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寺社百景

栄山寺 ー 八角円堂の系譜

2014-02-07 09:20:57 | 寺院

栄山寺八角堂の建立は「造円堂所牒」から天平宝字七年(763年)前後、藤原不比等の供養のため造立された興福寺北円堂創建、養老五年(721年)、の40年後である。夢殿創建の24年後である。不比等の子武智麻呂は延慶撰「藤氏家伝」(天平宝字四年ー760年)に「(天平九年ー737年)八月五日火葬干佐保山礼也」とあり、栄山寺の裏山に改葬され、八角堂はその供養のため建立されたようである。とはいえ、その大きさは北円堂の70%にも満たない小振りの八角円堂である。北円堂は「興福寺流記」には延暦記云として、本尊は丈六の弥勒とあるが、栄山寺八角堂の当初の本尊は不明である。彩色された四本の八角形の内陣柱の中に何も置かれていなかった可能性がないではない。天平宝字八年には建立したと云われている藤原仲麻呂、実質的にはその子朝�紡ではなかったのかと思っているが、が斬首となっていることと無関係ではないと推測する。(参照;福山敏男「栄山寺の創立と八角堂」(寺院建築の研究 中)中央公論美術出版 1987年2月)。            

                            

              

              

                      八角堂

栄山寺の本堂は天文二十二年(1553年)再建と云われているが、外陣を吹き抜けとするものの、木割は細く、広大であった栄山寺領を勃興した土豪に押領され衰退したといったたたづまいである。多分再建とそんなに変わらぬ頃に持ちこまれたのであろうか、道澄寺(京都伏見深草)の古鐘がある。まだ藤原南家の名前が残っていたのであろうか。

       

                         本堂

              

(注)2013年10月撮影                 

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