乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-20 【巻二 檳榔毛車(びろうげくるま) 牛童 榻(しじ)】六紙〜九紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-24 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 (写真は、日本絵巻大成 8 巻二 一紙〜五紙)

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-20 【巻二 檳榔毛車(びろうげくるま) 牛童 榻(しじ)】六紙〜九紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8 巻二 六紙〜九紙 

 
 に続く 巻二 六紙〜九紙
 
 檳榔毛車(びろうげくるま)が、関白の乗り物。
 
 牛童(ぎゅうどう)が榻(しじ)を小脇に抱え、従っている。
 
 
 
 
檳榔毛車(檳榔毛の車)
 
 牛車(ぎっしゃ)の一。
 白く晒(さら)した檳榔の葉を細かく裂いて車の屋形をおおったもの。
 上皇・親王・大臣以下、四位以上の者、女官・高僧などが乗用した。
 びろうぐるま。
 びりょうのくるま。
 
牛童(ぎゅうどう)
 
 牛を使って牛車 (ぎっしゃ) を進ませる者。
 成人後も童形 (どうぎょう) の姿をした。
 
童形 (どうぎょう)
 
 結髪していない子供。 また、その姿。
 稚児姿。
 
榻(しじ)
 
 牛車 (ぎっしゃ) から牛を外したとき、車の轅 (ながえ) の軛 (くびき) を支え、乗り降りに際しては踏み台とする台。
 形は机に似て、鷺足 (さぎあし) をつけ、黒漆塗りにして金具を施す。
 
 
 
 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-19 【巻二 関白賀茂詣】一紙〜五紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-16 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-19 【巻二 関白賀茂詣 (社頭の儀)】一紙〜五紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8 巻二 一紙〜五紙 

巻二 関白賀茂詣 (社頭の儀)
 
天禄二年(971) 摂政 藤原これただ
 
 
斎戒沐浴(さいかいもくよく)の上、奉献の神宝調度、神馬を見る。
 
 
 
 
関白
 
 関白(かんぱく)は、成人の天皇を補佐する官職である。
 令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。
 敬称は殿下。
 

 

社頭の儀    (京都の用語集(https://ja.kyoto.travel/glossary/single.php?glossary_id=938)

「葵祭」は以前「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」という3部構成でした。

 現在は「宮中の儀」が行われず、「路頭の儀」が注目を集めるため、「社頭の儀」は関係者以外ほとんど世に知られていません。

 しかし、葵祭はもともと勅使が賀茂の神に進物を奉ることが、ルーツですから「社頭の儀」は祭りの重要な部分であるわけです。

「路頭の儀」で注目を集めるのが「斎王代」なら、「路頭の儀」の主役は「勅使」です。

「祝詞」(神様へのあいさつ状)奉上や、「奉幣(ほうべい)」(神様へプレゼントを進呈すること)では、大勢の参列者の視線が注がれる中、神事が粛々と進んでいきます。

 またほかには、舞楽などもあり、中でも「牽馬(ひきうま)の儀」という儀式が面白いです。

 社殿の周りを引きまわすのですが、馬を引く「馬寮使(めりょうし)」が神様のいらっしゃる本殿の方を向いてお辞儀をすると、馬もそれに倣ってペコッとお辞儀をするから不思議です。

 参列者から、ほのぼのとした笑いが漏れるひと時です。

 雨で「路頭の儀」が中止となった場合でも、「社頭の儀」は上賀茂・下鴨両神社で執り行われます。

 ただし、その時は儀式も簡略化した内容になるようです。

 

 

藤原 伊尹 (ブリタニカ大百科辞典)

 生 延長2(924) [没]天禄3(972).11.1. 平安時代中期の廷臣。

「これまさ」とも読む。右大臣師輔の長男。

 別称,一条摂政。諡は謙徳公。

 天慶4 (941) 年昇殿を許され,天暦9 (955) 年従四位下,頭中将,天徳4 (960) 年従四位上,参議,康保2 (965) 年正四位下,同4年従三位,権大納言に進む。

 冷泉天皇の安和1 (968) 年正三位,同2年には大納言で近衛大将を兼ね,天禄1 (970) 年右大臣に進み,次いで藤原実頼の没後,摂政,氏長者となり,同2年正二位,太政大臣に任じられた。

 和歌にすぐれ『後撰和歌集』の編纂に参画した。

藤原 伊尹

   いかなる折にかありけむ、女に

   から衣袖に人めはつつめどもこぼるる物は涙なりけり(新古1003)

 

藤原 伊尹

   しのびたる女を、かりそめなるところにゐてまかりて、かへりてあしたにつかはしける

   かぎりなく結びおきつる草枕いつこのたびを思ひ忘れむ(新古1150)

 

斎戒沐浴(さいかいもくよく)  (三省堂 四字熟語辞典)

 神仏に祈ったり神聖な仕事に従事したりする前に、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。

「斎戒」は物忌みをすること。

 神をまつるときなどに、心身を清め汚れを去ること。

「沐浴」は髪やからだを洗い清めること。

「沐浴斎戒もくよくさいかい」ともいう。

 

神宝調度

 神宝とは

 神宝(じんぽう、かむだから)とは、神社の本殿内陣に納められる、祭神に由緒の深い宝物や調度品、装束類のことである。

 広義には神社に代々伝わる宝物のことも含むが、通常はこれらは社宝(しゃほう)と呼び、神宝とは区別する。

 元々の神宝は、剣、玉、鏡などの呪具で、古代には氏族の権威の象徴、あるいは氏族の祭祀に使用されたものであった。

『先代旧事本紀』の十種神宝などがそれに当たる。

 後に、神像が作られるなど神の擬人化が進むと、神宝の中に、人間が使用するものと同じような日用品が多く含まれるようになる。

 例えば手箱、碗、化粧用具、衣服などである。

 これらの神宝は、式年遷宮などの社殿更新にあわせて新調された。

 その際、それまでの神宝は古神宝と呼ばれ、その中には社宝として神社に残されるものもある。

 伊勢神宮で20年毎に行われる式年遷宮では、社殿と共に714種1576点の御装束神宝(装束や須賀利御太刀等の神宝)も造り替えられる。

 現在では20年間正殿に捧げられた神宝は、宝殿でさらに20年間保管された後に撤下され、神宮徴古館で展示されたり、他の神社に下げ渡されることになっている。

 

 

 

 

 

 

   

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-11 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-18 【巻一 詞書 】六十二紙〜六十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  六十二紙〜六十四紙 

       所ゞ言葉は雅経卿

           絵者光長

年中行事十六巻は、

仙洞様為二 勅定 家重寶二可加者也

又は 朝廷の 御用可立 思召

由 尻池宮卿殿、為奉拝借写所也、

誠至子々孫々堅有、此筆風                      

以可為一流鑑、必少時不可、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                            二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

 

 

      所々の言葉は、雅経卿

          絵者は、光長

『年中行事』十六巻は、

仙洞様の為に 勅定 家重寶二は加えるべき者也

又は 朝廷の 御用立てるべく 思ぼし召す

由、尻池宮卿殿、拝借奉る為の写所也

誠に子々孫々に至るまで堅く義 有り、此の筆風を

以って一流と為す可き鑑、必ず少時可からず、他見者也、朝観行幸七段有 所持法橋 住吉如慶 印

                                          二代

                            同 具慶 印

                            同 至石

                            同 内記 印

 

 

雅経(まさつね) →飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。
 
 刑部卿・難波頼経の次男。
 
 二条または明日香井を号す。
 
 官位は従三位・参議。
 
 飛鳥井家の祖。
 
 小倉百人一首では参議雅経。
 
 
 
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期 生誕 嘉応2年(1170年) 死没 承久3年3月11日(1221年4月5日) 官位 従三位
 
 参議 主君 安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇 氏族 難波家→飛鳥井家
 
 父母 父:難波頼経、母:源顕雅の娘 猶父:源頼朝 兄弟 難波宗長、雅経、難波頼教、難波経長、難波良平、難波輔長、経豪、厳海 妻 正室:大江広元の娘 子 教雅、教定、教経、藤原忠継室、安達義景継室
 
 
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 
 小倉百人一首 94番
 み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり
             (『新古今和歌集』秋・483)
 
 
 
卿(きょう)
 
 1 政治をつかさどる大臣。宰相。三位(さんみ)以上の人。  
 
 「卿相(けいしょう)・上卿(しょうけい)・月卿(げっけい)・公卿(くぎょう)(こうけい)・大蔵卿(おおくらきょう)」
 
 2. 天子が臣下をよぶよび名。また一般に相手を尊んでよぶよび名。おんみ。  
 
 「卿等(けいら)・諸卿」
 
 
 
絵者 光長
 
 土佐光長
 
 平安末期の画家。
 通称は源二。
 後白河院に仕えた宮廷絵師。
 承安3年、最勝光院の障子絵を描いた。
「年中行事絵巻」や「伴大納言絵詞」などの作者と伝えられる。
 また、常盤光長・藤原光長とも呼ばれた。
 
 
 
仙洞様
 
 仙洞御所
 
 以前にも『年中有行事』で調べたが、仙洞御所(せんとうごしょ)とは太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇の御所。
 仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
 
 
 
家重寶二
 
 徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、江戸時代中期の江戸幕府第9代将軍(在任:延享2年(1745年) - 宝暦10年(1760年))である。
 
 
 
朝廷
 
 天子が政治をとる所。
 
 
 
朝観行幸
 
 正月の二日、あるいは三日、四日、または吉日に、天皇が上皇や母后の御所に行幸されて、年始を祝賀される行事
 
 朝観行幸が七段、有利。
 
 
所持法橋
 
 法橋
 貞観六年(八六四)二月一六日、法印大和尚位(僧正相当)・法眼和上(和尚)位(僧都相当)と共に設けられた、律師相当の僧位。
「ほうきょう」ともいう。正式には「法橋上人位」。
「法橋」の語は『八十華厳』一三「衆生は無知にして本を見ず、痴狂・険難中に迷惑す。仏は彼を哀愍して法橋を建て、正念して是れ其の行に昇らしむ」(正蔵一〇・六五下)等、生死輪廻の河海に架けられ、衆生を真理へと導く橋に仏法を譬えた表現。
 これらの位階は、在来の満位・法師位・大法師位が僧綱・凡僧の別を問わず適用された結果、位階としての機能が形骸化したことを受けて新設された官位相当の位階であった。
 しかし結局は有名無実化の道を辿り、鎌倉時代には位記自体が行われなくなる。
 中世以降は、医師や絵師、連歌師などに与える称号としても用いられた。(浄土真宗辞典)
 
 
住吉如慶
 
(すみよし じょけい、慶長4年(1599年) - 寛文10年6月2日(1670年7月18日))は、江戸時代前期の大和絵の絵師。
 
 
 
具慶
 
 住吉 具慶(すみよし ぐけい、寛永8年(1631年) - 宝永2年4月3日(1705年4月23日))は、江戸時代前期の絵師。 住吉如慶の長男で住吉派の2代目。 名は広純、のち広澄。 通称は内記、別号に松岩。
 
 
 
内記
 
 内記(ないき)は律令制において中務省に属した品官。
 唐名は起居郎・柱下。
 和訓は「うちのしるすつかさ」。
 
内記
 
 令制における中務省の官人。
『和名抄』に「うちのしるすつかさ」とある。詔勅,宣命,位記 (叙位の旨を記した辞令書) ,上奏などの作成,宮中の記録を司ったため,能文,能筆の人が選ばれた。
 大・中・少内記各2人がおかれたが,のち中内記は廃止された。
 詰所を内記所,内記局といった。
 
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-17 【巻一 「抜頭(ばとう)」の舞】五十八紙〜六十一紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-08 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-17 【巻一 「抜頭(ばとう)」の舞五十八紙〜六十一紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十八紙〜六十一紙 

「抜頭(ばとう)」の舞

赤地の砲を着け、糸毛の飾りを巡らしたりょうとうを着け、鳥皮靴をはき、右手を腰に当て、左手に黒漆の撥(ばち)をかざすのはまさし「抜頭(ばとう)」の舞である。

 

砲(ほう)
 綿入れ、ぬのこ
 普段着
 うわ着
 
 
 
「抜頭(ばとう)」の舞
 
抜頭(ばとう)
 
 雅楽のなかの唐楽の曲名。
 林邑 (チャンパ) から伝来したとの説もある。
 舞があり,1人舞。舞人は朱色の装束を着,鼻が高く髪の長い赤い面をつけ,太い桴 (ばち) を持つ。笛による「古楽乱声 (らんじょう) 」を伴奏に登場の舞を舞い,「音取 (ねとり) 」のあと当曲の舞となり,当曲を続けるうちに退場する。
 唐の后妃で鬼になった姿を模した舞ともいわれる。
 早只拍子のリズムによる舞と夜多羅 (やたら) 拍子のリズムによる舞の2種があり,前者は左方,後者は右方の舞に配されている。
 
 
抜頭(ばとう)
 
 9世紀頃には、伎楽は衰亡し、舞楽がこれにかわることになり、平安時代に宮廷儀式として定着し、神社.寺院もこれをとり人れた。
 その舞いに用いる仮面。伎楽面より小さく能面より大きい。
 
 抜頭の舞が作られた背景には、女性が嫉妬に喘ぎ舞ったという説と、親を殺された息子が怒り狂う様を舞ったという説の二通りあり、面も、髪をつけたもの、つけないものがあります。
 舞の中に髪を掻き上げる所作があり、現在、宮内庁にて所蔵されているものには髪の毛があると言われています。 https://nohmask21.com/bato.html
 
 
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-16 【巻一 透渡殿(すきわたどの)】 五十五紙〜五十九紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-08 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-16 【巻一 透渡殿(すきわたどの)五十五紙〜五十九紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十五紙〜五十九紙 

中は、裾だけ見え、顔は見えない。

料理が並べられている。

 

簀子の西側から透渡殿にかけて、摂政以下公卿たちが立ち並ぶ。

中には檜扇を開ける人が一人いる。

 

透渡殿(すきわたどの)
 
  屋根材,建具などは対屋も寝殿と同じである。
 寝殿と東西対の間は南北2本の廊で結ばれるが,南側の廊は透渡殿(すきわたどの)と呼ばれ,建具のない吹き放しの建物である。
 東西対の南から南池に向かって延びる中門廊は外側に壁をはり,内側は吹き放しである。…
 
透渡殿(すきわたどの)
 
 寝殿造りで、寝殿と対屋 (たいのや) とをつなぐ、両側に壁のない渡り廊下。透廊 (すいろう・すきろう) 。すいわたどの。
 
 
公卿(くぎょう、くげ、こうけい)
 
 1 公(こう)(=大臣)と卿(けい)(=大納言・中納言・参議・三位以上の官人)との称。
 
 2 広く、殿上人(てんじょうびと)。
 
 
檜扇
 
 檜扇(ひおうぎ)とは、宮中で用いられた木製の扇のこと。
 桧扇とも表記する。
 女性の用いるものは特に袙扇(あこめおうぎ)とも呼ぶ。
 
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-15 【巻一 舞御覧(まいごらん)の見物人たち】五十四紙〜五十六 中央公論社 小松茂実編

2020-09-06 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-15 【巻一 舞御覧(まいごらん)の見物人たち】五十四紙〜五十六 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十四紙〜五十六

舞御覧(まいごらん)

舞楽を見るため東中門(右手)に集まる人々。

警護の武官や院御所の女房、女、子供、

中には狩衣人々に混じり、束帯の姿も見える。

此時代、舞楽は人々にとって楽しみのひとつであったようだ。

 

 

舞御覧
 
〘名〙 正月一七日、または一九日
   清涼殿の東庭、あるいは紫宸殿の南庭に舞台を設けて舞楽を行ない、天皇がご覧になった行事。《季・新年》
 
 ※続古事談(1219)五「天暦の御時舞御覧の時、此舞はたえたるよし奏しけるを宣旨にてあたらしくつくりてまひたりけれども」
 
 
武官
 
 武官(ぶかん)とは、国家若しくは君主から官吏たる軍人に任じられた者又はその軍人の官職をいう。
 
 一般的に終身官とされる。
 
 通常、軍人の職の総称として用いられるが、国家によっては官名として扱う場合もある。
 
 
 
院御所(いんのごしょ)
 
 ① 上皇の御所。仙洞(せんとう)。仙洞御所。霞の洞(ほら)。緑の洞。藐姑射(はこや)の山。
  ※台記‐保延二年(1136)一二月一三日「次参大宮、御所白河也、院御所也」
 
 ② 上皇の呼称。〔日葡辞書(1603‐04)〕
 
 
仙洞御所(せんとうごしょ)
 
 仙洞御所(せんとうごしょ)とは太上天皇・太上法皇・上皇など退位した天皇の御所。
 
仙洞
 
 仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
 
 
霞の洞(かすみのほら)
 
  1 仙人の住む所。
 
  2 上皇の御所。仙洞 (せんとう) 。  「(水無瀬殿ハ)げに千代をこめたる―なり」〈増鏡・おどろの下〉
 
 
緑の洞
 
 《仙人が住む洞の意から》上皇の御所。霞 (かすみ) の洞。仙洞 (せんとう) 。  
 
 「―、花香ばしきあした」〈新古今・仮名序〉  
 
 
藐姑射(はこや)の山
 
 ① 〔荘子 逍遥遊〕 中国で、不老不死の仙人が住むという伝説上の山。姑射山こやさん。
 
 ② 上皇の御所を祝っていう語。仙洞御所。
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-14 【巻一 のどかな新春二日目 夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁】五十紙〜五十三 中央公論社 小松茂実編

2020-09-03 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-14 【巻一 のどかな新春二日目 夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁五十紙〜五十三 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  五十紙〜五十三

 

夜の松明と褄折笠を重たげに担ぐ仕丁。

板橋を隔てて、賀茂の河原には、老若男女の見物の人々。

のどかな新春二日目の喜色が人々の顔にみなぎっている。

 

 

 

 

松明
 
 松のやにの多い所や竹やアシなどを束ね、火をつけて照明とするもの。
 
褄折笠
 
 股旅ものなどの時代劇で渡世人が被っている印象が強い。
 
 もとは江戸、京都、大坂の三ヶ所を毎月三度ずつ往復していた飛脚(定飛脚)のことを三度飛脚と呼び、彼らが身に着けていた事からその名が付いた。
 
 
   名前の由来
    三度がさ 三度飛脚
    褄折笠  傘のつま(端)能登ことで折れている。
    大深   深さのある傘(顔を隠せる女笠)
 
 
 女性用として寛延、宝暦頃まで用いられた。
 
 初めて製されたのは貞享年間であり、俗に「大深」と称せられたほどの深さの女笠であった。
 
 その深さについて「守貞謾稿」は「誤つて落馬することある時面部を疵せざる備へか」といい、本来は女性用であった事から顔を隠す程度の深さになったともいう。
 
 女性用は紐を後ろの方で輪にして髷の下にかけ、頤の下で結んだが、文化頃には既に女性用として用いられなかった(「塵塚咄」)。
 
 女性用の笠は妻折笠(つまおりがさ)とも呼ばれる。
 
「守貞謾稿」には「文化以前は旅商専らこれを用ゆ、文化以来は雷盆(すり鉢)形の菅笠を用ゆ、飛脚宰領は今も三度笠を用ゆ」という。
 
 この様に女笠から男笠に移り、また別に三度飛脚の常用とされた。
 
 頂の部分が平らな笠は饅頭笠と呼ばれた。  (ウィキペディア)
 
 
仕丁(しちょう、じちょう)
 
 昔の官庁や貴族の家の雑役夫。
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-13 【巻一 (かもん)窠文、窠紋、家紋】四十八〜五十紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-01 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-13 【巻一 (かもん)窠文、窠紋、家紋四十八〜五十紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8  四十八〜五十紙

 

鳥兜(とりかぶと)をかぶった窠文の襖(あお)をつけた楽人

 

 

 

鳥兜(とりかぶと)

 1 舞楽の襲装束 (かさねしょうぞく) に用いるかぶり物。鳳凰 (ほうおう) の頭をかたどり、厚紙に金襴 (きんらん) ・紅絹 (もみ) などをかぶせて作る。曲により形式・色彩などが異なる

 2 植物(トリカブト)

 

窠文(かもん)   (日本大百科事典)

 窠は、元来動物の穴巣を意味しているが、転じて円形の区画を穴巣に見立てて、そのなかに唐花(からはな)が入っている文様を窠文という。

 またその形が瓜(うり)を輪切りにしたときの断面に似ているので、木瓜文(もこうもん)とよぶ場合もある。

 元来中国の唐代、朝服に用いられた文様の一つであったが、奈良時代に日本に伝わり、のちに公家(くげ)の有職(ゆうそく)文様となる。

 この文様は、単独に使用される場合と、霰(あられ)の地文と結び付いて、窠に霰文様となる場合がある。後者は中世以後の表袴(うえのはかま)や裳(も)に多く使用される。[吉村元雄]

 

 窠紋に同じ。

 

窠紋   (大辞林)

 有職文様の一。円弧を花弁のように四、五個輪につなぎ合わせた形。中に唐花や鳥を配する。

 鳥の巣の形とも瓜を輪切りにした形ともいう。御簾みすの帽額もこうの装飾に用いられるので帽額紋ともいい、「木瓜もつこう紋」ともいう。

 窠。

 

家紋

 そもそも家紋制度は、戦前は旧民法の下、「家制度」が存在しており、自家の家紋が入った紋付袴が日本の正装とされていた。

 家紋付きの着物や羽織、小物など多く見られ、仏壇に家紋が付いている場合がある。

 しかし戦後から日本で西洋化が一段と進んだ結果、家紋は古典的なものとして考えられるようになり、今では家紋が入っているものといえば墓石が代表的なものになっている。

 さらに昨今ではお墓を持つ方も減ってきているため、自分の家紋が入っているものを一切持たず、自分の家紋がわからない方もいらっしゃるらしい。

 家紋とは先祖から代々伝えられてきた家を表す紋章で、今風に言えば「我が家のロゴマーク」とも云える。

 一方、同じ名字の皆同じ家紋というわけではない。

 同じ名字でも出身地や家系・家業などによって様々な種類の家紋が伝わっており、名字は違っていても同じ家紋が伝わっている家も多く存在する。

 家紋は名字と合わせて自分の家系やルーツを実感できる親しみやすいシンボルとも云える。

 

襖(あお)

両方の脇(わき)をあけたままで、縫い合わせず、襴(らん)のない古代の上着。

 位階相当の色によるものを位襖(いあお)といい、武官の礼服や朝服に用いた。

 わきあけのころも。闕腋(けってき)の袍(ほう)。


《「狩襖(かりあお)」の略》狩衣(かりぎぬ)。


袷(あわせ)の衣。綿を入れたものもある。襖子(あおし)。

 

 

 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-12 【巻一 扈従(こしょう)、翳(かざし)】四十四〜四十七紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-01 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-12 【巻一 扈従(こしょう)、翳(かざし)】四十四〜四十七紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

 

 日本絵巻大成 8

【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙

日本絵巻大成 8  四十三〜四十七紙

 

鳳輦を囲んで、すでに馬から降りた近衛の次将以下、扈従(こしょう)の面々を描く。

赤衣の仕丁二人が、翳(かざし)を高々と上げる。

 

 

 

 

扈従(こしょう)

[名](スル)貴人に付き従うこと。また、その人。こじゅう。

「殿上人や上達部 (かんだちめ) がなお相当に―していて」〈谷崎・少将滋幹の母〉

 

扈(コ、したがう、つきそう、はぶびこる、ひろい)

 したがう。つきそう。つきしたがう。

 主人のお供をする者。従者。

 ひろい。広大。

「跋扈(ばっこ)」は、思うままに振る舞うこと。のさばりはびこること。

 

仕丁 (しちょう) (日本大百科全書)

「じちょう」ともいう。

 古代に行われた徭役(ようえき)制度の一つ。

 養老令(ようろうりょう)によると、仕丁は50戸ごとに2人が点ぜられ、中央官衙(かんが)で雑役に従ったが、1人は廝丁(かしわで)として炊事を担当した。

 仕丁には官粮(かんろう)が支給され、また労役の代償として租税のうち調・庸・雑徭(ぞうよう)が免除された

 仕丁制の起源は大化前代にまでさかのぼり、30戸を単位として2人が点ぜられていたのが、大化改新の際に50戸を単位として点ぜられることになった。

 その際、仕丁を養うために各戸から布と米を徴収し、これを庸とよんだ。

 この仕丁の庸は、歳役(さいえき)に従事するかわりに庸を出す制度が成立すると、これに吸収された。

 しかし718年(養老2)4月に至って、仕丁を出した戸が銭や綿を出す養物(ようぶつ)の制度として復活した。[長山泰孝]
『彌永貞三著『日本古代社会経済史研究』(1980・岩波書店)』

 

翳(かざし)

 1 頭上に掲げて,覆ったり陰を作ったりすること。また,その物。

 2 能で,扇を高くかざす型。

 3 (「茀」と書く)外からの視線をさえぎるために設けた塀や外の樹木、土手など。城や武家屋敷、御所などにも見られる。

 
 4 翳し文句の略
 
 絵巻物での翳(かざし)は槍のように長い棒状の先に、わらで丸く編んだ飾りをつけ、高く掲げている。
 
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-11 【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙 中央公論社 小松茂実編

2020-09-01 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-11 【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

 

 日本絵巻大成 8

【巻一 後白川上皇の法住寺殿】四十一〜四十四紙

日本絵巻大成 8  四十三〜四十七紙

 

鳳輦、後白川上皇の法住寺殿に着御 

寝屋(前図)、透渡殿(すきわたどの)、西対(にしのたい)、西中門とその廊に続く。

 

門の内。

庭の幕の前には、公卿が並ぶ。

 
 
 
 
 
鳳輦(ほうれん)
 
 1  屋根の上に金色の鳳凰(ほうおう)の飾りをつけた輿(こし)。
  晴れの行幸に天皇が乗用。
  一般に、天皇の乗り物。
 
 
後白川上皇   (大辞林)
 
(1127~1192) 第七七代天皇(在位1155~1158)。
 名は雅仁。鳥羽天皇の第四皇子。
 即位の際、崇徳上皇と対立、保元の乱を生じた。
 二条天皇に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。
 1169年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。
 また、今様いまようを好み「梁塵秘抄りようじんひしよう」を撰した。
 
 
透渡殿(すきわたどの)
 
 … 屋根材,建具などは対屋も寝殿と同じである。
 寝殿と東西対の間は南北2本の廊で結ばれるが,南側の廊は透渡殿(すきわたどの)と呼ばれ,建具のない吹き放しの建物である。
 東西対の南から南池に向かって延びる中門廊は外側に壁をはり,内側は吹き放しである。…
 
 
西対(にしのたい)
 
 寝殿造りで、主殿の西方にある建物。
 西の対の屋。西の方。
 ※伊勢物語(10C前)四「東の五条に大后の宮おはしましける、にしのたいに住む人ありけり」
 
西中門
 
 中門とは、
 寺院などで、南大門の後方にある門。
 通常、回廊の前中央部になどに設けられる。
 
 
公卿 
 
 1 公(こう)(=大臣)と卿(けい)(=大納言・中納言・参議・三位以上の官人)との称。
 
 2 広く、殿上人(てんじょうびと)。
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-10 【巻一 院御所(法住寺殿)、窠文(かもん)他】三十四〜四十紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-31 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-10 【巻一 院御所(法住寺殿)、窠文(かもん)他】三十四〜四十紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 院御所(法住寺殿)】三十四〜四十紙

 院御所(法住寺殿)の寝殿の南面。
 
 窠文(かもん)を表した縄張り。
 
 
 
 寝殿は南廂(みなみびさし)から周縁(まわりえん)の簀子(すのこ)
 
 院司で主上到着を法皇に奉上して戻るところ。
 
 
 
 
 
 
 
院御所(法住寺殿)
 1 上皇の居所。仙洞 (せんとう) 。藐姑射 (はこや) の山。
 2 上皇の呼称。
 
法住寺
 法住寺(ほうじゅうじ)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。後白河法皇ゆかりの寺である。
 
 
(カ)
 
 巣。鳥や獣の巣。地中にある巣。
 穴。くぼんだ穴。
 部屋。家。
 
窠文(かもん)
 
 元来動物の穴巣を意味している。
 
 転じて円形の区画を穴巣に見立てて、そのなかに唐花(からはな)が入っている文様を(かもん)という。
 
 またその形が瓜(うり)を輪切りにしたときの断面に似ているので、木瓜文(もこうもん)とよぶ場合もある。
 
 元来中国の唐代、朝服に用いられた文様の一つであったが、奈良時代に日本に伝わり、のちに公家(くげ)の有職(ゆうそく)文様となる。
 
 この文様は、単独に使用される場合と、霰(あられ)の地文と結び付いて、に霰文様となる場合がある。
 
 後者は中世以後の表袴(うえのはかま)や裳(も)に多く使用される。[吉村元雄]
 
 
南廂(みなみびさし)   (大辞林)
 
 清涼殿の南庇みなみびさしにある、殿上人の詰め所。院の御所にもあった。殿上。
 
南廂(みなみびさし)   (日本大百科辞典)
 
 清涼殿の南廂(みなみひさし)をいう。
 
 殿上人はここに控え、上の戸から東廂の御前に参進した。
 
 常には蔵人が詰めており、また、公卿の僉議(せんぎ)も行なわれた。
 
 清涼殿の控室・事務室・会議室を兼ねた所で、台盤(だいはん)、出御の際の椅子(いし)、殿上の簡(ふだ)、鳥口(とりぐち)の文杖(ふづえ)などがおかれている。
 殿上。
 
 ※侍中群要(1071か)五「候殿上之間大臣被参来者、起座隠去」
 
 
主上
 
  天皇を敬っていう語。 おかみ。 至尊。
 
 
法皇
 
 現在の天皇を指す意味で、今上天皇(きんじょうてんのう)と呼ぶこともあります。
 
 上皇とは太上天皇の略で、天皇の位を後継者に譲った天皇の称号です。
 
 太上天皇のことを「院」と呼ぶこともあり、平安・鎌倉時代にあった「院政」とは、この呼名からきています。
 
 法皇とは太上法皇の略で、出家した太上天皇に送られる称号です。
 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-9 【行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-30 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-9 【行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 行列の後陣と見物の群衆】二七〜三十三紙

褐衣の舎人

 褐衣(かちえ)

 褐衣(かちえ)・褐襖(かちあお)は、日本古代から中世にかけて、地下武官や左右近衛の随身(ずいじん)、鷹匠が用いた上着で狩衣(かりぎぬ)の一つ、および武家装束。

 

 舎人(とねり)《「との(殿)い(入)り」の音変化かという》

 1 古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者。

 2 律令制で、皇族や貴族に仕え、護衛・雑用に従事した下級官人。

  内舎人・大宮人・東宮舎人・中宮舎人などがあり、貴族・下級官人の子弟などから選任した。大宮人

 3 牛車 (ぎっしゃ) の牛飼いや乗馬の口取り。

 4 宮内省式部職の判任名誉官。式典に関する雑務に当たった。宮内省式部職

 

 式部職

 ① 宮内省の一部局。1884年(明治17)式部寮を改称して設置。宮中の祭典・礼式・交際・雅楽などをつかさどる。

 ② 宮内庁の一部局。皇室の儀式・交際・翻訳・狩猟・雅楽のことにあたる。
 
 
 
 大路に面する家々の前には、門松が立てられている。
 
 門松は今現在のように竹の三本に松や南天などを合わせて祀るのではなく、松の木そのものが地面に植えられている。
 
 
 門松
 
 松は冬でも青々とした常緑高木で新しい生命力の象徴となっている
 
 神様が宿ると思われてきた常磐木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきた。

 一説には唐代にみられた正月に松の枝を門に飾る風習が平安時代に日本に伝わったという(ただし中国で正月に松を飾る地域は限られている)

 平安時代の宮中では「小松引き」という行事が行われた。

 これは、初子の日に外出して松の小木を引き抜くという貴族の遊びで、持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣があり、門松はこれが変化したものと考えられている。

 現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られる。

 
 
 
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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-8 【突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-30 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 

 

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-8 【突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 突然走り出した二両の車と見物人達の様子】二三〜二六紙

 

 街並みの中には、見物客でごった返している。

 家の中には、一献交わして、酒に浮かれている。

 踊る人々。

 突然走り出した二両の車。

 馬は嗎き、人々は驚いて車にひかれぬように避ける。

 

 この場面は面白い^^

 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-7 【待賢門(たいけんもん)、宮城十二門】十三〜十六紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-29 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-7 【待賢門(たいけんもん)、宮城十二門】十三〜十六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 待賢門(たいけんもん)、宮城十二門十三〜十六紙

待賢門(たいけんもん)  (大辞林)

 平安京大内裏の外郭十二門の一。

 大内裏の東面の中央にある。郁芳門の北、陽明門の南。中御門なかみかど。 →大内裏

 

大内裏 (たいだいり とも云う)

 天皇の居所である内裏を中心として朝堂院や諸官庁を配置した一郭。

 多く平城京・平安京についていう。

 都の中央北に位置し、大垣に囲まれる。

 平安京大内裏は南北四六〇丈(約1394メートル)、東西三八四丈(約1164メートル)を占める。

 宮城。

 

宮城十二門(陽明門から時計回り)

 十二門  (大辞林)

 平安京大内裏の外郭にある一二の門。

 陽明門(東側)

 待賢門

 郁芳門

 美福門(南側)

 朱雀門

 皇嘉門

 談天門(西側)

 藻壁門

 殷富いんぷ門

 安嘉門(北側)

 偉鑒いかん門

 達智だつち門。

 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-6 【建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )】五、六紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-29 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-6 【建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )】五、六紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 建礼門(けんれいもん)、白馬節会(あをうまのせちゑ )五、六紙

 建礼門(けんれいもん)は、平安京内裏の外郭門の1つ、または、京都御所の門の1つ。

 

 平安宮内裏外郭の南正面にあり、内郭の承明門(じょうめいもん)と相対する。

 東西の築墻はそれぞれ39間で、その両端に春華門および修明門があり、門外の東西に仗舎を設け、舎前に炬火を焼き、左右の兵衛がこれを警固した。

 

 白馬節会(あをうまのせちゑ )がこの門前で行われた事から「青馬陣」ともいい、内裏の南にあるから「南端門」ともいい、外郭にあるから「外門」ともいい、「南面僻仗中門」ともいった。

 

構造としては檜皮葺(ひわだぶき)、切妻屋根の角柱の四脚門である。

京都御所南面正門は建礼門である。

現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされ、御所一般参観時にも開門されることはないが、間近で見学することはできる。  (ウィキペディア)

 

【白馬の節会】あをうま-の-せちゑ   (古語辞典)

 正月七日、左右の馬寮(めりよう)から二十一頭の「あをうま」を庭に引き出し、年中の邪気を除くとしてそれを天皇がご覧になって、そのあと宴を行った儀式。

 

【白馬の節会】

「白馬」と書いて、なぜ 「あおうま」と云うのか?

「あをうま」は、初めは青毛、または青みをおびた灰色の毛の馬であったが、醍醐(だいご)天皇のころから白馬に変わった。

 

 

 

 

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