法然 1 京博のために、法然上人を下調べしてみる。
『法然上人絵伝 上』(日本絵巻物大系)と『別冊 太陽』(178)を楽しみ始めた。
ただいま東京国立博物館では『法然展』を展開されている。その後秋には、京都国立博物館に『法然展』がやってくる。
美術などを詳しく展開されていらっしゃるブロガーさんに、『法然上人絵伝』は一期で四軸も公開されるとのことを教えていただいた。ありがとうございます。
そういえば、三月、芝居を見た日に知恩院に行ったときに、【法然800年(要約)】と書かれていたのを思い出す。
知恩院といえば幼いころ、お正月には毎年のように父に連れてもいらったことを思い出す。
いわば思い出の寺の一つである。
京都国立博物館の『法然展』をしっかりと見たいので、今から予習しておくことにした。
まずは安直に、ウィキペディで記録したい。
法然について ウィキペディア(Wikipedについて
法然房源空 長承2年4月7日 - 建暦2年1月25日(宣明暦)(1133年5月13日 - 1212年2月29日〈ユリウス暦〉)
幼名 勢至丸 号
(房号)法然
(大師号)円光大師・東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師・法爾大師
諱 源空 諡号 慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・ 天下上人無極道心者・光照大士
尊称 元祖法然上人
生地 美作国(現・岡山県)
没地 洛東大谷(現在の知恩院付近)
宗旨 浄土宗 寺院 法然自身は寺院を建立せず。
師 源光・叡空
弟子 弁長、証空、親鸞、蓮生、源智、 幸西、信空、隆寛、長西、湛空 など。
著作 『選択本願念仏集』、 「一枚起請文」、他。
廟 知恩院、金戒光明寺、法然寺、 粟生光明寺など。
法然上人絵伝
法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。
はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
法然は房号で、諱は源空げんくう、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。
諡号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である。
大師号は、500年遠忌の行なわれた正徳元年(1711年)以降、50年ごとに天皇より加諡され、平成23年(2011年)現在、円光大師、東漸大師、慧成大師、弘覚大師、慈教大師、明照大師、和順大師、法爾大師の8つであり、この数は日本史上最大である。
『選択本願念仏集』(『選択集』)を著すなど、念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏の元祖と称される。
浄土宗では、善導を高祖とし、法然を元祖と崇めている。 浄土真宗では、法然を七高僧の第七祖とし、法然聖人/法然上人、源空聖人/源空上人と称し、元祖と位置付ける。
親鸞は『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然のことを「本師源空」や「源空聖人」「よきひと」と称し、師事できたことを生涯の喜びとした。
房号(坊号、房号)
①院中の坊につける名前。〔日葡辞書(1603‐04)〕
② 得度後、実名と別につけた僧名。何々坊と称するもの。鎌倉期以後盛んに行なわれるようになった。
※円照上人行状(1302)上「東大寺戒壇院住持上人、諱円照、房号実相」