一葉一楽

寺社百景

当麻寺(2) ー 軸線の行方

2014-12-02 13:49:21 | 寺院
当麻寺には南北と東西の二つの軸線がある。一つは金堂の弥勒菩薩であり、今一つは本堂の当麻曼荼羅、阿弥陀三尊である。鎮護国家、そして浄土信仰である。曼荼羅堂が本堂になった時、鎌倉中期であろうが、国家から個人にと転換したともいえよう。
治承四年(1180)兵火で、金堂は講堂焼失の影響を受け、安置する仏像にも被害を蒙った。金堂は寿永三年(1184)再建、講堂は乾元二年(1302)に再建された。共に今の本瓦葺ではなく、流板葺であったようだ(近藤豊「古寺巡礼奈良 当麻寺」淡交社 1979)。あくまで旧規に則った弥勒菩薩像の再興であり、先ずは安置する堂舎の確保であったのであろう。


  金堂
  講堂

当麻曼荼羅を安置する本堂は、永暦二年(1161)の改築である。その二次前身堂は曼荼羅を祀るため、二棟の一次前身堂の古材を使用し、平安初期に建てた。その下には鉄剣等々の鉄製品を含む副葬品が出土した古墳があったとのことである(「国宝当麻寺本堂修理工事報告書」奈良県教育委員会 1960)。前庇を設け、礼堂と改築しと、参拝者が念頭にある。すでに実効的に軸線は替わっていたのであろう。

本堂

二つの軸線を無視し、現在では伽藍から離れた所にあるのが、薬師堂である。主要堂舎が奈良から平安にかけての造営であるのに対し、棟木下端墨書銘によれば、文永四年(1447)の建立である。しかも、天井も張らず、廻縁のままと未完成である。銘には「満寺衆徒幷万民等」とあり、来世ではなく現世の利益を追求する、信徒の浄財によるものらしい。途中で費用が足りなり、これでよしとしたのであろうか(「重要文化財当麻寺薬師堂修理工事報告書」奈良県文化財保存事務所 1978)。

  薬師堂
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