雲峰寺には本堂・仁王門・書院と禅宗とは思えない名の建物が境内を形成する。ただ庫裏のみが、禅宗寺院だと認識させる。天文年間(1532-1555年)諸堂焼失、武田信虎の判物からまもなく再興、本堂に護摩壇の跡が残っていたとのことで、天台宗(「甲斐国志」では真言宗とする)寺院として再建されたようである。しかし永禄元年(1558)の信玄の判物に「雲峰寺別当之事如前々相勤当家武運長久祈念不可有怠慢者也」と、この頃改宗したと推定される。雲峰寺の周囲は臨済宗が多く、また信玄は天文十年(1541)恵林寺を再興、武田家の菩提寺としている。恵林寺に感化された改宗かもしれない。
仁王門
本堂
庫裏
中門
(注)2015年10月撮影
本堂は密教系寺院の形式を継承する。改宗に伴って、内部を改修、桟唐戸にするなど最小限に済ませ、様式への執着は見られない。
しかし正徳六年(1716)書院建立および同時期と推定される本堂への向拝唐破風の付加は、体裁を整える動きであろうか。(重要文化財雲峰寺修理委員会編「重要文化財雲峰寺本堂修理工事報告書」1956.3)
仁王門
本堂
庫裏
中門
(注)2015年10月撮影
本堂は密教系寺院の形式を継承する。改宗に伴って、内部を改修、桟唐戸にするなど最小限に済ませ、様式への執着は見られない。
しかし正徳六年(1716)書院建立および同時期と推定される本堂への向拝唐破風の付加は、体裁を整える動きであろうか。(重要文化財雲峰寺修理委員会編「重要文化財雲峰寺本堂修理工事報告書」1956.3)