日常

山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』

2013-05-14 01:38:37 | 
山川偉也さんの『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』講談社学術文庫(2008/1/10) を読みました。

すごく面白い本だった。面白いというか、興味深いというか。
ディオゲネスが自由すぎてこちらの常識がひっくりかえる。
こういう逸話がこの21世紀に未だに伝わっているのが不思議でたまらないけれど、誰かが伝え続けるほどの魅力があったからこそ、だろう。


アレクサンダー大王が魅了されたのが分かる。
自分もこの自由すぎるほど自由な哲学者ディオゲネスが好きになった。

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<内容説明>
世界市民思想を唱えた古代ギリシアの哲学者甕を住まいとし、犬のように町をうろつき、ギリシアの伝統や習慣を全否定して世界市民という理念を主張したディオゲネス。その思想とは何かを多角的に分析する。
<内容(「BOOK」データベースより)>
甕の中に住まい、頭陀袋を下げ、襤褸をまとって犬のようにアテナイの町をうろつき、教説を説いたシノペのディオゲネス。
おびただしい数の逸話で知られる「犬哲学者」の思想とは、いったいどのようなものだったのか。
アリストテレス的人間観や当時の伝統・習慣を全否定し、「世界市民」という新しい理念を唱導・実践した思想家の実像を探り出し、われわれ現代人の生き方を模索する。
<著者略歴>
山川/偉也
1938年、徳島市生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻は哲学・論理学。アテネ大学哲学部客員教授を経て、桃山学院大学法学部教授
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専門学術本のように詳細で精密な検証が詳しすぎるので、面白いとこをつまみ食いのように読んだ。




ディオゲネス(英: Diogenes、紀元前412-323年)は古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子でソクラテスの孫弟子に当たる。
犬のような生活を送り「犬のディオゲネス」と言われた。
大樽を住処にしていたので「樽のディオゲネス」とも言われた。









ディオゲネスは師アンティステネスの「徳」に対する思想を受け継ぎ、物質的快楽をまったく求めず、頭陀袋ひとつを持って乞食のような生活をした。


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ディオゲネス
「幸福に生きるには、無駄な努力ではなく、自然にかなった努力を選ぶべきで、無知は不幸の原因である。

というのも、快楽であっても、それを軽蔑することが習慣となれば、それが最も快適なことになるからである。
ちょうど享楽の生活を送ることが習慣となっている人々が、逆の生活を送らねばならなくなると、不快を感ずるように、快とは反対のものに鍛練をつんだ人々は、快楽そのものを軽んずることに、むしろいっそう快適さを感ずるからである。」
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一番有名なエピソード。

アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。
ディオゲネスは体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。
大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたにそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。
帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。








唯一の正しい政府は世界政府であるといい、「自分はコスモポリタンだ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作った。



面白い逸話が多い。


神殿や倉庫で寝て「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言った。


広場で物を食べているところを人が見て「まるで犬だ」と罵られたので、「人が物を食っているときに集まってくるお前たちこそ犬じゃないか」と言い返した。


ある人がディオゲネスに物を贈った。人々がその行為を褒めるとディオゲネスは「もらう価値のある俺も褒めてくれ」と言った。


カイロネイアの戦い(前338)で、捕虜になり、マケドニア王ピリッポス王に連れて行かれた。
汝は何者かと尋ねられ、「あなたの欲の深さを探るスパイです」と答えた。それですっかり感服され釈放された。





山川偉也さんの本によると、哲学者ディオゲネスは「自足」と「上下逆転」の思想が中心。
これは、今こそまさに大事な考えだと思った。
「ディオゲネスがホームレスであったことは言うまでもない。他方、イエス(キリスト)もまた同様にホームレスであった」
と書いてあるように、当時のイエスキリストもそういう革新的な存在だったのだと思う。
今はイエスキリストは権威化してしまったけれど、当時、本当に人類の未来を憂いて行動した愛の人だったのだろう。
このことは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でも、隠れたテーマとして論じられていた。


ディオゲネスの思想は原始キリスト教にも影響を与えているらしい。


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ディオゲネス
「自然にかなった労苦を選んで幸福に生きる」
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ディオゲネス
「まもなく上下が逆転するだろう」
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マタイ第19章第30節
「しかし、多くの最初の者たちが最後の者たちとなり、最後の者たちが最初の者たちとなるであろう」
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ディオゲネスは、唯一の正しい国家の根底をなすものは「友愛」と「親しさ」でなければならないとした。
最下層の人びとにまで届く「愛」の互酬性が、唯一の正しい国家としての世界国家の最も重要な紐帯となると信じた。


自分もそう思う。
現代は、自然界の「弱肉強食」や「適者生存」を都合よく使いまわして、貧富の差が大きいことを正当化する理屈として使っている。

やはり、それはおかしいと思う。

色々な偶然でその人の人生は与えられているし、今の境遇もある。
人類ひとりひとりが、全ての「人間」を経験するために生まれ変わり(輪廻)というシステムがあると考える。

前世では、あたしはあなたであったし、あなたはわたしであった可能性もある。
生まれ変わり(輪廻)で人類は循環していると考えて、「すべてが自分なのだ」と思えば、自分を愛するように他者へも「友愛」と「親しさ」が生まれる。





ディオゲネスは変人奇人のようだが、「理性(ロゴス)」により「徳」を重視し、「勇気(タルソス)」を持って生き様で示した人だと思う。
それは、動物と同じような生き方になり、そういう極端な生き方を通して、当時の人々の原始感覚を呼び覚まそうとしたのかもしれない。
人間も「自然」の産物である、ということを。



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山川偉也「哲学者ディオゲネス 世界市民の原像」
「『哲学から何が得られたか』と問われたとき、彼は、『他に何もないとしても、少なくとも、どんな運命に対しても心構えが出来ているということだ』と答えている」
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「『テュケー(運命)にはタルソス(勇気)を、ノモス(法律・習慣)にはフュシス(自然本来のもの)を、パトス(情念)にはロゴス(理性)を対抗させるのだ』」
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「『世の中で最も素晴らしいものは何か』と問われて、ディオゲネスは『それはパルレシア(何についてでも率直に真実を語ること)だ』と答えている。

パルレシア、脅迫をも、迫害をも、殺されることをも恐れず、自由に、真実を語ること。
これこそ、ソクラテスとディオゲネスの先例に学びつつ晩年のミッシェル・フーコーが情熱を傾けて語ったことであった。」
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面白い本でした。
変な人、奇人とされる人、大好きです。

そういう人は、その時代の「偏見」をあぶりだすために、そして面白おかしくユーモアで見せるために、変人・奇人を演じてくれているのだと、思う。

人生をかけてそんな稀代な役者を演じてくれた彼らに、自分は愛を持って敬意を払いたい。
自分も「パルレシア(率直に真実を語ること)」を大切に。

自分自身に正直になることが、この世の集合意識の中へ、より多くの正直さをもたらすと信じる。
世界全体の不正直さを、慈しみを持って正すように努力しない限り、人間はさらに不正直な人となっていく。そこはリンクしている。

正直になることは自分を刷新し、創造する行為だと、思う。
それはディオゲネスが言うところの「世界市民」の意識に近いと思う。


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もし自分が樽の中で生活するようになったら、「あいつはディオゲネスの影響受けたなー」と思って見過ごしてください。(^^;





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山川偉也「哲学者ディオゲネス 世界市民の原像」
『ディオゲネスは、一人の人間が生きていく場合と同じように、国家全体の幸福もまた、人々の間に「徳」がゆきわたり、お互いが「協和のこころ」をもつことが肝心であるとした。
つまり、共同社会のなかでともに生きる仲間同士として、人々は同等の権利と資格をもつ者同士であることが認められなければならないとした。

ディオゲネスの世界観は、本質的に反権威主義的、民主主義的、平等主義的であって、諸民族に共通する人間性を認めるだけではなく、広く自然界に存在する生命秩序の連帯性を強調するものであった」
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「真の『世界市民』への道程は、いまは天空の犬となって輝いているディオゲネスが残した『徳への捷径』を、日々、未来に向かって辿り直すことから始まるであろう」
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