジしている。
自分としては、武蔵の内面の変化を興味深く読んでいる。
井上雄彦も、そんな武蔵の内面や精神面での変化を一番描きたかったんではないかと思ったりしている。
■vagabond 放浪者・漂泊者
題名の「バガボンド(vagabond)」は、英語で『放浪者・漂泊者・方向の定まらないもの』を意味している。そんなあやふやなタイトル自体がかっこいい!と思った。
なぜなら、この言葉は自分の精神状況を反映しながら意味を持つ言葉であると感じたから。
「バガボンド(vagabond)」は、肯定的に言えば徒然で自由自在で行雲流水な状態だし、否定的に言えば優柔不断でフラフラした軸がブレブレな状態。
受ける意味は、自分の精神状態と呼応して、鏡のように自分に迫る言葉だと思った。
自分の精神の根底で、人生や生命や他者や世界を肯定しているかどうかで、陽の意味にも、陰の意味にも反転する類のもの。
人間のその時々の心理状況に依存して、自分にとっての言葉の意味が変化するのかもしれないけれど、人生を深く濃く生きていくプロセスで、自分の奥深く流れる地下水脈のような「肯定感」を実感できるかにかかっているかもしれない。
■「強さ」とは
宮本武蔵は「天下無双になりたい」という一心から、殺しの螺旋の世界へ入っていく。
自分が強くなることは人より強いことであり、それは襲ってくる相手を殺し続け、殺す相手が誰もいなくなった状態が天下無双であると思っている。
自分が死ぬまで殺し続けるという営みが続く限り、自分が強いかもしれない。それは、言葉の浅い意味では成立しているかもしれない。
ただ、武蔵は殺しても殺しても満たされない自分自身と出会う。
沢庵和尚のようなお坊さんを始め、上泉伊勢守秀綱、柳生石舟斎、胤栄のような剣術の達人たち、そんな「他者との出会い」を通して、武蔵は色んなことを感じるようになる。そして、自分の内面深く対話を繰り返すようになる。自分の闇をみつめる。
バガボンドという漫画を通して、そんな言葉の表層にとらわれている武蔵と共に、その言葉は部分に過ぎないと気づき、その深みに行くことで物事の全体そのものへ近づいていくプロセスを共有していく。
■登場人物全てに愛着が湧く
どの登場人物にも感情移入できてしまうんだけど、個人的に好きなキャラクターは
○佐々木小次郎(言葉なきものだからこそ到達しうる世界として、吉川英治原作と違い聾唖者として表現される。武蔵はよき友としての小次郎と出会いながら、剣の技だけではなく内面を深め合う)
○沢庵宗彭(武蔵に精神面を教える)
○吉岡清十郎(吉岡一門の党首で、武蔵との最後が壮絶。自由自在の剣はかっこよかったー)
○吉岡十剣の植田 良平(武蔵が殺しの螺旋から降りるきっかけを与える。武蔵の精神世界でよく登場するようになる。強かったなー。)
○上泉伊勢守秀綱(かみいずみ いせのかみ ひでつな→「わが剣は天地とひとつ」、「無刀の境地」、「剣とは心が伴ってこそ最高の境地に至れる」という、剣術の向こう側にある領域を始めて言葉にする、伝説的な剣の達人)
○宝蔵院 胤舜(武蔵の永遠のよきライバル。剣を通してお互いを深め合う。) ・・・・・・・・・
書き出すと、漫画を読んだ人にしか共感できないし、キリがないのでやめよう。(笑)
個人的には、琳派の創始者である本阿弥光悦が出てきたのもうれしかった!徳川家康に指名で刀の研ぎを依頼されても断ったり、それでいて武蔵や小次郎の剣は自分から研いだり。
本阿弥光悦のような美の世界に生きるものが目指す「向こう側」の領域と、剣術が目指す「向こう側」の領域がほとんど同じものであることを示唆しているように思えた。
名作っていうのは、どの登場人物にも感情移入できる。
名作っていうのは、浅い層だけにとどまらず、物事の深い層へ分け入っていく力がある。
熊本市現代美術館で、『井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]』っていうのがやっていて、それを見てきた。
そこには、ほとんどバガボンドの最終回と言っても通じるような世界観が表現されていた。
ほんとうに素晴らしかった!
見終わったあと、しばらく放心状態で茫然自失とした。
漫画でもあり、絵でもあり、水墨画でもあり、言語表現でもあり、精神世界でもあり、色んな要素を深い濃密な密度で併せ持つ、井上雄彦の世界観がそこにはあって、漫画とか現代美術の未来のひとつの形が、そこにあると思った。
■海、深海へ
その『井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]』で、印象的な言葉をよく覚えている。
『ことばは海に似ている。底に何があるかは
深く潜ってみなければ わからない
眺めたいだけのものには
ただ綺麗で 退屈なだけのもの』
これは自分の心境に凄く近いと思った。
言葉だけでなく、色んなものを海にたとえることができると思った。
人生は、人と比べて高い場所に立ち、人を見下ろすような心境になっていくものではない。
寧ろ、人が見えない方へ、深海へ、深海へと素潜りしていくプロセスに近い。
素潜りのプロセスは、他の誰もが代わってあげることはできなくて、一人で孤独に暗闇と向き合うプロセスでもある。暗闇を見ることでしか、光は分からない。
■光と闇
自分は、光とはそういう相対的なものだと思う。
部屋の中で、昼間に蛍光灯をつけていても、それが光り輝いていると分からない。
ただ、真夜中になり、周りが暗闇に包まれると、そこで光っているのが認識できる。そういうものだと思う。
暗いから明るいと分かるし、暗いから光は分かる。
全てが光って明るいときは、光は認識できない。
表面から海を見ていると、「わーきれーい」というだけで終わる。
年齢によっては、それで十分なときもある。
■深海のススメ
ただ、深海のような自分と向き合うプロセスは、老いと共にいづれ必要になるのではないか。
老いる前に死んでしまえばそこと向き合う必要はないかもしれないが、それはただの偶然だと思う。
自分という深海を素潜りしていくことで、このあらゆる世界の地層の深さが分かる。
東京をぶらり歩いていると、神社、お寺、町、地名・・・色々なものを眼にするけれど、その一瞬に含まれている、濃密な地層の深さが分かるようになる。
色んな物事と、深い地層で、容易には到達できない深海の領域で、自分の内面と呼応させながら世界に向き合うこと。
武蔵は、『強さ』という言葉の表面だけに捉われ、人を殺しながら自分が生きるという、大いなる矛盾に直面した。
武蔵は、他者と出会うことで徐々に理解していく。
『強さ』という言葉に潜む、深い地層や深海の領域に行くことで、武蔵は部分ではなく全体を理解することになっていく。
そういう一足飛びではない地道なプロセスを、そういう孤独で逃げ出したくなるようなプロセスを、僕らは井上雄彦の『バガボンド』という漫画で共有しているんだと思う。
(特に、29巻は、武蔵が武蔵1人VS吉岡一門70人の死闘をした後なので、哲学的な内容が多くて好きだなー)
表面的な美しさやかっこよさがもてはやされ、特定の職業・グループの特殊専門用語や隠語であるjargonが跋扈し、生を逃げて死を逃げているこの現代で、人間の心の深海へと通じるこの漫画は、現代に対しての一つのアンチテーゼだとも思います。
本当にいい漫画なのです。
P.S.
どうでもいいマメ情報ですけど、せっかくなのでバガボンドとミスチルの接点を。
Mr.Childrenの曲で、『Q』(2000年)というアルバムの2曲目に「その向こうへ行こう」って曲がありますが、この曲は「バガボンドのテーマ曲を作るなら」というコンセプトで作られた曲です。 だから、この曲は他の曲と違って、作曲名義が「桜井和寿」ではなく「Mr.Children」になっているんですよ。(当時、音楽雑誌のInterviewで語っていた。)
ミスチルには『深海』(1996年)ってアルバムがあって、「1.Dive、2.シーラカンス・・・・14.深海」という形で深海に潜る内省的なアルバムになっている。
『Q』(2000年)はジャケット写真見ても分かるけど、まだ潜水服を着て陸地で一休憩している.
『I ♥ U』(2005年)13曲目「潜水」っていう曲でこのアルバムは終わり、その後に『Home』(2007年)ってアルバムが出るんですよね。
ミスチルも、そんな「深海」をイメージさせる内面的で哲学的な歌詞が多い。
そこがバガボンドと呼応していると思う。
バガボンドをイメージして作った「その向こうへ行こう」って曲の歌詞を読むと、「その向こうへ」行き続ける動きと、その動きの最果てに「 I'll go to home」という言葉で締められている。そこが興味深いと思っている。
ミスチルの『HOME』(2007年)ってアルバムは、武蔵と同じように「その向こうへ」行った、何かを突き抜けた状態として作ったアルバムだったのかもしれないですね。(深読みし過ぎかも)
************************
『Q』(2000年) 2曲目
『その向こうへ行こう』
作詩 : 桜井和寿
作曲 : Mr.Children
編曲 : 小林武史 & Mr.Children
思ったよりも僕等が 目の当たりにしてる壁は高く
もうこんなはずじゃなかったと嘆いても後の祭りなのです
ちぢみあがった魂
ひなびたベイビーサラミ
もう一度フランクフルトへ
ショートケーキで例えるのなら イチゴだけ最後に食べるタイプで
口に入れる手前で落として捨てた夢もいっぱいござるよ
見損なっちゃこまるぜ
不可能は辞書にない
そうさ僕はまだちゃんと本気だしてないだけ
さぁ 一発でクリアしよう
方法ならいろいろ
目指してたものの
その向こうへ行こう
腰をくねる女の よがり声が世慣れたフェイクでも
白けて萎えるような ロマンチストではこの先生きてゆけぬぞ
下痢が続いてるので
病気かもしれません
将来への不安が脳裏をよぎるけれど
さぁ 簡単にクリアしよう
そうさ十人十色
捜してたものの
その向こうへ行こう
そう 一発でクリアして
その向こうへ行こう
目指してたものの
その向こうへ行こう
そして I'll go to home
************************
井上雄彦という漫画家は本当にすごい。
スラムダンクだけでも燦然と漫画界に伝説を作ってるけど、このバガボンドはスラムダンクの延長にありながら(と自分は思っている)、かなりすごいところまで表現している。その深さや密度を、漫画での絵という非言語と、台詞という言語のせめぎあいの合間に、ヒシヒシと感じている。
ストーリー自体は吉川英治の『宮本武蔵』を原作にした、剣豪宮本武蔵の話。この話をベースにしながら、漫画では井上雄彦流に色々アレンジしている。
自分としては、武蔵の内面の変化を興味深く読んでいる。
井上雄彦も、そんな武蔵の内面や精神面での変化を一番描きたかったんではないかと思ったりしている。
■vagabond 放浪者・漂泊者
題名の「バガボンド(vagabond)」は、英語で『放浪者・漂泊者・方向の定まらないもの』を意味している。そんなあやふやなタイトル自体がかっこいい!と思った。
なぜなら、この言葉は自分の精神状況を反映しながら意味を持つ言葉であると感じたから。
「バガボンド(vagabond)」は、肯定的に言えば徒然で自由自在で行雲流水な状態だし、否定的に言えば優柔不断でフラフラした軸がブレブレな状態。
受ける意味は、自分の精神状態と呼応して、鏡のように自分に迫る言葉だと思った。
自分の精神の根底で、人生や生命や他者や世界を肯定しているかどうかで、陽の意味にも、陰の意味にも反転する類のもの。
人間のその時々の心理状況に依存して、自分にとっての言葉の意味が変化するのかもしれないけれど、人生を深く濃く生きていくプロセスで、自分の奥深く流れる地下水脈のような「肯定感」を実感できるかにかかっているかもしれない。
■「強さ」とは
宮本武蔵は「天下無双になりたい」という一心から、殺しの螺旋の世界へ入っていく。
自分が強くなることは人より強いことであり、それは襲ってくる相手を殺し続け、殺す相手が誰もいなくなった状態が天下無双であると思っている。
自分が死ぬまで殺し続けるという営みが続く限り、自分が強いかもしれない。それは、言葉の浅い意味では成立しているかもしれない。
ただ、武蔵は殺しても殺しても満たされない自分自身と出会う。
沢庵和尚のようなお坊さんを始め、上泉伊勢守秀綱、柳生石舟斎、胤栄のような剣術の達人たち、そんな「他者との出会い」を通して、武蔵は色んなことを感じるようになる。そして、自分の内面深く対話を繰り返すようになる。自分の闇をみつめる。
バガボンドという漫画を通して、そんな言葉の表層にとらわれている武蔵と共に、その言葉は部分に過ぎないと気づき、その深みに行くことで物事の全体そのものへ近づいていくプロセスを共有していく。
■登場人物全てに愛着が湧く
どの登場人物にも感情移入できてしまうんだけど、個人的に好きなキャラクターは
○佐々木小次郎(言葉なきものだからこそ到達しうる世界として、吉川英治原作と違い聾唖者として表現される。武蔵はよき友としての小次郎と出会いながら、剣の技だけではなく内面を深め合う)
○沢庵宗彭(武蔵に精神面を教える)
○吉岡清十郎(吉岡一門の党首で、武蔵との最後が壮絶。自由自在の剣はかっこよかったー)
○吉岡十剣の植田 良平(武蔵が殺しの螺旋から降りるきっかけを与える。武蔵の精神世界でよく登場するようになる。強かったなー。)
○上泉伊勢守秀綱(かみいずみ いせのかみ ひでつな→「わが剣は天地とひとつ」、「無刀の境地」、「剣とは心が伴ってこそ最高の境地に至れる」という、剣術の向こう側にある領域を始めて言葉にする、伝説的な剣の達人)
○宝蔵院 胤舜(武蔵の永遠のよきライバル。剣を通してお互いを深め合う。) ・・・・・・・・・
書き出すと、漫画を読んだ人にしか共感できないし、キリがないのでやめよう。(笑)
個人的には、琳派の創始者である本阿弥光悦が出てきたのもうれしかった!徳川家康に指名で刀の研ぎを依頼されても断ったり、それでいて武蔵や小次郎の剣は自分から研いだり。
本阿弥光悦のような美の世界に生きるものが目指す「向こう側」の領域と、剣術が目指す「向こう側」の領域がほとんど同じものであることを示唆しているように思えた。
名作っていうのは、どの登場人物にも感情移入できる。
名作っていうのは、浅い層だけにとどまらず、物事の深い層へ分け入っていく力がある。
熊本市現代美術館で、『井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]』っていうのがやっていて、それを見てきた。
そこには、ほとんどバガボンドの最終回と言っても通じるような世界観が表現されていた。
ほんとうに素晴らしかった!
見終わったあと、しばらく放心状態で茫然自失とした。
漫画でもあり、絵でもあり、水墨画でもあり、言語表現でもあり、精神世界でもあり、色んな要素を深い濃密な密度で併せ持つ、井上雄彦の世界観がそこにはあって、漫画とか現代美術の未来のひとつの形が、そこにあると思った。
■海、深海へ
その『井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]』で、印象的な言葉をよく覚えている。
『ことばは海に似ている。底に何があるかは
深く潜ってみなければ わからない
眺めたいだけのものには
ただ綺麗で 退屈なだけのもの』
これは自分の心境に凄く近いと思った。
言葉だけでなく、色んなものを海にたとえることができると思った。
人生は、人と比べて高い場所に立ち、人を見下ろすような心境になっていくものではない。
寧ろ、人が見えない方へ、深海へ、深海へと素潜りしていくプロセスに近い。
素潜りのプロセスは、他の誰もが代わってあげることはできなくて、一人で孤独に暗闇と向き合うプロセスでもある。暗闇を見ることでしか、光は分からない。
■光と闇
自分は、光とはそういう相対的なものだと思う。
部屋の中で、昼間に蛍光灯をつけていても、それが光り輝いていると分からない。
ただ、真夜中になり、周りが暗闇に包まれると、そこで光っているのが認識できる。そういうものだと思う。
暗いから明るいと分かるし、暗いから光は分かる。
全てが光って明るいときは、光は認識できない。
表面から海を見ていると、「わーきれーい」というだけで終わる。
年齢によっては、それで十分なときもある。
■深海のススメ
ただ、深海のような自分と向き合うプロセスは、老いと共にいづれ必要になるのではないか。
老いる前に死んでしまえばそこと向き合う必要はないかもしれないが、それはただの偶然だと思う。
自分という深海を素潜りしていくことで、このあらゆる世界の地層の深さが分かる。
東京をぶらり歩いていると、神社、お寺、町、地名・・・色々なものを眼にするけれど、その一瞬に含まれている、濃密な地層の深さが分かるようになる。
色んな物事と、深い地層で、容易には到達できない深海の領域で、自分の内面と呼応させながら世界に向き合うこと。
武蔵は、『強さ』という言葉の表面だけに捉われ、人を殺しながら自分が生きるという、大いなる矛盾に直面した。
武蔵は、他者と出会うことで徐々に理解していく。
『強さ』という言葉に潜む、深い地層や深海の領域に行くことで、武蔵は部分ではなく全体を理解することになっていく。
そういう一足飛びではない地道なプロセスを、そういう孤独で逃げ出したくなるようなプロセスを、僕らは井上雄彦の『バガボンド』という漫画で共有しているんだと思う。
(特に、29巻は、武蔵が武蔵1人VS吉岡一門70人の死闘をした後なので、哲学的な内容が多くて好きだなー)
表面的な美しさやかっこよさがもてはやされ、特定の職業・グループの特殊専門用語や隠語であるjargonが跋扈し、生を逃げて死を逃げているこの現代で、人間の心の深海へと通じるこの漫画は、現代に対しての一つのアンチテーゼだとも思います。
本当にいい漫画なのです。
P.S.
どうでもいいマメ情報ですけど、せっかくなのでバガボンドとミスチルの接点を。
Mr.Childrenの曲で、『Q』(2000年)というアルバムの2曲目に「その向こうへ行こう」って曲がありますが、この曲は「バガボンドのテーマ曲を作るなら」というコンセプトで作られた曲です。 だから、この曲は他の曲と違って、作曲名義が「桜井和寿」ではなく「Mr.Children」になっているんですよ。(当時、音楽雑誌のInterviewで語っていた。)
ミスチルには『深海』(1996年)ってアルバムがあって、「1.Dive、2.シーラカンス・・・・14.深海」という形で深海に潜る内省的なアルバムになっている。
『Q』(2000年)はジャケット写真見ても分かるけど、まだ潜水服を着て陸地で一休憩している.
『I ♥ U』(2005年)13曲目「潜水」っていう曲でこのアルバムは終わり、その後に『Home』(2007年)ってアルバムが出るんですよね。
ミスチルも、そんな「深海」をイメージさせる内面的で哲学的な歌詞が多い。
そこがバガボンドと呼応していると思う。
バガボンドをイメージして作った「その向こうへ行こう」って曲の歌詞を読むと、「その向こうへ」行き続ける動きと、その動きの最果てに「 I'll go to home」という言葉で締められている。そこが興味深いと思っている。
ミスチルの『HOME』(2007年)ってアルバムは、武蔵と同じように「その向こうへ」行った、何かを突き抜けた状態として作ったアルバムだったのかもしれないですね。(深読みし過ぎかも)
************************
『Q』(2000年) 2曲目
『その向こうへ行こう』
作詩 : 桜井和寿
作曲 : Mr.Children
編曲 : 小林武史 & Mr.Children
思ったよりも僕等が 目の当たりにしてる壁は高く
もうこんなはずじゃなかったと嘆いても後の祭りなのです
ちぢみあがった魂
ひなびたベイビーサラミ
もう一度フランクフルトへ
ショートケーキで例えるのなら イチゴだけ最後に食べるタイプで
口に入れる手前で落として捨てた夢もいっぱいござるよ
見損なっちゃこまるぜ
不可能は辞書にない
そうさ僕はまだちゃんと本気だしてないだけ
さぁ 一発でクリアしよう
方法ならいろいろ
目指してたものの
その向こうへ行こう
腰をくねる女の よがり声が世慣れたフェイクでも
白けて萎えるような ロマンチストではこの先生きてゆけぬぞ
下痢が続いてるので
病気かもしれません
将来への不安が脳裏をよぎるけれど
さぁ 簡単にクリアしよう
そうさ十人十色
捜してたものの
その向こうへ行こう
そう 一発でクリアして
その向こうへ行こう
目指してたものの
その向こうへ行こう
そして I'll go to home
************************
上野は見損ねたので、絶対観たい!と思ってたのです。
紙の上で表現することと違って、作品と空間で魅せるという仕組みが素晴らしかったです。暗闇を歩かせて、遠くに柔らかい光が見える・・・とか、急に空間が開かれるとか、観ている人も全身で追体験できる。
私は「バガボンド」って全く読んだことありませんが(!)、それでも感動でしたよ。
熊本現代美術館、大好きです。いつもおもしろいのやってるし、オープン図書館みたいな空間も好きです。
今回、入場者は一ヶ月で3万人突破で過去最高の予定だそうですよ。ちなみに二番目は「生人形と江戸の欲望展」だそうな。
なるほどと思いました。
そして実は穴掘り説は、実は潜水説だった?!
笑。
何れにしても、やはり底へ底へ向かっていく感覚というのは、共通していますね~
「水は凍ったときに初めて手でつかむことが出来る。それはあたかも人間の思想が心の中にある間は水のように流動してやまず、容易に捕捉し難いにもかかわらず、一旦それが紙の上に印刷されると、なん人の目にもはっきりした形となり、もはや動きの取れないものとなってしまうのと似ている。まことに書物は思想の凍結であり、結晶である。」
これは今たまたま読んでいる湯川秀樹さんの
「目に見えないもの」という本の一節ですが、
深海のすすめを考えていく上で、書くこと=氷を作ることって、大事なんだろうなって改めて思いました。混沌とした自分という大海の中で、溺れないためにも?でも、氷って多分とけちゃいますよね~。そこらへんはどうなんだろう。
無量塔、最高!
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
れいこさん
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
上野は並んで見ないといけないとかで、かなり大変だったもんねー。
わしも、上野でやってたのは行けなかったのよねー。
井上雄彦とか武蔵が熊本にゆかりがあるってことで、今回熊本で開催されることになったわけだし。
でも、熊本に続いて他の場所でも続々とやるみたいだね。
確かに、この展覧会は素晴らしかったし、色んなところで見てみたい!
俺も不思議な感じだったー。
なんか歩きながら漫画読むってのが新鮮だったし。
そして、れいこちゃんが言うように、闇の中を通って、光が効果的に出てくるとことか、すごく良かった!
新しい漫画の見方という感じで、そういう意味でも漫画の領域を広げている感じがして、井上雄彦は本当にすごいなーって何度も思いましたよ。
「バガボンド」、とりあえず29巻出てるけど、絵で見せる漫画なので意外にスラスラ読めるからね。わしは実家に持ってるから貸せないけど、誰か東京にいる人で全巻持ってる人は多いと思うけどなー。
あの展覧会は、ほんと読みきり作品としても読めるクオリティーの高さで、それもすごいよね。
原作読んでると、展覧会の奥行きがさらに分かると思うよ。
結構残酷なシーンも多いから、女性には衝撃的なシーンも多いかもしれんけど、それでもすごいリアリティーと圧倒的な迫力がある。漫画も是非!!!
熊本現代美術館のオープン図書館、いいよね!
タダでソファーに座って色んな美術書が読める。
俺も、井上展の後、時間余ってたんで3時間はあそこで写真集とか画集を読みまくったよ。
あれが高校時代にあったら学校サボってあそこに行くようになってたかもしれん。笑
やっぱ漫画は大衆文化だし、マニアだけで閉じられたものになってほしくないので、入場者数も多いってのは嬉しいね。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
la stradaさん
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
la stradaさんの穴掘り理論とかぶらないように、俺は潜水・深海理論で対抗!
でも、穴を掘った地下水は、海の深海辺りから地下水脈もつながるだろうし、そういう意味では深海と陸地に掘った穴はつながってるんだよー!!
いづれにしても、高層ビルのように上へ上への発想はやはり限界があって(バベルの塔の発想?)、下へ下へ。地下へ地下へ、深海へ深海への発想ってのが新しいと思うなー。
そんな感じで自分を深めていくと共に、他者と呼応しながら深めていくって言うのがいい感じ。
la stradaさんはサラリと湯川秀樹さんの文章も読んでたりして、la stradaさんのカバー範囲の広さにはいつも脱帽!尊敬!
しかも、すごく興味深い内容だよね。
湯川秀樹さんの文章でも、言語化されて水が氷のように固定化されることで起きる危険性も同時に指摘していて、さすが鋭いなーと思った。
固定化することは凍結する危険性もあるんだよねー。うんうん、よくわかる。
確かに、「書くこと=氷を作ること」って、大事なのかも。
単に頭の中でモヤモヤと妄想して考えているのも大事だけど、不完全であることは理解しながら、水ではない氷のように手にとれる形で結晶化することは、大事なんだろうね。
氷のままだと意味が固定化するから、時には溶かして状態を変える。時には熱して水蒸気にしてみる。
そうやって色んな層を流転させることがいいのかも。
この辺の水の比喩は、少し考えると応用範囲広そうだし、その辺考えるの面白そう!またその辺深めていきませう。
深く潜ってみなければ わからない
眺めたいだけのものには
ただ綺麗で 退屈なだけのもの』
これは重みのある言葉だね。
底に何があるかは、本人が潜ってみて、その静寂と暗闇に苦しみつつ、ゆえに光の美しさ、海底の景色の新しさを感じられる。
けど、その苦しさやそのプロセスは人には経験できないし、外から見ている分にはその「結果」の部分しか見えないから、時に「そんなの誰でも言ってるじゃん」みたいに感じてしまう人もいるんだろうね。
「より良く生きたい!」と思って苦しんで、もがいて、色々経験した結果出てくる想いや言葉やメッセージは、共通するものが多い。それはそのプロセスを通ったから出てきたものであって、尊い!
ショウペンハウエルの『読書について』より:
『紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。』
って言葉があって、これも芯をついてるな、と思った。自分も自分の目で色々な追体験と、考えをめぐらせることをしなくては・・・!
んでもって、最終的には言葉で「結晶化」。
そこで初めて他者と想いを交わすことが出来る、外との交流が始まるわけです。
バガボンド、読んだことないのだけど、読みたい~!やっぱ漫画喫茶かな。。。3~4冊/時間だと、10時間!フリータイムを3回くらい回さないと苦しいな~
でも読んでみたいと思いました♪
ともこ様
>>>>>>>>>>>>>>
ともこさんがいうように、苦しさやそのプロセスは、自分の経験でしかないから、そこは部分でしか伝えれないよね。
最初と結論だけ見ると納得したような気になっちゃうんだけど、実はその二つの点をつないだ線にこそ大事なものは多いし、そこから見えた風景というものはとてつもない財産になる。
結論が同じでも、どうやってそこに辿り着いたか、どれだけ苦労したかでその重みもまるで違うよね。
「そんなの誰でも言ってるじゃん」みたいな解答は、やはりsimple is bestの真髄でもあるし。イマサラ!って感じかもしれない。
周りの人を大事にしなさい、思いやりを持ちなさい、感謝しなさい・・・
そんな当り前の言葉を、どれだけの深みを持ってリアリティーを感じれるかで、言葉の重みは全然変化するよね。
*********************
ショウペンハウエルの『読書について』より:
『紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。』
*********************
これは深いよね。
僕らが見る風景や、見えた風景は大事にしたいよね。プロセスこそ、その人の個性だしね。
脳味噌の中で水のようにドロドロ流れているものを、言葉により水を氷にする作業の「結晶化・固定化」によって初めてつかみどころがあるものになる。この辺も考えだすと深いテーマだね。
わしも、人のブログに感銘し、自分がブログを書いて他者と交流することで、「結晶化・固定化」された言葉の奥深さにも気付きつつあるし、周りの皆様にはすごく感謝しとります。
バガボンド、意外に早く読めると思うよ~。ぜひ原作読んでほしい!!
ま、完結してからでもいいとは思うけどね。
わしは熊本の『井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]』を見に行くから、もう一度読み返しちゃいましたよ。