乱鳥の書きなぐり

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-5 【承明門(じょうめいもん)】五紙 中央公論社 小松茂実編

2020-08-27 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-5 【承明門(じょうめいもん)】五紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

【巻一 承明門(じょうめいもん)】五紙

承明門(じょうめいもん)

 『年中行事絵巻』

  日本絵巻大成では、じょうめいもん、

  ウィキペディアでは、しょうめいもん

 承明門(じょうめいもん)は、平安京内裏の内郭門の1つ、または京都御所の門の1つ。 「南面内門」とも。

 

承明門(じょうめいもん)(国語大辞典) 

 内裏(だいり)紫宸殿(ししんでん)の正面にある内門。
 内郭の南面中央にあり、外郭の建礼門に対する。
 
 ※内裏式(833)上卯日献御杖式「開承明門〈相対開之〉先共北面立門内檀下
 
 
承明門(じょうめいもん)の屋根は、檜皮葺(ひかわぶき)  『年中行事絵巻』
 
 
檜皮葺(ひかわぶき)  (日本大百科全書)
 
 檜(ひのき)の樹皮、すなわち檜皮を葺き材料とした屋根葺き方法をいう。
 
 垂木(たるき)の上にこれと直交する方向に一定間隔で桟を打ち、その桟に釘(くぎ)や縄を用いて止めていくが、檜皮は密に重ねられ、その総厚が30センチメートル以上に及ぶことも珍しくない。
 
 棟は普通の瓦(かわら)葺きと同じく棟瓦(むながわら)、のし瓦、鬼板を使って収めることが多い。優美な外観となるが、同じ植物性材料とはいいながら、茅(かや)や藁(わら)に比して高価につくので、宮殿、神社、仏寺などに広く用いられても民家ではめったにみられない。
 
 檜皮葺きをもつ著名な建物としては京都御所の紫宸殿(ししんでん)、清涼殿などの主要殿舎があるが、同じ御所内でも付属屋にはむしろ瓦葺きが多用されている。
 
 これは、貴人の住居には中国風の瓦を避け、植物性材料を用いる古代以来の風習によるものと思われる。
 
 なお仏寺では吉野山蔵王(ざおう)堂が檜皮屋根をもつ最大の建物である。

 檜皮葺き屋根の耐用年数は15年程度とされるが、檜皮の採取や葺き上げには特殊な技術を要し、かつ森林資源保護の見地からも今後その供給が危ぶまれ、巨大な遺構の修理に支障のおこることが懸念されている。
 
 ただし可燃性材料であるので、市街地における一般建築への適用は法規で禁止されている。[山田幸一]
 
檜皮葺(ひかわぶき)
 
 神社や寺をお参りすると、檜皮葺(ひかわぶき)を見ることが多い。
 
 春日大社などの様に、檜皮の寄付を募っておられる所を度々見かける。

 

平安京内裏の内郭門  (日本大百科全書)

 宮城(大内裏)の中で天皇の住む一画。

 皇居。

 難波(なにわ)宮、藤原宮、長岡宮、平城宮などは発掘調査されているが、平安宮はほとんど未調査である。

 しかし各種の古図や江戸時代の有職故実(ゆうそくこじつ)家裏松光世(うらまつみつよ)(固禅(こぜん))が残した詳細な考証書『大内裏図考証(だいだいりずこうしょう)』などによって殿舎の配置・規模などはある程度わかる。

 内裏は平城宮までは朝堂院(大内裏の正庁)の真北にあり、長岡宮、平安宮では朝堂院のやや東に移された。

 これは公的な朝堂院と、天皇の私的な居所を分離したものであろう。

 しかし、律令(りつりょう)体制の変質によって、この平面の変化がかえって内裏を政治の中心的な場とし、朝堂院は儀式の場としての性格を強めることになった。


 平城宮の内裏として確認されているのは、宮城東寄りの壬生(みぶ)門――朝堂院の北に位置し、第二次内裏といわれた所である。

 築地(ついじ)回廊に囲まれた、1辺約180メートルの正方形の地域で、南側には東西9間、南北5間の正殿(平安宮の紫宸(ししん)殿にあたる)などを回廊で囲んだ一画があり、公の宴などが催されたりした場所である。

 北側は正殿より少し小さめの殿舎の周囲に建物が配され、天皇が起居する私的な区画であった。

 正殿などの殿舎は檜皮葺(ひわだぶ)きで板敷きのものが中心となっていた。

 内郭(築地回廊が囲む区域)の外側をさらに築地で囲み、これを外郭という。

 広い意味の内裏はこの全体を含み、内郭と外郭の間に、天皇の日常生活と関係の深い官衙(かんが)(官庁)があった。
 

 長岡宮(京都府向日(むこう)市)では、朝堂院の東方に内裏が確認されている。

 平城宮と同様外郭が存在しており、内郭は1辺約160メートルの正方形で築地回廊に囲まれ、その南中央に正殿が位置していた。

 正殿などの柱は抜き取られて、平安京の造営に使用されたらしい。


 平安宮の内裏は大内裏の中央東寄り、朝堂院の北東にあった。

 築地の外郭は東西113丈(約342メートル)、南北100丈(約303メートル)ともっとも大きい。

 東部に築地回廊で囲まれた内郭、その北に蘭林坊(らんりんぼう)、桂芳(けいほう)坊、華芳(かほう)坊、西に中和院(ちゅうかいん)、内膳司(ないぜんし)、采女町(うねめまち)があった。

 内郭は東西57丈(約173メートル)、南北72丈(約218メートル)で、南側中央に位置する紫宸殿と、その南にある4殿が公的な部分であり、北側に清涼(せいりょう)殿など天皇の私的な殿舎があった。

 その北が皇后・女御(にょうご)などの居所がある後宮で、建物は檜皮葺き、素木(しらき)(白木=木地のままの木材)造、板敷きであった。

 このように南北に公私を分け、左右対称に殿舎を配する形態は平城宮でもみられたが、各建物を廊で結んだのが平安内裏の特色である。
 

 794年(延暦13)の平安遷都でつくられた内裏は、約160年後の960年(天徳4)に全焼、ただちに木工寮(もくりょう)、修理職(しゅりしき)と27か国に造営を分担させ、翌年完成した。

 その後、火災の頻発により、一条殿などの里内裏(さとだいり)が現れ、平安後期になると天皇は日常は里内裏に住み、儀式のときに内裏に帰るようになり、初めから里内裏として造営される邸宅もあった。


 鎌倉時代も同様で、本来の内裏は1227年(安貞1)焼亡したのちは再建されていない。

 建武(けんむ)の新政で大内裏再建が計画されたものの中止され、南北朝以後は鎌倉末期につくられた土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が、内裏として固定する。

 ここは規模も小さく、構成なども平安内裏とはかなり異なっていた。

 近世に入って規模が拡大され、江戸後期の1788年(天明8)の火災後、紫宸殿、清涼殿などが平安内裏を復原して造営され、1854年(安政1)に焼亡したがすぐ再建され、1869年(明治2)の東京遷都まで皇居であった。

 現在の京都御所がこれである。[吉田早苗]

 

内裏

 内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。

 都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所である内裏があった。

 

 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-4 【鳳輩、輿丁、供奉】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-26 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-4 【鳳輩、輿丁、供奉】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

【巻一 朝覲行幸】四紙

鳳輩

 神輿は諸説あるが、鳳輦から発展し、神霊が乗ることに特化したものであるという解釈ができる。

 成人男性が1人で持てそうな小型の物から、中に入れそうな大型のものまである。 神輿と鳳輦を合わせて「輦輿」(れんよ)と呼ぶが、定義もさることながら、外見では判断しにくいため、双方とも「神輿」と総称されているのが現状である。

 

輦輿(れんよ)

 轅(ながえ)を肩に当てて移動する輿(こし)。

 

轅(ながえ)〔長柄ながえの意〕

 馬車・牛車ぎつしやなどの前に長く出した二本の棒。
 
 その前端に軛くびきをわたして牛馬にひかせる。 →牛車
 

輿丁

 輿(こし)をかつぐ人。こしかき。駕輿丁(かよちよう)。

駕輿丁(かよちょう)

 駕輿丁(かよちょう)は、かつて日本の朝廷に所属し、高貴な人物の載る駕輿(がよ、鳳輦や輿の意)を担ぐことを主たる任務とした下級職員である。

 輿丁(よてい・よちょう)、輿舁(こしかき)ともいう。 平安時代末期(12世紀末)に現れた、寺社等に属する輿を舁く剃髪の者は、力者(りきしゃ)と呼ぶ。

 

供奉[名](スル)   (大辞泉)

行幸や祭礼などのときにお供の行列に加わること。また、その人。おとも。
「鳳輦(ほうれん)の前後を守護し美々しく―し給える有状」〈染崎延房・近世紀聞〉

《「くぶ」とも》「内供奉」の略

 

供奉[名]
 
 ① (「くぶ」とも) (━する) 物を供給すること。
   供えること。供え奉ること。
  ※続日本紀‐和銅元年(708)一一月己卯「大甞。遠江但馬二国供奉其事
 
 ② (━する) 従事する、仕えるの意を、その動作の相手を敬っていう語。
  お仕え申し上げること。
  ※令義解(718)職員「侍医四人。〈掌奉診候。医薬〉」
 
 ③ (━する) 天皇の行幸などの行列に供として加わること。
  また、供の人々。
  ※太平記(14C後)一一「此寺に一日逗留有て、供奉(グフ)の行列還幸の儀式を被調ける処に」
 
 ④ (「くぶ」とも) 仏語。宮中の内道場に奉仕する僧。
  内供奉(ないぐぶ)のこと。日本では十禅師が兼ねた。
  内供(ないぐ)。供奉僧。
  ※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「若復、印可紹構者、義明供奉其人也」
 
 ⑤ =供奉僧

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-3 【巻一 朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

【巻一 朝覲行幸】一紙

黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)とは、平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束。

「黄櫨染」色の袍(ほう)のことである。

 黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は櫨(はぜ)の樹皮と蘇芳(すおう)から染め出される色で、「赤みがかった黄色」や、「黄がかった茶色」等と言われる。

 時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられている

 令和元年(2019)の即位昇段の儀における海外報道の多くでは、その色調はbrown-goldと評され

 

袍(ほう)

 袍(ほう)とは、日本や中国などで用いられる衣服。

 日本においては、朝服の上衣のひとつ。

 武官・幼年用の闕腋袍(けってきのほう。 両わきの袖付けの下を縫い合わせない)と、文官用の縫腋袍(ほうえきのほう。)

櫨(はぜ)

 うるし科

蘇芳(すおう)

 蘇芳(すおう)とは、黒みを帯びた赤色のことで、『蘇方色』『蘇枋色』とも書きます。

 蘇芳とは染料となる植物の名前で、蘇芳の芯にある色素を明礬(みょうばん)や灰汁を使って発色させたものです。

 明礬焙煎では赤に、灰汁で赤紫に、鉄では暗紫になります。

 今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われています。

 

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を真っ黄色に置き換えるっと、

 歌舞伎『蜷川十二夜』の翫雀(現鴈治郎)の衣装だわ^^

 この衣装では、翫雀(現鴈治郎)さん、

「ぼっちぃ(僕)、ぼっちぃ(僕)。

と連発されていたなぁ^^

 歌舞伎、見たいなぁ^^

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-2 【年中行事絵巻、朝覲行幸】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

『年中行事絵巻』小松茂実

 もとは12ヶ月全て、宮中腫瘍の年中行事を絵画化

 一年の前半が比較的残る。

 7〜9月、12月がほとんど残ってない。

 

『朝覲行幸』 

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

『朝覲行幸』(日本第百科全書)

 覲は謁見の意で、天皇が親である太上(だいじょう)天皇・皇太后の居所を訪問し拝謁すること。

 朝覲行幸とはそのために行幸、すなわち外出すること。

 嵯峨(さが)天皇の809年(大同4)8月に始まったとされ、平安時代に盛んになる。

 鎌倉時代まで行われたが、以後は下火になった。

 年始の挨拶(あいさつ)として正月の3、4日ごろに行われるのが朝廷の恒例の儀となったが、ほかに践祚(せんそ)、即位または元服のあとに行われる臨時の儀もあった。[酒井信彦]

 

朝覲

 朝覲(ちょうきん)とは、天皇が父母もしくはそれに準じる太上天皇・女院に拝礼すること。

 対象者が天皇の御所の外に別個に御所を設けて居住している場合には、天皇の行幸を伴うことになり、こうした朝覲を目的とした行幸を特に朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)と称する。

 

朝覲  (大辞林)
 
 ① 天皇が太上天皇や皇太后の御所に行幸し、恭敬の礼をつくすこと。
  年頭に行われる恒例の儀と、践祚・即位・元服の後に行われる臨時の儀とがある。
 
 ② 諸侯や属国の主が天子に拝謁すること。
 
行幸 ( 名 )
 
 天皇がが出かけること。みゆき。
 
行幸 
 
 《名・ス自》天皇のお出まし。みゆき。
 
 
 
 
 
 

 

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『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

2020-08-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 祇園祭 鷺舞 (八坂神社にて)

 

 

  『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-1 【下調べ】 中央公論社 小松茂実編 1977年12月20日

 

 

小松茂実

1977年12月20日

 

『年中行事絵巻』  (大辞林)

 絵巻物。

 平安後期の成立。

 後白河院の命により常盤光長らが制作。

 当時の宮廷での年中行事や民間風俗が描かれている。

 もと六〇巻と伝えられるが焼失、現在は模本一六巻その他が伝わる。

 

『年中行事絵巻』  (日本大百科全書)
 
 絵巻。
 平安時代における宮中の儀式や、祭事、法会(ほうえ)、民間の宗教上の風俗など、年中の行事を集めて描いたもの。
 平安末期に後白河(ごしらかわ)法皇が六十巻余に及ぶ絵巻を常盤光長(ときわみつなが)を中心に制作させ、藤原基房(もとふさ)に校閲させて蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の宝蔵に収め後世に伝えた。
 この原本はしだいに散逸し、残ったものも江戸時代に幾たびかの内裏(だいり)の炎上で焼失した。
 現在は失う前に模した模本が伝わり、田中家その他に分蔵される。
 これは、1661年(寛文1)ごろ、宮中にあった原本を土佐広通(ひろみち)(住吉如慶(じょけい))が写した白描(はくびょう)模写十六巻をはじめとしたもので、二十四、五巻分の図様を伝えている。
 近世の模写とはいえ、平安時代の風俗資料としてきわめて高い価値を有する。[村重 寧]
『新修日本絵巻物全集24 年中行事絵巻』福山敏男編(1978・角川書店) 
『日本絵巻大成8 年中行事絵巻』小松茂美編(1977・中央公論社)』

 

後白河院

 第七十七代天皇。後鳥羽天皇の第四皇子。

 母は藤原公実の娘。

 戦乱の世にあり、長く院政をすすめた。

 仏教を厚く信仰。

 東大寺の大仏再建。

 今様を愛す。

『梁塵秘抄』を編纂した。

 建久3年(1192)66歳、歿

 

『梁塵秘抄』

 平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。

 主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。

 記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明である。

「今様」は、その当時として〈今よう〉、つまり現代ふうという意味で名づけられたもの七五調四句の詞型を特徴とし、独唱者が主として鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡ったのではないかと推定されている。

 歌詞集及び口伝集、ともに10巻ずつがあったと推定されているが、歌詞集の巻1の断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。

 成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる。

 現存本では566の今様を長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、今様、法文(ほうもん)歌、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌などに分類して収載している。口伝集には撰述の事情などが記してある。

 平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史音楽史のみならず風俗思想史上にも重要な資料である。

 

常盤光長

 12世紀後半,後白河上皇のもとで活躍し,『年中行事絵巻』や『伴大納言絵詞』の筆者に擬せられる宮廷絵師。

 生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが,後世土佐派の系図において,基光,隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ,当時の能画の第一人者と目された。

 この光長は,後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。

 

藤原基房

 [生]久安1(1145).京都

 [没]寛喜2(1230).12.28. 京都

 平安時代末期の廷臣。

 関白忠通の次男。

 松殿,中山菩提院などと呼ばれた。

 保元1 (1156) 年正五位下となり,権中納言,内大臣,左近衛大将,右大臣を経て長寛2 (64) 年左大臣。

 仁安1 (66) 年後白河院政下で摂政,関白となったが,平氏抑圧を策して平清盛によって治承3 (79) 年解任された。

 のち宮本義仲結んで復活したが,義仲の死後失脚した。

 

土佐広通

 室町初期から幕末にいたるまで,おもに宮廷の絵所を拠点として日本の伝統的な絵画様式を継承・保持した画派。

 1414年(応永21)に描かれた京都清凉寺の《融通念仏縁起絵巻》に,各場面を分担制作した6人の画家名が記されるが,そのなかに〈土佐〉と呼ばれた2人の画家,行広と行秀の名が知られる。

 行広は《教言(のりとき)卿記》応永13年(1406)10月29日条に土佐将監と記され,《足利義満像》を描いたのをはじめ1443年(嘉吉3)まで活躍し,経光と号した

 

絵所

 画(絵所・えどころ)とは、平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ。

 本来は宮廷の絵画・意匠を考案・制作する「所」であるが、鎌倉時代には絵画の需要が多い寺社の工房にも置かれるようになり、南北朝時代には独立した絵師の工房に対しても用いられるようになった。

 

『融通念仏縁起絵巻』

 融通念仏宗の開祖良忍の伝記、同宗の功徳などを描いた2巻本の絵巻物。

 念仏勧進のため正和3年(1314)に最初の作品が成立し、以後広く伝写された。

 南北朝時代に良鎮 (りょうちん) の勧進により制作された「知恩院本」、明徳2年(1391)制作の木版による「大念仏寺本」、この木版本の図様を踏襲した紙本著色の「清凉寺本」(応永年間の作)などがある。

 特に清涼寺本は六角寂済 (じゃくさい) 、藤原光国、土佐幸宏、粟田口隆光ら、当時一流の画家たちが制作に参加しており、室町期の大和絵の貴重な作例として国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

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『一遍上人絵伝』日本絵巻物大成 別巻(中央公論社)で悪戦苦闘四苦八苦だが、四月までには読み進めるよ!

2019-01-16 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

 『一遍上人絵伝』日本絵巻物大成 別巻(中央公論社)で悪戦苦闘四苦八苦だが、四月までには読み進めるよ!






『一遍上人絵伝』の絵がとても美くしい。

 大変厚い大型本の為、机上に広げて読み始めたが、訳あって首が痛い。

 下を覗き込んで読むは首に苦痛を伴い難しいと判断した。

 私は、大型本を立てて読み始めた。

 水で濡れた部分がある為か、広範囲にわたり文字穴が空いている。

 こういった部分の文字の穴埋めについて、専門家はどのような方法をとるのかといった基本的方法を家族に教わる。

 あら!ま!パズルのようなというと、家族は笑っていた。


 立てて読んで見たものの、やはり使い勝手が悪く、長くは読めない。

 本は大きく、厚く、重力で立つとはいえ、添えるての負担は大きく、重すぐる。

 見かねた家族が、文字部分をコピーしてくれた。

 だが、悲しきかな、A3では小さすぎて、文字を複写しづらい。

 
 家族曰く、いろいろな方向からとったから、文字をつなぎ合わせて見ればいいよ、と。


 あらあら、ご造作をおかけしました、ご主人様^^


 しかし、とってくれたのはごく一部…の割には、枚数が多い(笑)

 この先どういう工夫をして読めばいいのか?

 写真で写して、プリントアウトする方法が一番無難かなと感じた。

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「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 『一遍上人縁起絵』の全巻!!!が公開 京都国立博物館  (会期中展示替え有り)

2018-10-25 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風


会期:2019年4月13日〜6月9日 ※会期中展示替え有り
会場:京都国立博物館 平成知新館
住所:京都市東山区茶屋町527
電話番号:075-525-2473
開館時間:9:30〜18:00(金土〜20:00) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月(ただし4月29日、5月6日は開館)、5月7日
料金:一般 1500円 / 大学生 1200円 / 高校生 900円 / 中学生以下無料



 昨夜遅くに帰宅し雑用を済ませてほっこりしていると、家族が絵巻物全集を指差しながら、次のように教えてくれた。
「来年京都国博で、『一遍上人縁起絵』の全巻が公開されるから行こうよ。」
 絵巻物には目のない私である。速攻、
「通いたい〜。」
「うん、行こう。」
と、めでたく話はまとまった。

 会期は2019年4月13日〜6月9日、巻を変えての展示となるらしい。
 うまい!
 生まれ育った、京都が近づいた。
 
 絵巻物が好きで、こうして絵巻物全集を購入してしまった私。
 絵巻物全集は、族と続々もあるのだが、続と続々を同時に購入すれば、7桁の散財。
 私は続と続々は持ってないので、いつも図書館からお借りしている。
 ところが幸運にも『一遍上人縁起絵』は私の持っている全集に含まれている。
 絵巻物の中でもかなり厚い本に仕上げられている。
 だが、博物館でオリジナルを拝見させていただく前に、二、三度は読み込んでおきたい。
 幸い期間までは半年もある。
 幸運に幸運が重なることに感謝したい。

 京都国立博物館は子供の頃から馴染みある博物館である。
 始まりは小学生の頃の課外授業。
 高学年の頃に、二度連れていただいてからのお付き合いである。
 
 京都国博は素晴らしい絵巻物を多く所蔵されていらっしゃるので、一日いても見飽きない。
 新年の改装後にも素晴らしい絵巻物や、巻物が多く展示された。

 レストランは混むので、昼食持参が好ましい。
 ゆったりとくつろげ、一日楽しめる博物館の一つである。


 




 国宝《一遍聖絵》全12巻を展示。京都国立博物館で特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」が開催
 踊り念仏で知られる時宗とその宗祖・一遍上人。この時宗の基盤を整備し、大きく発展させた二祖・真教上人の700年遠忌にあたる2019年、京都国立博物館で特別展「国宝 一遍聖絵と 時宗の名宝」が開催される。


 一遍(1239~89)が鎌倉時代に開いた「踊り念仏」で知られる宗派・時宗。一遍は念仏を唱えることで誰もが往生できると説き、諸国を行脚し、念仏札を配り布教に努めた。この時宗を大きく発展させたのが二祖である真教(1237~1319)であり、2019年は真教の700年遠忌に当たる。

 この真教700年遠忌を記念し、京都国立博物館で開催される特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」は、時宗に伝わる名宝の数々を一堂に紹介するもの。時宗をテーマにした大規模展は今回が京都初となる。

 展示は「浄土教から時宗へ」「時宗の教え 一遍から真教へ」「国宝 一遍聖絵の世界」「歴代上人と遊行 時宗のひろまり」「時宗の道場のその名宝」の5章構成。

 なかでも見どころとなるのは、鎌倉時代の国宝《一遍聖絵》だ。絹地のこの絵巻は、一遍の没後である1299年に描かれたもので、一遍の生涯を12巻におよぶ絵巻で紹介したもの。

 一遍の高弟・聖戒(しょうかい)が著述し、出自が謎に包まれた絵師・円伊(えんい)によって描かれたこの作品。山水や寺社、そして人々の様子を克明が描き出された同作は、中世の歴史を語るうえで重要な作品だ。

 本展を担当する京都国立博物館研究員・井並林太郎はこの作品について「日本美術史上、ほかにない名品。旅を描いた鎌倉時代絵巻の傑作です」と語る。「大和絵(平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画)と漢画(中国絵画の画題・手法による日本絵画)の技法を融合させたもので、この時代の作品としてほかにはありません。民衆の人々の顔や仕草が非常に細かく描かれており、温かいまなざしが感じられます」。

 なお、このほか本展には神奈川・藤沢や京都、奈良の道場(時宗の寺院)に伝えられてきた文化財を多数展示。清浄光寺の重要文化財《後醍醐天皇像》をはじめ、阿弥陀寺の重要文化財《阿弥陀如来立像》など出品総数は134件におよぶ(うち国宝3件、重要文化財34件、重要美術品2件)。
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『二月堂縁起絵巻』     ( 『平成27年度特別陳列「お水取り」展』より)

2015-03-08 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風


  『二月堂縁起絵巻』      『平成27年度特別陳列「お水取り」展』より




 

 

 



 


『二月堂縁起絵巻』
 修二会の草創説及び、二月堂にまつわる諸説 
 四人の貴顕(きけん)の分筆




  上巻 二月堂ができる
  
     僧が魚を捕り、黒と白の鳥(鵜?)が生まれる →閼伽井

  下巻 魚を食べた女が香水を飲み、大蛙を吐き出し、病が治る。

     魚を食べた僧が病にかかる。その子孫も◯◯病にかかり乞食となる。奈良阪の◯◯病の人々に、東大寺の僧は粥食を与える。





  今回の『二月堂縁起絵巻』では、上巻下巻で そういった場面の部分が展示されていました。

 これを読むだけで、三、四十分かかる私。今回も展示物全対で三時間以上かかりました。
 夫は館内別行動。時々私に説明をしてくれながら、見ていました。


 粥食のお櫃(おひつ)や『お水取り絵巻』に出てくる柄杓(ひしゃく)などの実物が展示されていました。
 大変わかりやすく、具体的にイメージをしやすい展覧会でした。
 展覧会の後は修二会の「初夜上堂お松明」を拝見させていただき、東大寺さんがまた一つ、身近に感じられたように思います。


 招待券を二枚頂戴しておりましたが、一枚で二名入場できました。
 奈良公園のあたりは美しくならの中でもとても好きな所なので、今年も東大寺さんへ何度もお参りしようと思いました。





       2015年3月6日





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特別展覧会 修理完成記念『鳥獣人物戯画と高山寺展』から「明恵上人像」など 京都国立博物館

2014-12-06 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

  特別展覧会 修理完成記念『鳥獣人物戯画と高山寺展』から「明恵上人像」など 京都国立博物館


 
『明恵上人歌集』

   アカアカヤ アカアカアカヤ アカアカヤ アカアカアカヤアカアカヤツキ
   http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/885bec66bdda79d12238586fba1ec2ea(乱鳥記録)



『鳥獣人物戯画と高山寺展』とあって、明恵上人に関連した展示物が複数点ございました

『明恵上人歌集』も展示されておりました。
『明恵上人歌集』は巻物でございました。
 今回は2013年(京都国立博物館)展示とは違った部分が広げられておりました。

 アカアカヤ アカアカアカヤ アカアカヤ アカアカアカヤアカアカヤツキ

 もう一度見とうございました^^




 

 

 

 





 今回は簡単な記録にて失礼いたします。






   『鳥獣人物戯画展』 京都国立博物館



「鳥獣人物戯画」は、日本で最も有名な絵巻物のひとつ、平安時代から鎌倉時代にかけて制作されたといわれます。

 世界的にもマンガやアニメのルーツとして知られる国宝「鳥獣人物戯画」。

 京都国立博物館の常設展建物を4年がかりで行われた全面修理完了を記念して行われた特別展覧会でした。

 私は始まってすぐに見に行きました。

 夫はずいぶん昔に見たらしく、大変懐かしそうに見入っておりました。


 

 

 

 

 鳥獣人物戯画の主な作品
(1)国宝 鳥獣人物戯画(甲巻)平安時代 《後期展示場面:11月5日~11月24日》(部分)
(2)国宝 鳥獣人物戯画(乙巻)平安時代 《後期展示場面:11月5日~11月24日》(部分)
(3)国宝 鳥獣人物戯画(丙巻)鎌倉時代 《前期展示場面:10月7日~11月3日》(部分)
(4)国宝 鳥獣人物戯画(丁巻)鎌倉時代 《前期展示場面:10月7日~11月3日》(部分)
(5)重要文化財 子犬 鎌倉時代《全期展示》
 全て 高山寺蔵









「鳥獣人物戯画」は平安時代から鎌倉時代にかけて制作されたといわれます。
特に、ウサギやサル、カエルなどの動物が遊び戯れる様子を描いた甲巻がよく知られていますが、その他にも牛や馬から麒麟や竜などの空想の生き物までを動物図鑑のように描いた乙巻、前半に人々・後半に擬人化した動物たちが勝負事に興じる様子を描いた丙巻、そして仏事や踊り、騎射などの中世の人々の暮らしや風俗を描いた丁巻があり、全4巻で構成されています。
絵巻物には珍しくストーリーや解説の文章(詞書/ことばがき)は一切ない点が特徴で、墨の線のみで生き生きと描かれた人々や動物たちの様子は、まるでアニメーションの一コマを見ているかのようです。
今回の特別展では、そんな「鳥獣人物戯画」を修理後初めて一挙公開。前後期に分け、全4巻に描かれた全場面を修復の過程や作業中の新発見とともに展示します。

また、「鳥獣人物戯画」を所蔵する高山寺についてもあわせて紹介します。高山寺は鎌倉時代の仏教宗派・華厳宗(けごんしゅう)の僧・明恵上人(みょうえしょうにん)ゆかりの古刹で、彼の豊かな教学により多彩な寺宝が残されました。人間だけでなく動物にも慈悲深く接したといわれる上人の影響か、動物に関する品々も多く伝えられています。今回は、明恵上人の肖像画や愛用の品、経典や仏画、絵巻など思想に関連する文化財を展示します。

時代を越えて「日本絵画史の傑作」と、それを守り伝えてきた寺院。その世界観と魅力を、この機会にご堪能ください。

※会期中、一部展示作品・場面の入れ替えがございます。
【前期】10月7日~11月3日/【後期】11月5日~11月24日



『明恵上人歌集』アカアカヤ アカアカアカヤ アカアカヤ アカアカアカヤアカアカヤツキ 








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特別展覧会 修理完成記念『鳥獣人物戯画と高山寺展』 京都国立博物館

2014-12-06 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

  特別展覧会 修理完成記念『『鳥獣人物戯画展』 京都国立博物館



「鳥獣人物戯画」は、日本で最も有名な絵巻物のひとつ、平安時代から鎌倉時代にかけて制作されたといわれます。

 世界的にもマンガやアニメのルーツとして知られる国宝「鳥獣人物戯画」。

 京都国立博物館の常設展建物を4年がかりで行われた全面修理完了を記念して行われた特別展覧会でした。

 私は展示されてすぐの10月に『鳥獣人物戯画と高山寺展』と常設展、11月に常設展のみを見に行きました。

 ずいぶん昔に見たらしく、「鳥獣人物戯画」は夫にとって特別の思いとでもいいましょうか。大変懐かしそうに見入っておりました。


 

 

 

 

 鳥獣人物戯画の主な作品
(1)国宝 鳥獣人物戯画(甲巻)平安時代 《後期展示場面:11月5日~11月24日》(部分)
(2)国宝 鳥獣人物戯画(乙巻)平安時代 《後期展示場面:11月5日~11月24日》(部分)
(3)国宝 鳥獣人物戯画(丙巻)鎌倉時代 《前期展示場面:10月7日~11月3日》(部分)
(4)国宝 鳥獣人物戯画(丁巻)鎌倉時代 《前期展示場面:10月7日~11月3日》(部分)
(5)重要文化財 子犬 鎌倉時代《全期展示》
 全て 高山寺蔵




 今回は簡単な記録にて失礼いたします。
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チェスター・ビューティー・ライブラリィ所蔵『義経地獄破り』   再読開始  (3枚)

2014-11-22 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風




       チェスター・ビューティー・ライブラリィ所蔵『義経地獄破り』




 以前にも読んだチェスター・ビューティー・ライブラリィ所蔵の『義経地獄破り』を読み始めています。

 以前にも記録しましたが、美しいので紹介させていただきます。

 
 

 

 

 写真は上巻の初めの部分です。

 表紙はここには載せていませんが、色とりどりの蝶が五匹、赤金の地色の上を飛び交っており、たいへんうつくしゅうございます。



 今年も読みかけの本が多く、読書記録数が伸び悩んでいます^^

 私の部屋を見れば…

 常時併読本が数冊から十冊程度散らばっては片付け、整理しては氾濫する状態です(汗)

 あらま!どうしましょう…(笑)



 どなた様も楽しいお時間をお過ごしになってくださいませ^^






          
          蘇る絵巻・絵本
          チェスター・ビューティー・ライブラリィ所蔵
         『義経地獄破り』
          勉誠出版株式会社
          2005年
          5800円+税
          
          






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『大黒舞』の大悦気分を味わえる竜田川の散歩でした。 (「ふ政」さん 2景)

2014-11-14 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風






 

 


 竜田川の散布を楽しんでいますと、ふ屋さんがありました。

 お店を覗いてみると、いろいろな「ふ」があります。

 

 わたくしの実家(京都)の近くには湯葉やさんがありました。

 朝その近くを通りましと、壁横に小さく突き出た煙突から大豆炊いた匂いが漂います。

 なんだか、こういったお店は懐かしく感じます。

 

 店主が案内してくださいましたので、「おふ」を幾つか購入しました。

 6つ500円の「ふ」はいろいろな種類を混ぜて選びました。

 少し珍しいものでは、山芋の入った「ふ」というのがありました。これも購入です。

 生まれて初めて、「おふ」を7袋も買ってしまいました。

 

 さてさてどうしたものでしょう…。

「ふ」といえば いくら頑張ってもグラタンはいただきたくないし、すき焼きか、お味噌汁か、卵とじ、にものや炒め物の具くらいしか思いつきません。

 ところが、袋のお城にはアイデアメニューが幾つか書かれていました。

      酢の物
      ナン(カレーをつける)
      チーズフォンジュ
      唐揚げ
      そのまま食べる

 いろいろな食べ方があるものですね。

 

 ところで   「ふ」

 ふ   …と書いて、違和感を覚えています。

 この「おふ」ですが、京都では「ふぅ」と言います。

 加えて、ふ屋さんとなると、「ふ」の後に「a」がきますから、「ふぅ」屋さんでなんら問題は無さそうです。

 どうしても「ふ」にこだわるなら「ふ」の前に「o」を付け加えると、お「ふ」屋さんとなり、すんなりいきます。


 話を戻して「ふ」

「ふ」と書くと「Fu」という風に感じてしまいます。

 しかしながら「ふ」は「富」という音にもつながり、縁起が良さそうです。

「富」は『大黒舞』(絵巻物)の大悦を思い浮かべ、幸せを感じます。

 小判のような形の「ふ」もあります。

 両手に「富」(ふ)を手に入れた私は、まさに大悦気分。嬉しい散歩でした。

 
 



           ふ政
           竜田川(龍田川)沿い    奈良県
 







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92:『稲生物怪録絵巻集成』(杉本好伸編 国書刊行会出版)から『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)

2014-09-07 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風


  

   92:『稲生物怪録絵巻集成』(杉本好伸編 国書刊行会出版 304ページ)から『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)


 

 

 

 今読んでいる本に『稲生物怪録絵巻集成』があります。
『稲生物怪録絵巻集成』はこれまでにも色々な本に載っており、絵巻物の一部分を読んだことがありました。
 今回は稲生物怪録のうち、絵本です。

 絵巻と絵本では全く内容が違います。
 しかし、話の展開の形式は同様です。

『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)と『稲生平太郎物語』(東北大学付属図書館(狩野文庫)所蔵)と『稲生物怪図記』(西尾市岩瀬文庫所蔵)比較しながら、絵を見たりざっと飛ばし読みしますと、それぞれの面白さを感じます。

 今読んでいる絵本は『稲生物怪録絵巻集成』(杉本好伸編 国書刊行会出版 304ページ)から『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)。
 絵本三作品のうち『稲生逢妖談』だけは比較的丁寧に読んでいます。
 
 絵本でも『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)と『稲生平太郎物語』(東北大学付属図書館(狩野文庫)所蔵)は絵も文(の長さや内容)も似ており、『稲生物怪図記』(西尾市岩瀬文庫所蔵)は少し短く無いようも違う事が多いようです。
 絵本三作品を(適当に…笑)比較しながら『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)を中心に 今のところ、十夜まで楽しむことができました。

 写真は九夜目。
『稲生逢妖談』は大変面白い絵本ですが、特に「九夜乃夜」は何ヶ所も大笑いの連続でした。
『稲生逢妖談』は絵も文も楽しいですね。

 あっぱれじゃ!
         …と、思わず両手を上げてみたくなります。

 

 ここのところ夕刻になると 風にのせ、小雨にのせ、コオロギやスズムシの音色がすずやかです。
 秋の夜長に稲生物怪録はなんだか似合います。

 

 

 

 





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59: 『春日権現霊験記絵 上 』から 巻五、巻六  続日本絵巻大成14  中央公論社 小松茂美・久保木彰一

2014-05-03 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風


 59: 『春日権現霊験記絵 上 』から 巻五、巻六  続日本絵巻大成14  中央公論社 小松茂美・久保木彰一 昭和57年





 
『春日権現霊験記絵 上 』 
 続日本絵巻大成14
 中央公論社
 小松茂美 編者
 小松茂美・久保木彰一 執筆者
 昭和57年



 連休前半、『春日権現霊験記絵 上 』から巻五、巻六を楽しむ。

 巻五 五段では異形の僧が出てきて、天狗でした^^
 こういったお話、とっても好きな私です☆

 巻六
 

汝もし地獄やみたきとおほせられたれハ(バ)
 そのこと こひねがふところなりと申


 上の「そのこと こひねがふところなり」のところで、思わずほくそ笑ってしまった私。

 地獄絵と言えば…
 余談ですが、只今法隆寺春季秘宝展では「紙本著色 八大地獄図 (天文八年 1539)」が公開されています。

 引き続き余談ですが…
『春日権現霊験記絵 上 』の巻二にも「僧兵」の絵が描かれています。
 昨日、東大寺の練り供養と法要で「僧兵」様たちをお見かけしました。
 法要では「僧兵」様たちは両脇に座っておられ、色々な絵巻物に描かれた「僧兵」みたいだなぁって見入ってしまいました^^
 





 『近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝2』京都文化博物館(類聚歌合、短冊手鏡、春日権現霊験記絵巻)
 『和歌山県立博物館所蔵 熊野権現縁起絵巻』(勉誠出版 柳川家蔵絵巻(断簡))
 『春日大社宝物殿 特別公開 華やかな屏風と祭礼図』(春日若宮御祭礼絵巻物/若宮祭絵巻)



 



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51: 『春日権現霊験記絵 上』(巻一から巻四まで) 続日本絵巻大成14 中央公論社(6枚)

2014-04-20 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風


 51: 『春日権現霊験記絵 上』 続日本絵巻大成14



 
『春日権現霊験記絵 上 巻四』 
 続日本絵巻大成14
 中央公論社
 小松茂美 編者
 小松茂美・久保木彰一 執筆者
 昭和57年


 これは面白い☆ 地名まででているよ!^^! 
 それにしても、こんなに匂わせた基本は同じのお話まで載せられているのね^^
 絵巻物って、おもしろいなぁ。
 絵巻物の描かれ方って、歌舞伎の筋書きの組み立て方にも同様のものがあるような気がします^^v
 

 
 
 

 
 

 こういう絵がでてくると、ワクワクします^^
『春日権現霊験記絵』にも宮大工や僧兵や平家や色々でてきまする^^
 

 

 
 
 

 展示物としては『春日大社宝物殿 特別公開 華やかな屏風と祭礼図』(春日若宮御祭礼絵巻物/若宮祭絵巻)、『近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝2』京都文化博物館(類聚歌合、短冊手鏡、春日権現霊験記絵巻)、書物としては『春日権現霊験記』(春日大社で宝物殿発行 平成21年)、『和歌山県立博物館所蔵 熊野権現縁起絵巻』(勉誠出版 柳川家蔵絵巻(断簡))を楽しませて頂いた。
 今回は気合いを入れて辞書をひきつつ後ろを見つつ丁寧に読んでいるつもり^^;;。


 『近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝2』京都文化博物館(類聚歌合、短冊手鏡、春日権現霊験記絵巻)
 『和歌山県立博物館所蔵 熊野権現縁起絵巻』(勉誠出版 柳川家蔵絵巻(断簡))
 『春日大社宝物殿 特別公開 華やかな屏風と祭礼図』(春日若宮御祭礼絵巻物/若宮祭絵巻)



 とりあえず、『春日権現霊験記絵 上』巻一から巻四までを読む。思うように進まない~~。
『春日権現霊験記絵』は色々な話が盛り込まれていて興味深いのに、まだ半分以上残っているのが残念。
『春日権現霊験記絵 上』は残り、巻き五~巻十三
『春日権現霊験記絵』は上下合わせて二冊。 
 時間と能力が欲しいーーー☆★



 奈良女子大学さまが『春日権現霊験記繪巻』全三巻を公開して下さっています。(2014年4月20日現在)
 



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