西側の「平田家」、東側の「平田家」
八木札の辻(やぎふだのつじ)
奈良盆地を南北に走る古道「下ツ道」と東西に走る「横大路」の交差点が「八木札の辻」に行きました。
江戸時代中期以降、この界隈は伊勢参りや大峰山(おおみねさん)への参詣巡礼の要所として賑わっていたようです。
現在、江戸時代の旅籠(はたご)「東の平田家(ひがしのひらたけ」が当時の間取りに修復され、八木札の辻交流館として公開されています。
平田家は古代大和の主要道路「下ツ道(しもつみち)」と「横大路(よこおおじ)」との交差点である「八木札の辻」
「八木札の辻」を挟み、西側の「平田家」、東側の「平田家」が向かい合って立地しています。
いずれも江戸時代の旅籠(はたご)の風情(ふぜい)を残している建物です。
八木札街 『西国名所図会』(江戸時代)
札街
札の辻とは
江戸時代、官の制札を立てた辻。現在、多く地名として残る。
八木札街もその一つ。
(平田家)は、共に江戸時代の賑わいある旅籠でした。
主人の部屋は客人や使用人などが行き来する入り口土間に近い部屋を隔てて奥まった部屋に設けられていました。
こうった造りは主人の身の安全を守るためと云った松坂の豪商などでも見られました。
平田家二つは公にも認められた要所正しい旅籠だったそうです。
飯盛女などと云ったいかがわしい様子はなかったとのことです。(ボランティア様の話)
ここの旅籠も『東海道中膝栗毛』のように、客人一人、ねまが弾けるくらいの空間が与えられていたそうです。
さぞや、当時は旅籠の部屋は活気付いていたであろうことが想像できます。
平田家旅籠後の室内の様子を撮影させていただきました。
旅籠内には深い井戸が残り、覗くとしっかりとした石組みを見ることができました。
井戸跡は八木札の辻にも残っています。
井戸は八木札の辻の道造りのためか、元は六角の井戸が半分に切られ、三片が残っています。
この様子は江戸時代にはすでに見ることができたようで、『西国名所図会』(江戸時代)にも認められます。
同様、『西国名所図会』(江戸時代)の平田家の屋根瓦(鬼瓦)は、今もその姿の面影を残しています。
旅籠の騒々しさや賑わいを想像し江戸時代の読み物を思い浮かべながら、いっとき、八木札の辻の様子を感じ取り楽しんでおりました。
橿原市北八木町
0744-26-2684(八木札の辻交流館)
近鉄大阪線・橿原線大和八木駅より徒歩10分
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